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問い:無私になれ

2010年05月14日

禅問答に、「無私になれ」というものがあります。

  

東洋思想を持つ方と話をすると、この難問に果敢にチャレンジする方がいらっしゃいます。

意地悪なことに、無になる→消滅する→死ぬという変換までできてしまうので、人によっては死を恐れないという結論に達する人もいます。

  

これから述べてゆくように、これはこれで無数にある一つの答えですが、このような破壊的な道筋に、人を陥れる問いが許されていいのかという憤りも感じます。

  

今回は、気分転換に、哲学と言語認知の脳科学をミックスしてこの問題を考えてみたいと思います。

  

まず、この命題を要素に分節します。

ある程度意味のわかる範囲まで分節すると「無」「私」「なれ」となります。

  

そして、それぞれのパラメータを考えます。

  

まず、最初に「無」を考えてみましょう。

これが最初の罠です。

 

この問いの罠は、思考を「無」という言語の一般的な意味に縛る言語認知の罠です。

デカルトが「われ考えるゆえにわれあり」といい、絶対的な存在を示したのに対して、「絶対無」というものは、われわれの認知においては存在しますが、客観事実では存在しえないのです。

  

したがって、答えにたどり着くことができる(問いであるならば、答えにたどり着くことができなければなりません)、ここでの「無」は、われわれを縛り付けている一般的な言葉の「無」ではなく、それ以外の「無」という概念、または意味、もしくは感じ方などを指します。

  

絶対的な「無」は不可能ですが、相対的な「無」は可能です。

  

この場合、絶対的な「無」を指しているように勝手に感じてしまうのですが、絶対無はデカルトのいうように、事実としては無可能性です。

答えがあるならば、空間内の移動などに伴う相対無ということになります。

  

一方で、もし、脳の思い込みにしたがって、「絶対無」と考えたときには、二つの可能性に収束します。

一つは、問題が解けない。

もう一つは、普遍ではなく、最初に述べた死への変換のような、ある状況に対する無限の種類のうちの一つの答えに収束します(解けないことと限りなく近い)。

  

つまり、普遍的な答えがあるとするならば、この質問の「無」は、われわれが通常感じている「無」とは違う意味をさすのです。

  

次に、「私」です。

実は、「私」も思い込みです。

よくよく考えてみると、「私」という絶対的な基準はなく、絶えず変化します。

  

生まれてから、死ぬまでの間、絶えず身体という物質は、外界から様々な物質を取り込み、また排出し、成長、老化し変化しています。

にもかかわらず、現実には同一ではない自分を、同一と見なす感覚(これを拡大すると、前世という接点のない他人と、自分とを同一と見なす感覚があります。これを私は魂の一部と考えています)があります。

  

われわれが普段信じている「私」というのも、言葉という形式が指すもの、単なる信念であって、客観事実とは別のものなのです。

つまり、「私」も「私」で無くなることが可能です。

  

「なれ」も同じような発想で様々に解釈できますが、面倒なので省きます。

 

まとめると、「無」も「私」も絶対的な一つのものではなく、無限に変化することができるのです。

無限は「無」と限りなく近いものです。

そうすると「無私になる」というイメージが見えてきます。

  

ここまでは、主体(自分)の観点から考えましたが、もう一つが、客体(自分以外)との関係です。

  

「無私」の形態が無限にあるので、客体との関係を考えると、「無私になる」という場合、どのように無私になるかという選択もまた無限にあります。

  

そのために、あらゆる状況に応じて、それに対する「無私」が、無限に思いついてしまうのです。

  

自分から主体や客体の要素だけを停止すること。

これを、エポケーといいます。

  

したがって、強く結びついている主体と客体を分離できないと、つまり、どちらかをエポケーできないと、ここでも無限ループの罠にはまります。

  

これは、強い精神的ストレスになります。

  

日常でもこのような無限ループに陥ることが良くあり、しばしばいざこざに発展するように感じているため、これが解決できるようになると、精神が生きることがとても楽になる様な気がします。(そのために、医師として、簡単にできるようになる方法を探求しています)

  

こう考えると、「悟り」とは、自分の感覚や固定観念の緊縛から「自由」になるという要素を持つのかもしれません。

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プロフィール

ymitsuiymitsui
三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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