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子供のほうが知っている

2016年04月30日

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先月中旬より2週間ケアンズに滞在してきました。早いものでもうすぐ一か月経ちます

 

ケアンズに来ても子供たちは、家の中にいると相手が持っているものを見ると欲しがり、すぐに取り合いの喧嘩になります

 

こういうのを見るとき、『アフリカの女王』というアカデミー賞受賞映画のワンシーンが頭に蘇ります

西洋人の登場人物がタバコの吸い殻をポーンと投げると、何人もの原住民がそれに群がり奪い合うシーンです

 

モノに対する欲求や執着は強力ではありますが、こんなものは早く捨ててしまったほうがいいです

 

海で遊んでいるのを見ていると、自然は豊かで、人工的なものは貧しいことがよくわかります

 

上の写真は波をジャンプして遊んでいるところですが、喧嘩にもならず、もう時間が来たから帰ろうといっても、まだまだといって終わりがありません

 

ところが、砂遊びのために持ってきたおたまを使い始めると、たちまち取り合いの喧嘩になります。

 

モノはいつでもどこでも貧しさを生み出す魔法の杖のようです

 

しかしながら、子供たちのこころは、意識することはできないようですがまだ自然の豊かさを忘れてはいないようです

 

大人になっても、ケアンズの自然はやはり豊かさを与えてくれます。しかし、見栄だの出世だの事業だのくだらんものに囚われている時間が長いと、この感受性が失われてしまうようです。何も感じない方のほうが多いのではないかと思います

 

毎朝夜明けのビーチを裸足で散歩しました。柔らかい砂の感触と、光線の陰影など、モノから得られる喜びをはるかに超えています。昼は少し景色が単調になるので、やはり夜明けがいいですね

 

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モノがあれば豊かと思われるかもしれませんが、モノはどこまで行っても貧しいですね

 

日本はモノとサービスに関しては、大変量と質が満たされてきました。世界中のありとあらゆるものが手に入ります。長年のデフレで物価も逆転してしまいました

 

お節介だと思いますが、ケアンズでは日本でできないことをやらないと、時間と航空料金が勿体ないです

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魂のイメージ

2016年03月04日

先の記事で魂に触れましたけれども、小職の持つようになった魂のイメージをお伝えしたいと思います。

はなっから魂なんてないと決めてかかるのでは、科学者とはいえません。

現在の自然科学は、魂は在るか無いかわからないため、とりあえず無いこととして事を進めてゆこうという機械論的な合理主義です。

全財産を無いにベットすると、賭けに負けた時に無一文になりますので、在るというほうにも保険を掛けておいたほうが安心だと思います。用心深い性格なのです。

人間はモノとは違います。

人間もモノも同じ原子から構成されているから、人間もモノも一緒だという方がいらっしゃいましたら、確かにその通り、魂は無いかもしれません。

しかしながら、例えば、自動車というのは人間のドライバーがいて、はじめて機能しますが、もし、人間とモノが一緒であるならば、人間は、エンジンや、ウオーターポンプや、ショックアブソーバーなどと同じということになり、ドライバーは自動車部品ということになります。

ところが、自分は自動車部品とは違う、という自然な感覚が沸き起こるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?この直感的な感覚が魂からくるものだろうと考えています。

試しに、「自分は自動車部品だ」、「自分は自動車部品だ」と繰り返し何度も100回くらい唱えて思い込もうとしてみても無理だと思います。もし、この呟きをだれかに聞かれたら、かなり気まずい状況に陥るだろうと思います。

つまり、人間は魂があるから人間なのであり、モノと明確に区別されるのだという感覚です。

魂が在るか無いかではなくて、魂は人間の必要条件で、魂が在るから人間なのだということです。

こういう意味において魂は在る、というのが小職の持つイメージです。

ここまでイメージできても、魂はなかなかその正体をクリアにはあらわしてくれません。
モノよりも遥かに崇高なものに感じるのに、そのくせ肉体やモノの奴隷になってみたりで掴みどころがないですね。

カントの純粋理性批判と同じパターンの議論に陥るため、在るか無いかの二通りしかない理性の限界を超えた何かという考えもできます。

実際のところ、魂と強く結びついているように感じられる生命も、地球よりも重くなってみたり、ハムレットの名台詞の針一本の値打も無くなってみたり、価値という理性の基準には乗りません。

また、死んだときにそのまま残るのか、つまり不滅なのか、残るけれどもバラバラになって他の魂と融合するのか、いったん終了するのか、こちらもわかりません。

凡人には掴みどころがありませんが、ともあれ魂は、人間の本質や根源に最も近いのではないかというのが小職の持つ感覚です。

一方で、魂の存在を否定すると、人はとても不安定になります。どこか肝が据わらず、いつも心配事や不満でソワソワ、イライラしているように見えます。

魂は在るとしたほうが、人は芯が強くなるような気がします。だからやはり魂は在るのではないでしょうか。

健康やウェルネスのためには、人間の持つ本質、そして、魂をもっと大切にしてゆかないとならないのではないかと考えております。

そして小職の魂は、ケアンズにいると、とても解放されるような気がするのです。皆さんはいかがでしょうか?

あともう少しでケアンズ旅行で、とても楽しみです。

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自然の理

2016年02月20日

最近になって糖質制限食のデメリットが出てきているようですね

4,5年前から患者さんからはじめましたという声が多くなり、これはいかんと思い、2012年にこちらのブログでも書きました

医者が曇りのない目でみれば、見抜けるはずです

http://www.livingincairns.com.au/%E5%8F%A3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%81%A8%E3%81%8A%E7%B1%B3/

人間がエネルギー源として直接使うのはブドウ糖です

ほかの栄養素は体格の維持にも使われますが、エネルギー源として使われるときには、ブドウ糖が足りない時に、えっちらおっちらいろいろな回路を使い、長い経路を経て糖を新生するのです

そのときに、いわゆる毒物がたくさん出て、肝臓や腎臓が解毒の仕事をするわけです

つまり、効率の悪い非常用回路です

なので、糖の代わりにタンパクだの脂肪を燃料にしようなんて自然の理に反しているわけです

方法も不可能に近いです。前のブログでも触れてますけれども、糖質だけを制限するのは難しいです

普通の食事で糖質を制限しようとすると、ほかの重要な栄養素も不足することになります。コメはリジンを除けばほとんどのアミノ酸がバランスよく含まれています

そこで、日本の祖先は、誰から教わるもなく、リジンを多く含む大豆を、味噌や豆腐で使ってきたわけです。センスの力で、ファンタスティックでしょ

また、果物はさらにファンタスティックです。果物の甘味は、苦味や酸味、渋味などほかの味覚とカクテルにされ、少ない糖質量で強く感じます。つまり少ない糖質量で満足を得られるということです

砂糖と果物を一緒にしようなんてどうかしています。砂糖は急激に血糖をあげるなど問題点満載ですが、果物は糖種、食物繊維、ポリフェノールなどがバランスよく含まれた完全食品で、一緒にするなど失礼です

また、オリジナルはこんなことを言っているわけはないでしょうが、末端の患者さんには数々の煩悩フィルターを経て「糖質さえとらなければ好きなものを何食べてもいい」というメッセージになっております

さらに、こらえ性のない方は、こらえ性がないから生活習慣病になるわけなのですが、「糖質さえとらなければ」、もいつしか消えてしまい、実際のところ「好きなものを何食べてもいい」になってしまうわけです

ついでに、これと関係してスピリチュアル系の方に多いのですが、体が欲しがるものは、どんどん食べたほうがいいとおっしゃる方もいらっしゃいますけれども、肉体に引きずり込まれた煩悩がなければそうでしょうけれどもね。もしそうなら、生活習慣病はこの世に存在しないのですよ…体が欲しがるものを、どんどん食べた結果が生活習慣病なのですから…

健康害しますって…

なお、糖質制限を精製糖制限に置き換えるならば、大賛成です

過剰な糖質をとっている人の糖質を制限するのも賛成です

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心医術が出版から8年目に入りました!

2016年01月31日

心医術が出版から8年目に入りました!

昨年は心医術に変化が訪れました。初年度は気を遣ってくれて製薬メーカーなどが買ってくれたのか(念のためですが、圧力などはかけてないです)、200冊くらい売れました。

その後、年間1-2冊位で推移していたのですが、昨年は300%以上アップの7冊売れました

レベル・・・低いですね・・・・・

本の販売というのは、最初想像したよりも厳しくて、3000冊くらい売れるだろうと考えて、部数刷ったほうが単価が安くなるので3000冊行ったのですが、本、売れないんですね・・・

最近の商業出版というのは、大体流行をとらえた内容で、出版時にボーンと売り出して、数年で廃版というパターンが多いようですが、心医術は最低でも10年、できれば30-50年以上耐久の設計思想で組み立て自費出版しています

ワインみたいに時間を経ることによって飲み頃に熟成してきたのか、少ないですけれども、時間を経て売上アップはとても嬉しいです

当時は、心と身体が繋がっているなんて言ったら、頭おかしい、くらいに思われる風潮もありましたが、出版後3,4年くらいしてから、ストレスと病気の関係がどんどん明らかになり、ガイドラインなどにも明記されるようになり、今では少なくとも、キチガイじみたことを言っているとは思われなくなってきました

サブタイトルのワクワクという言葉もいろんなところで見たり聞いたりするようになりました!よい風潮です

こちらも、頭おかしい、と思われる風潮もありそうですが、そろそろ魂にも、意識が向き始める時期ではないかと考えています

まだまだ在庫の山ですので、どうかお買い求めくださいm(_ _)m

損はしないですよ!

ケアンズでも、今の日本の販売ルートと同じ条件でうちで置いてもいいよ、という優しいお店がありましたら是非lep-wellness@hotmail.co.jpまでご連絡ください

よろしくお願いいたします

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お金を借りるとお金を貰える!

2016年01月30日

貸せば友と金を失い、借りれば倹約の心が鈍るなので、貸し借りは嫌いなのですが、ついに日本はマイナス金利に突入しました。とてもインパクトが大きいです

普通、お金を借りたら金利を払わなければならないのに、マイナス0.1%ならお金を借りて、1000年も管理するのはそれはそれで気が遠くなりそうではありますが、運よく金利が変動することなく、とりあえず無事に1000年置いとけばチャラになるわけです(財務省と、日銀、銀行、生保、年金などのバランスですので簡単ではないでしょうが)

マイナス金利になるまで追い詰められているのは、モノやお金だけでは幸せにはつながらず、モノやお金がありすぎても負担になることに多くの人が気づいてきてしまったような気がするので、モノからココロにシフトしてゆく、インターネットに次ぐ産業革命期に入ってきているような大きな流れをなんとなく感じます

そもそも、お金で手に入れることができるモノなんて、ずっと欲しいと思っていたとしても手に入れた瞬間にどうでもよくなるのが多いし、モノを運用できる能力がないと、維持管理に時間とお金がかかって重荷にすらなり、人を幸せにしてくれるものは、全く無いとは言わないまでもお金ではそれほど手に入らず、むしろ、モノがありすぎるとごちゃごちゃしてうざったいし、一昔前の幸せのバロメーターは不動産、高級車、高級時計、ブランドものだったけれども、不動産はしょっちゅう設備壊れて修繕に追われ、やたら税金や管理費がかかるし、車も台数が増えるとしょっちゅう壊れただの車検だので手間暇もお金もかかるし、高級時計もちょっと水につかっただけで壊れたり、5年に1回位の間隔でオーバーホールしないと中の歯車が削れ、むしろ、時計なんて身に着けないほうがほうが身軽で贅沢だし、ブランド物の流行りは数年間のその場限りだし、騙されたという気分にすらなります。お金自体も使い道がなければただの未分化エネルギーもしくは紙で、マイナス金利になって預けていると減るからといって家にタンス預金していたら、世の中には強盗までして欲しい人がまだいるので、危なくて安心できくなりそうです

マイナス金利は、もともと幻であったかもしれないモノの魅力が弱くなり、もうすぐ人間がモノに支配されてきた時代が終わるのかもしれないことを証明しているように感じます

晴れの日も雨の日も長年付き添ってきたモノへの欲望を手放さなければならないのは寂しいかもしれませんが、ケアンズはモノよりも深い満足を与えてくれますので、ご心配なく。感受性の開発は必要になりますが、不感症になっていたとしても、この感受性はもともとすべての人に備わっていることを、心理学、哲学は間違いなく証明しているように感じます

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皆様に於かれましても楽しくよい一年になりますように!

2016年01月02日

あけましておめでとうございます!

昨年は暗剣殺だし、余計なことをしないで、とりあえず仕事でもするかといろんな病院から仕事を頼まれて、当直100泊くらいしたかもしれない

本日日中はようやく空きができて、新しく買った物件に温泉がついてたのでストレスを溶かしてきました

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それでまた当直

ヨガやストレスマネージメント、心医術の成果で、まだまだ行けそうだけれども、家族や周りに負担になってしまっているので、本年はスピードダウン予定

年末に娘がディズニーのインサイドヘッド借りてというので借りたら、喜びと悲しみがいなくなってしまうという認知科学。面白い

楽しみが迷子になると、心血管イベント、脳卒中死のリスクが2倍になるという報告もあるのですが、楽しみが迷子になってしまった患者さん本当に多い

今年からは、患者さんのインサイドヘッドから家出してしまった楽しみを連れ戻すのをやっていこう

そういう方々は、何かのご縁に恵まれてケアンズに旅行してくださるときっと良いと思うのですが

皆様に於かれましても楽しくよい一年になりますように!

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引き寄せの法則とケアンズからのインスピレーション

2015年12月19日

前厄、本厄、後厄とおまけ暗剣殺の4年間、最初は無視してガンガンやってたら厄介事ばかり起こるし、全然成就しなくて労力の無駄なので、静かにしようとエネルギー充填に努めてきました

残すところあと少しになりましたが、エネルギーが溢れすぎて、フライングして不動産を仕入れてきました

また途中でキャンセルになったり不首尾な結果になるのではないかとドキドキしましたが、今回は成就です

大学生の時、運転免許を取ってはじめて伊豆スカイラインをドライブしたときの、沼津周辺の夜景のインパクトが強烈で、いつかゆっくり楽しめたらいいなと潜在意識に刻まれていました

今回、もっと凄い、箱根、富士山、南アルプス、駿河湾、伊豆、街並みすべてが見渡せる物件に出会い、即決してしまいました

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巷では、マグネティズム、潜在意識による現実化、引き寄せの法則などと呼ばれているようですが、大脳生理学や、潜在意識や超意識の有名な論文をいくつか読むと、わかってきます。そして、心医術をやっていると、意識的にこれが使えるようになってきます

皆さんのウェルネスのために、これを使えるようになって欲しいのです

小職の潜在意識は結構厳しくて、イメージだけしていれば、棚から牡丹餅、楽して実現、を許してくれず、「お前、もっと猛勉強、猛鍛錬しないと今のままじゃ出来ないに決まってるだろ」とよく言います。楽して成功するなんて信じ切れるほど能天気じゃないですからね。人事を尽くさないと、天は微笑んでくれないというほうが、確実だと思いますので

なので、心医術は、自分の力でできることは、できる限りやること、限界を超えることは、幸運を信じ切ることをコンセプトにしています

結局のところ、自分の能力を高めなければならないのですが、能力開発は怠け癖や誘惑、退屈さと闘わなくてはならないのでとても大変です

この意識は、潜在意識なのか超意識かもしれませんが、とにかくとても的確で絶大な信頼を置いているため素直に従おうと思います。実行することができないと、無力感に襲われる諸刃の剣です

しかしながら、成功を約束してくれますから、従わずに無力感に襲われるよりも、素直に従ったほうが大変得です

生まれながらに才能を持っている人たちや、今の科学は、幼少期の学習戦略によって大きな差が生まれるを明らかにしていますから、環境に恵まれて苦労なく高い能力を身につけることができた方々が羨ましいです。自分の手で美しいものを生み出すことができたらどんなに楽しいだろうと

まぁ、この配牌を与えられたので、できる限り頑張ります

この物件は素晴らしいので、エイビーアンドビーなどでシェアできればいいなと思ってます(日貸しは今のところ違法なのでマンスリーで)

香が格別な檜無垢素材を使ってリフォーム予定です

檜の香はとても好きで、最近、檜(ジャパニーズサイプレス)のある日本に生まれて幸せだと、とても思います

能力開発といえば、右脳開発も少しづつ進んできましたので(自然に左手で文字も書けるようになってきました)、庭のリノベーションも加速です

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それともう何度も繰り返しになりますが、このインスピレーションは、ケアンズのおかげです

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ケアンズに来たら何をすればよいのか?

2015年11月08日

長年、どうしてケアンズは人を癒してくれるのだろう、という問いにフォーカスを当ててきましたが、徐々に、ケアンズはスピリチュアルに働きかけるからだとクリアになってきました。

次に述べる、スピリチュアルの4つの性質を考えれば、どうしてケアンズがスピリチュアルを解放してくれるのか、よくわかっていただけるのではないかと思います。

 

①スピリチュアルは狭い宇宙を超えて、宇宙を取り巻く外側にまで感受性を持ちます。つまり、この世のなかで、もっとも広大なのは、存在それ自体と、それに呼応できる、人のこころ、想念であり、スピリチュアルです。

②スピリチュアルは自分という殻を超えて、意識を自分が生まれるよりもずっと前、宇宙の始まりなどという短い歴史よりも、ずっと昔からある存在そのものに、自己を投射します。そのため、人のこころ、想念は、最も古くからの存在と一体になれるのです。

③ゆえに、スピリチュアルは、人を構成する要素のうち、もっとも広大で、もっとも歴史を持ち、もっとも偉大であることがわかります。

④このスピリチュアルは、哲学、自然科学など、人類の歴史の中で積み上げられてきた遺産から判断すると、私個人の特殊な性向ではなく、人類一人一人皆に備わっている性質などだろうと推測することができます。

 

ケアンズが転地療法として効果を表すのは、スピリチュアルの微睡を見せてくれるからだと考えます。

地球最古であろう熱帯雨林とアボリジニの文化に触れれば、地球の歴史と、20万年以上前からの人類の営みにも触れることができます。昔を生きたアボリジニという他人目線ではなく、自身のスピリチュアルに刻まれた記憶として、自分がかつて、手つかずの熱帯雨林の中でアボリジニとして生活を営んでいたのだろうと投射することもできます。

ディジュリドゥの音色が、ヨガの聖音ととても似ているため、今残っているアボリジニの文化はニセモノではないと個人的には信じています。

残念なことに、とらわれている人が多いと感じているのですが、金運だの恋愛運だのからスピリチュアルを逸らしたからといって、人を不幸には導かないと考えています。先にスピリチュアルが満たされれば、金運だの恋愛運だのは後から自然についてくるのだろうと信じています。

このような偉大なものを、金運や恋愛運のアップがどうだの、自分の本当の性格はどうだの、明日の飯の種はあるのかなど、こういうことにスピリチュアルのエネルギーを使ってはいけないことはないのだろうけれども、エネルギーのムダで、そんなことをしている場合ではありません。

スピリチュアルは囚われを本当に嫌います。ケアンズで発散を!

ケアンズを訪れたら、是非、自分の中にあるスピリチュアルを揺す振ってみてください。

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ネガティブスピリチュアル

2015年10月23日

今年は、新規事には手を出さず、今まで後回しにしてきた故障、問題点、厄介事の、修理、整備、片付け、膿み出しの方針でやってきていますので、どうしてもネガに意識が向きます。

 

最近ネガな記事が多いと感じられている方もいらっしゃるかもしれません。明るく前向きなネガティブキャンペーンを目指していますが、申し訳ございません。

 

医者をやっていると、病気の診断や治療の技術が、結構色々なものに応用がききます。

 

モノのレベルでは、重い腰をよっこらしょと上げて、ダイヤルがクレイジーな床暖房のコントローラ、液晶がダメになったノートパソコン、割れた洗面ボウル、点火系がお釈迦になったパジェロミニ、だらしなくポタポタ漏れ続けるトイレのボールタップ、漏電したウオッシュレット、などなどなどなど身の回りの物を色々直しました。

 

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あとは、山小屋の庭のリノベーションを残すのみとなりだいぶ片付きました。

 

なぜ、巷のスピリチュアルが嫌いなのだろうというところにも意識を向けてみました。

 

その理由は、人の弱さや助けを求めたい気持ち、親切心や真心のような純真さに乗じた、悪質なキツネ、タヌキがたくさんいるからです。

 

いくつか例をあげると・・・

 

数年後にどうなるというような終末思想。現在の環境に適応できなくて逃げたい気持ちから生じるものでしょう。

未来は神の玉座だから侵すなと説かれていますが、天に身を委ねることができれば、こんな邪道には引っかかりません。

 

病気が治らないのは信心が足りないため。

引き寄せの法則の利用方法を間違えた悪い例です。その信心は心の奥底で、適切なアドバイスを送っているはずです。

 

子供は親を自分から選んで生まれてくる。

全ての子供がそうなのか、一部の子供がそうなのか、親を選んで生まれてくるのか、親が望んだから仕方なく生まれてくるのか、親の意思も子供の意思も関係なくただ生まれてくるのか、小職にはまだわかりませんが、これもキツネ、タヌキによく利用されます。

 

自律神経失調症の患者さんに話を聞くと、親子関係が問題になっていることが良くあります。

胸糞の悪さとして記憶に残っている患者さんとのやりとりですが、依存心の強い親からくるストレスによって、全身の不調を訴えた患者さんからの話です。

 

「私はなかなか子供ができないから一心にお祈りした。だから、あなたは自分から選んで生まれてきたのだ。(だから私に犠牲を払え!)」

 

自分が望んだのに、子供が自ら選んだ選択だと、変な歪曲で様々な責任を押し付けようとしている。

子供は生活の保護という側面で、首根っこを押さえられていますから、こんな無茶苦茶な理論も受け入れなければならないのです。

 

逆です。

 

親は子供に投資することによって、スピリチュアルが解放されるのです(言葉が悪いですがね)

 

これらに共通しているのは、スピリチュアルを自我(ego)に閉じ込めていることです。スピリチュアルを利用して、歪曲した自我を育て、その中にスピリチュアルを閉じ込めている。

 

逆です。

 

スピリチュアルは開放しなくてはならないのです。

 

ケアンズの大自然は、自我を弱くし、それによってスピリチュアルを解放してくれる作用があると感じています。

大自然の中にひとり身を置くと、自分が小さくなった気がしますよね。それによってスピリチュアルが解放されやすくなるのでしょう。

それが、ケアンズ療法のスピリチュアルからのアプローチだと考えます。

 

あともう少しで、立冬。

 

ネガがだいぶ片付いたので、来年からはポジに集中してゆきます。

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どうしてヨガ?

2015年10月15日

人と会ってヨガの話をすると、どうしてヨガをするようになったのかということをよく聞かれます。

 

いろいろ理由がありますが、もっとも大きな理由は、自分は自分の主でありたいという理由です。

 

心医術は科学を用いて自分を制御する方法を説明してあり、即効でそれなりの効果を上げることができますが、さらなる上を目指したいという探求でヨガに出会いました。

 

動機としてはあまり良いものではないかもしれないですね。

 

心医術をやっていると、ゴールが似ていることもあり、ヨガの進歩も少し早いような気がしています。

 

その探求の中で、こちらの写真を見たときに、もうヨガをやろうと心に決めました。

 

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(引用:本山博 1977 密教ヨーガ pp.218)

 

呼吸などの調節によって心臓の動きを止めていると説明されていますが、要するに意志の力で心臓を制御できるということです。

 

ほとんどの医者はできっこないと言うでしょうね。

 

最初は、捏造ではないかと半信半疑です。

 

しかし、著者の本山先生の施設で何度かヨガを教わりに行ったこともありますが、嘘をつくような人ではないと思いますので、この図は真実なのだろうと考えています。

 

半信半疑だとなかなか行法にも身が入らないのですが、それでも続けていると、心身に変化が生じてきます。そうして、説明されるていることが実際に自分の身体でもその通りになると、だんだんと身が入ってきます。

 

現在の医療では、本当にくだらないことをやっているなと正直なところ思うのですが、今までより5mmHgも血圧が下がれば有意差が出たと大喜びで大々的にプロモーションを打って、研究費用、販売促進費用など何億円もかけて、まあそれで世の中回っているのですけれども、人類の将来という大きな視点から見ると、それでよいのかなと思うわけです。

 

少し前に、今年はほとんど休みなく働いている多忙の折、血圧を測ってみたところ、小職にしては少し高めでした。目をつむり、ケワラビーチで波の音をききながら、強い日差しのエネルギーと木陰の涼しさ、砂の感触、ケアンズの香り(これは飛行機を降りて空港から一歩出た時が一番強く感じます)のイメージの再現に浸った一分後は血圧も脈拍も少し落ち着いています。

 

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ただ、言っておきますけれども、ここまでできるようになるのは簡単ではないですよ。

 

毎日毎日、身体のレベルでは以前の自分だったら3分で音を上げるようなトレーニングを毎日継続し、スピリチュアルのレベルでは、色々な固定観念や雑念、それらは信念とも結びついていますから、打ち破るためには、恐怖や不安、繰り返しの退屈さ、怠け癖などにも打ち勝たないとならないのです。

 

あと、大体の人が好きな食べ物、嗜好品も大体ダメです。

 

まだまだ、修行が足りないのですが、それでも少しづつ身体をコントロールできる能力が増しています。

 

これより、ヨガは科学であることがわかります。

 

そして、イメージの再現により血圧や脈拍数を安定させるケアンズの癒しもまた、ケアンズ療法という科学です。ヨガにも通じているような気がします。

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押し戻す

2015年09月13日

今まで流れに乗ってきたものを、その流れが良くない、と気づいたならば、反対を振り返り、流れの抵抗を真正面から受けて、押し戻さなければいけません。

まだ振り返って間もない時には流れも強く、押し流されてしまうこともありますが、根気強く続けていると、だんだん流れが弱くなり、ついには流れを逆にすることができます。

小職の身体年齢は実年齢に逆行しています。

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これが、生活習慣改善による身体への好影響の大体のイメージです。

 

健康に悪いとされている習慣には、酒、タバコ、砂糖、脂肪などいろいろありますが、意外に抵抗が強いのが高脂肪につながる肉食です。高脂血症と脂肪肝、高尿酸血症および痛風、糖尿病など多くの代謝疾患、色々な病気との関係が思い浮かびます。

肉を食べないと病気になると固く信じている人が実に多いです。

これは固定観念です。

 

食卓に上がれば仕方なく有難く頂きますけれども、自分からは選択しません。

肉をあまり食べなくなると、気持ちが静かになります。以前食べていた時との比較でよくわかるのですが、とくに貪欲が落ち着きます。

 

そのため、欲を行動のモチベーションにしている方が肉食から離れる時には、モチベーションを失う恐怖などとも戦わなくてはならないかもしれません。

この恐怖は、私にはできっこない、私には必要ない、というような内なる声の源ともなります。

こころは奥深いのです。

 

肉食にまつわる面白い逸話があります。

明治天皇が肉を食べないため、時の総理大臣が陛下に肉を勧めたとのことです。

その時の陛下の断りのお言葉は、「空海も肉を食べなかったぞ」だそうです。

偉人は肉、食べないのです。

 

大好物を否定されることは気分が良くないということは理解できますし、皆様の信念と違うことをいうのは、本当に嫌われるのでもう山に籠って静かに暮らしたいのですが、まだ健康に仕える医者の仕事をしているので仕方ないです。

心医術は実行が大変かもしれませんが、かなりの効果があると実感しています。

どうか、お役立てくださるよう願っております。

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予言について

2015年07月14日

スピリチュアル研究をしている中で、よく予言みたいなものに出合いました。占いともいうのでしょうか。

何年何月何日に何が起こるかまで正確に言い当てることが出来るならば、一目置きましょう。

しかしながら、大体は、こちらの言葉を探りながら、とても抽象的で、後になってからああ言われたのは多分これのことだったのだろうか?といった感じです。

お腹の中の子の性別について、多分女の子だと思うけれども男の子かもしれないなんて予防線を張りすぎです。

そして、当たるも八卦、当たらぬも八卦で何十年も先のことを言われても困ります。

心理学的に考えると、感受性の高い方は、引き寄せの法則が当てはまりますから、そうなるといわれると潜在意識のレベルで、そのゴールを目指すことになるでしょう。

結果として予言どおりになるわけです。

占いを好む方は、誰かに背中を後押ししてもらいたいんだろうなぁとも感じています。

予言というよりも、世間的なスピリチュアルはコンサルタントやカウンセラーとしての役割を果たしているのだろうと感じています。

神学のレベルでこれを考えてみると、未来を知ることは無意味です。

まず、テヘランの死神(知らない方は検索してみてください)の寓話からもわかるように、未来がわかっても、そうそう変えられるものではありません。

神道では、何らかの方法で未来を知ることが出来て、未来を変えた場合、相当大きな代償を償わなければならないと説かれています。

聖書では、未来について、神の玉座であると説かれています。

スピリチュアルの方は、西暦何年はどうだのこうだのが大好きのようですが、未来をどうこうしようなど畏れ多くて小職にはできません。

未来なんぞ知ろうとせず、今現在、精一杯人知を尽くして、あとは、天に任せてリラックスしていればよいのではないかと思います。

科学の特徴の一つは再現性ですから、前後関係をほぼ正確に言い当てることができます。科学の良いところは、未来を正確に知ることが出来て、意志の力で望まない結果を避けることもできますが、避けたからといって酷い代償を背負うことはないような気がします。

スピリチュアルを使わないからですかね?

なので、皆さんの幸せを願う者としては、もうちょっと科学にも目を向けていただきたいのです。

スピリチュアルには質的なものがあるようにも感じています。

ケアンズのスピリチュアルは、未来を知ろうなんていうのにスピリチュアルを押し込めるのではなくて、もっと広大なスピリチュアルと同調するのだろうと感じています。

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休む

2015年06月26日

そろそろ夏休みなので、ケアンズ旅行をおすすめしよう!と思います。

 

最近、漢字には表意文字の要素があって、素直に捉えると本来の意味を示してると深く感じることがあります。

 

「休む」という語がありますが、周りを見ていると、みんな本当に休んでいるのかなぁと考えることがあります。

 

休むというのは、木に寄り添う人の絵から変化した文字だからです。

 

イメージ的には、これです。

 

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ケアンズに来たらいろいろ動き回るのも良いですが、一日くらいはヤシの木陰で、こころが流れるままを見つめながら、一日のケアンズの変化を楽しむのもケアンズ療法からはオススメです。

 

ただ単に仕事や学校に行かないのは、確かに休むでも通じますけれども、どちらかというと欠勤や欠席というほうが本来の意味に近いように感じます。

 

いつも、働きすぎないこと、ストレスを避けること、リラックスすることをすすめているのと、外見上余裕があるように見えるのか、遊んでばかりいるように思われる方も多いかもしれないのですが、先日妻より、「あなた今月2日しか仕事が入っていない日がないわよ」と言われました。

確かに6月は平日の通常勤務に加えて、17回の当直、オンコール、2回の講演と通常の仕事が終わった後や土日にも結構仕事が入っていました。

 

以前はこれくらい仕事をするとかなり追い込まれていたのですが、最近はあまり苦を感じません。

 

その理由は休むことが出来るようになったからです。

 

自然からエネルギーを頂ける感受性が開発されたからなのかなと有難味を感じています。

 

ただ木の下に身を置いておけばいいという物理的距離だけではなくて、精神的な面でも木や自然に近づかないとダメなんだろうとも感じます。

 

移動中に週一回は木に囲まれた畑に寄って、1、2時間の野良仕事が出来るように仕事先を選んだりと、休める工夫もしています。

 

最近は、日本ではまだ珍しいアーティチョークを育てたり、

 

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蔓延って、猛烈にアピールするフキやドクダミを、サプリメントや薬草の代わりに使わせていただいたり、

 

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大きさや色合いは素朴ですが、風味が濃厚で雑味の少ない、シュタイナーのいうアストラルのエネルギーに満ち溢れた野菜を頂いたりと、楽しく休んでエネルギーを短い時間で急速チャージしています。

 

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ケアンズはこころを耕して、この感受性を開発してくれるようにも思うので、夏休みはぜひともケアンズへ!

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スピリチュアルと科学

2015年06月10日

今月は、製薬メーカーの社内勉強会が重なり、2社引き受けています。

数年間より、こころのうち、魂やスピリチュアルを相当の労力をかけて探究してきましたので、そこそこクリアになってきました。

探究の中で、祈ることが治療に有益であるという論文が発表されているのを見つけました。

そしてその結果は、多くのスピリチュアル愛好家の間で引用されています。
十人十色ですが、大抵は自分の説を通すために都合のよいところだけ抜粋されて・・・

スピリチュアルがどちらかというと嫌いなのは、スピリチュアルそれ自体が目くらましになり、スピリチュアルが見えなくなってしまうからです。

こういう弱い心が、おかしな念だか魔のようなものの侵入を許し、たとえば2012年にみんな死ぬだの、変な終末論を公言するようになると思うのです。(これで過去に一度、途轍もない能力を持った癒し手さんと、すごい力をお持ちなのに本当にとても残念ではっきり言わないと伝わらんと思い、喧嘩になったことがあります)

で、何が問題かと言いますと、1996年に「Cardiologist Studies Effects of Prayer on Patients.」というタイトルで発表された論文です。

二重盲検法という、きちんとした手続きを踏まえて行われた医学調査でした。

CCU入院患者393人を下記の二群に分け、経過が追跡されました。

A群 192人
全国のローマ・カトリックとプロテスタントの教会から募集された祈り手に、患者の名前、病状を伝え、毎日その人のために祈ってもらう。祈り方は自由。

B群 201人
コントロール群

その結果は、抗生剤の使用、肺水腫、気管内挿管で、祈りを受けた群のほうが少ないという結果でした。

ここまで読むと、全知全能なら0にしてくれればいいのに、完全に0にならないところに、哲学や神学でいう「気まぐれな神様」という言葉が頭に浮かびます。しかし、素晴らしい結果です。

大体、スピリチュアルの皆さんはここまでの結果しか伝えていません。そして、スピリチュアルは素晴らしいというのです。

有神論者 vs 無神論者のような、有神論者の無神論者への攻撃のような念を感じてあまり好きでないのです。

しかしですね・・・

きちんと論文を確認すると、一番大切な死亡数には有意差が出ていないのですが、だれもそれには触れないのです。

では、追試はどうかと言いますと、2006年に発表された「Study of the Therapeutic Effects of Intercessory Prayer (STEP) in Cardiac Bypass Patients: A Multicenter Randomized Trial of Uncertainty and Certainty of Receiving Intercessory Prayer.」という論文です。

こちらでは、祈りを受けた群、祈りを受けなかった群、さらに祈り手がいることを伝えられ祈りを受けた群の三群に分けられました。

その結果、全く有意差が出ませんでした。

なんとなく、聖書に書いてある、「試すなかれ」という戒めが頭に浮かびます。

この論文を発表したのが、ハーバートベンソン先生です。どちらかというと、スピリチュアルを推している先生です。

都合のよいデータが出ないと、統計処理の方法を変えてなんとか有意差を出そうと四苦八苦したり、発表しない先生も多いのですが、この論文を見て、きちんと自分の立場と反対の事実も公表するこの先生が大好きになりました。

科学者は事実に公平でなければならないし、こういうのを合理主義といいます。

信じることも、疑うこともせず、ただ目の前にあるもののみを見つめること。

それによって、こころが穏やかで、波のない鏡のような水面のようになっている時だけ、宇宙とつながり祈りが通るような気がします。

小職はまだまだ修行が足りませんけれども

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読書会

2015年04月26日

読書会にお誘いいただきまして、講演テーマの「生活を楽しむと長生きできる」について、身体と精神と魂の調和についての視点から話をしてきました。

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(髭はケアンズにシェーバーを持っていくのを忘れ、楽しくなってそのまま伸ばしはじめました)

 

大きい会場よりも少人数は楽しいです。和気藹々と意見をお伺いできるし勉強になります。

 

今の自然医学はおおむね機械論を採用しています。

 

機械論とは行動学の祖、O.D.ヘッブの言葉を借りれば、「さし当り、ひとが魂を信じようと信じまいと、まずそれが存在しないと仮定しておくことである」です。

 

注意しなければいけないのは、否定ではなく仮定なのです。

 

 

魂が捉えどころがなく、見ることも触ることもできず、理性の承認に乗らないからといって盲目的に否定してしまうことは、合理主義的な科学者のすることではなく、盲信です。

機械論を盲信するところから、人を細胞や臓器の集まりとして扱うようになるのではないかと考えるのです。

 

医者もそろそろ、魂があるのかもしれないという選択もカバーして、診療に当たらなければならないのではないかと日々考えています。

そのほうが、患者さんとの些細なトラブルも減るし、治療効果も上がるように感じています。

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ベジタリアンになるとどうなるか?

2015年04月18日

今の時期山菜があまりにも美味しいので、肉食系が果菜食系になると、どのように変化したのかを書いてみようと思います。

昔の小職をご存知の方ならよく知っていると思いますが、肉魚好きでした。

皮を香ばしく焼いたスープ仕立ての白身魚とシャブリ、ジビエとコートデュローヌなんて最高です。
最高なのは知っていますが、自分で野菜を作るようになってから、目の前に出てきたお肉、お魚は有難くいただきますが、自然野菜のあまりの美味しさに目覚め、半ベジタリアンになりました。

草食系楽しいのに、マクロビオティックとか極端なドグマティズムが出てきたのを残念に思うのが、ちょっと書いてみようと思った理由です。

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野草は鑑別できないと命にかかわる。野菜に含まれる自然毒に注意するようになる。
その点、果物は比較的安全でビタミン、ミネラル豊富なので、地産の果物の摂取量が増える。

カリウムの作用などもあるのか血圧が下がる。

血糖値は少しあがったが正常範囲内。

コレステロールが下がる。

身体が軽くなる。

無駄な贅や筋肉が落ちるのか、有酸素運動をしても昔ほど疲れない。ビリーブートキャンプではほとんど汗もかかなくなった。

身体から臭みが抜け、呼吸をするたびに吐く息から爽やかな香りがして心地よい。フラボノイドかな?

種類が豊富なので、おかずがバラエティーに富んで楽しい。

嗅覚が増して、味覚が鋭くなるので食事が楽しい。そのため量を食べなくても満足できる。

味付けも薄くなる。うどんや素麺なども小麦粉の香りだけで満足になり、つゆは麺の塩気だけで十分になった。

しかし、クミン、コリアンダー、フェンネル、クローブ、ベイリーフなどなどスパイスはウェルカム。

ドレッシング、塩、オイルなどもあまり使わない。

食費が激減し、お金を使わなくても生きていけることがわかり安心感が増す。

殺して食べているという罪悪感が沸かない。植物は収穫しても枯れないことも多いし、なんとなく許してくれそうな懐の深さを感じる。犠牲になってくれた動物には以前より感謝するようになった。

そういうこともあってか瞑想中以前よりも雑念が沸かない。

肉食の方から肉を食べるよう、よくご指導をよく受ける。

外食で美味しいお店を探すのが大変。自然と自分で調理するようになる。

回転寿司なら納豆巻き、オクラ軍艦、芽ネギ、生のりなどでしのげるけれど、カウンターは白けるので避けたい。

焼肉とか刺身はできれば遠慮したいけれども、肉や魚を本当に美味しく出すシェフや板前さんに出会うとその技術に感服する。

 

などなど、ベジタリアンの喜びです(^^)

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自然療法波高し

2015年04月04日

ケアンズ滞在中のある日、昼寝をしていたら、妻から声をかけられ何やらものものしい雰囲気。

「息子の咳が激しくて止まらない。普通の風邪の咳じゃない」と。

数日前に咳が出ているのに、プールで遊びたくて遊びたくて止めるのを聞かずに無理をしてプールに入り、少し遊んだところで、普段なら自分からは決してプールから出るとはいわないところ、寒いから出るといっていたことから、心配をしていました。

やはり・・・

翌日に39度の熱が出ました。熱だけだったのでこのときは様子を見て、次の日には平熱に下がりました。しかし、さらにその次の日に熱はないものの、咳が酷くなってしまいました。

咳などの自律神経系が影響している症状の時には、まずは安心をさせることです。それだけでよくなることも多いのです。

心配している大人たちに囲まれたら、子供はビビリます。大人だって不安になるかもしれません。

不安を与えて何もよいことはありません。

聴診器がないので、まずは耳を胸に押し当て呼吸音を聞きます。幸い、肺炎のような音は聞こえませんが、わずかに喘音が聞こえます。

「ウイルス性の上気道炎メインで気管支炎や肺炎はあってもわずかだろう」と家族に伝えました。小職にとっては酷い咳を伴う普通の風邪です。

不安な人達から遠ざけるために、息子を抱き上げ安心させ、外に出てケアンズの爽やかな空気を吸わせます。

まずまず落ち着いたので、「様子見て大丈夫じゃない?」と家の中に戻ると、険しい表情の大人たちをみて、また咳がひどくなります。こりゃだめだ。

だんだん、「病院に連れて行け」の連呼になります。

『病院に行って誰が診るんだ?医者だろ?医者が大丈夫だって判断しているんだから大丈夫なんだよ』と思いましたが、『病気になったら病院に行く』が固定観念化されているので、病院に行くまで気が済まないのだろうなと思いました。

家族を責めることはできません。

行ってもあまりいいことがないので一応説得を試みます。

「病院に行けば2時間3時間待つかもしれない。そうしたら休養する時間がなくなってしまう。今の状態で病院に行ったところで気管支を広げる薬を使うくらいしか方法がない。この効果は一時的であまり解決にはならない。今の時点では有効な薬がないし、もう少し酷くなれば手を打たなければらないが今は必要ない。酷くなったらそのときに対応すればいい。今はゆっくり休ませることが先決だ」と説明しました。

それでも「病院に連れて行って」と懇願され、やれやれと救急病院に電話。

電話をすると、「とりあえず診させていただきますが、こちらで対応できない場合は総合病院に紹介させてもらうこともあります」と。

実はこれまで、ケアンズの家庭医にかかってもパナドールを処方されるだけで満足に診てもらえないという評判を聞いていたため、ちょっと疑心暗鬼です。

仕方ないので医師であることをつげ、「それほど酷くなさそうなので、β刺激薬と、マイコプラズマかもしれないのでマクロライドの抗生剤を処方していただければ助かるのですが」と尋ねると、「事務員なので置いてあるかわからないのですが、先生の診察での判断になります」と。そりゃそうだ。

行っても無駄足になりそうなので、しばらく様子を見る旨を伝え一度電話を切ります。

「必要ならいつでもご連絡ください」ととても親切です。

「行ってもたぶん意味無いと思うけれども。どうする?様子見ない?総合病院じゃないと薬ないかもしれん」と家族に伝えると、「それなら総合病院に連れてって」と。

無茶言わんでください。ルールや手続きってものがあるんです・・・

四面楚歌はこういうのを言うんだろうなと思いました。

家の中には闇が漂い、このときには咳は最高潮に。会話すらできない状態です。

確かに、咳は酷くつらそうなので、すぐにでも止めてあげたいという気持ちはわかります。もし方法があるならそうします。しかし、方法がないから耐えて見守る以外に仕方がないのです。

息子に聞いてみます。「どうする?病院に行く?」と。

息子も大分辛そうではあり、ほとんどの大人がそういうのだから病院に行けば楽になるだろうと思ったのか、「病院に行きたい」といいます。

本人がそういうなら行くのもいいでしょう。

安心は病気を治します。

車に乗ると息子は安心したのか大分よくなってきました。診察室の椅子に座る頃には忙しいのに診察をお願いしたのが申し訳なくなりこのまま帰りますと言いたいくらいによくなっています。

しかし、わずかな喘音があるため、β刺激薬のネブライザーを指示されます。

小職はあまりやりたくなかったのですが、息子は水蒸気を見て、煙が出てると楽しそうです。

どちらかというと、β刺激薬の薬効よりも、ネブライザーの儀式的な煙のワクワク感のほうが効果が大きそうです。

その場では効果がありましたが、会計を済ませて車に乗るときには元の木阿弥です。

家に戻ると、「病院にいったんだから安心ね」と。家を出るときと息子の咳はまったく変わっていないのに・・・

「酸素投与してきたんだろう!」と。酸素足りているのでまったく必要ないし、あまりの的外れに力が抜けます。第一酸素じゃ上気道炎は治りません。

この世の中では、概して正しいことよりも、感情にもとづく直感のほうが尊重されます。

常識や知識に基づく正しいことをいうと、冷たいといわれ非難されることもあります。

大体の人は、何もしないで見守るということができません。何かをしなくてはいられないのです。

しかし、看病とは自分がしてあげたいことをするのではなく、患者がしてほしいことをすることです。ホスピタリティです。

夜も遅くなったので、とりあえず寝かせようと思いますが、家族が布団をかけたり、水分を促したりしています。

息子を見ると、ほおって好きにさせてほしそうです。

「もう、いいから。好きにさせてあげて!暴れているけど、そのうち疲れて寝るから」

家族が寒くなるからとタオルをかけようとすると、息子は嫌がり暴れます。そして、咳を出します。寒くなる朝の心配よりも、暑い今の快適さのほうが大切です。

おねしょが心配だからとオムツをはかせようとしますが、無理にはかせようとするのに抵抗して咳を出します。今はおねしょの汚れよりも、寝かせるほうがずっと大切です。

「オムツははかせなくていいから。もう寝かせてあげて」と自然に口調が荒くなります。

これにはもう、仏のヤッシーも大分腹が立っていました。

もう息子が不憫で、心が折れて、泣きたくなります。

気持ちはわかるのですが、思いやる気持ちがあっても、方法が正しくないとよくならないのです。この世の中の法則は厳しいのです。

一抹の心配もあり、呼吸の管理もしたかったので小職が息子と寝ることにしました。

寝室にベッドの上で息子と二人になると、息子は身体の置き場がなさそうで、激しく咳を続けながらベッドの上を暴れまわり、足をばたつかせ、小職は背中でそのキックや踵落しを受けます。

自然に任せると、5分もしないうちに寝息を立て、咳は止まります。

睡眠で自我が止まると咳も止まるのです。

息子の寝息を聞きながら、喘音が酷くならないことを祈ります。

睡眠のサイクルは大体1時間半。睡眠が浅くなったときに咳が出ることが考えられるため、そのときにできるだけ睡眠を維持させてやることが大切です。

そして、寝ている間も、息子の呼吸が浅くなると、小職がゆったりした深呼吸の呼吸音をたて、深い呼吸にリードします。

暴れたときはキックを背中で受けて安心させてやります。

このような感じで、なんとか3時間くらい寝たところで、息子は起きてしまいました。しかし、多少なりとも休めたのかずいぶん元気になっていました。

今度は、ママがいないつらさです。子供はまだ見えないへその緒で母親と繋がっています。パパではダメです。

それを察した妻が起きてきて、息子を抱き、あとは一緒に寝ます。

翌朝には大分よくなりました。

蜂蜜をなめさせ、息子が大好きな肩車で庭を散歩し、ケアンズの朝の爽やかな日差しと風と香りに当て、治療完了です。

そして、「薬を飲ませなくていいの?」と聞かれたので、もう説明するのも疲れ果てて面倒になったので、万一のときには使おうと考えて、処方されたステロイドを隠していました。

その結果、一度のネブライザー以外にはとくに薬を使うこともなく、予想よりも早くよくなり無事帰国もできました。B787の空調が優秀なのも助かりました。

結局のところ無駄足で、私たち家族は夜の3時間を失い次女は風呂に入れず夜更かしになり、保険会社は200ドルを失い、当直の先生の忙しさが増しました。

最後に悪い評判を聞いていた、ケアンズの医療レベルです。

日本の医療はすぐに採血やレントゲンに頼ります。しかし、今回の先生はしっかり息子の症状をみて小職と同じ診断を下しました。

治療方針は小職の考えとは違いました。しかし、これは帰国を間近に控えた旅行者のことを思えば、そういう処方をしてくれるのは親切ともいえます。

確かにステロイドを使えば、すぐに咳は止まるでしょう。

しかし、小職にとって価値があるのは、帰国よりも息子の生涯の健康です。ステロイドは強力な抗炎症作用を持つ一方で、さまざまな副作用を持ちます。

ここで、下手にステロイドで誤魔化しをすると、症状を固定化させ慢性化するリスクがあると小職は考えます。(数日間の使用なので、この考えを否定する医師も多いと思いますが、肯定する医師も多いと思います)

飛行機に乗ることができずに帰国を遅らることは、多少の痛手ですが、追加の航空料金を負担すればよいだけのことです。

今回の先生はしっかりしていました。そして、家庭医でパンドールをみて様子を見ろと言うのは、何もしなくても大丈夫だという診立てでしょう。

自然治癒の効果はただ単純に病気が治ることだけではないと考えます。

行動学では、快は報酬として働き、不快は罰として作用します。快は選択され、不快は回避されます。

痛い目にあい身に染みているからから、その後もプールに入りたいとは言うけれども、酷くなるからやめたほうがいいというとすぐにあきらめるようになりました。

いくら親が厳しく叱り付けるような罰を与えたところでところでダメです。子供には経験がないから原因と結果の関係をあまり理解できません。自分の選択の結果を身をもってつらい思いをしないとダメです。

薬で誤魔化して症状を止めてしまったら、また同じ過ちを犯すでしょう。

痛みや辛さはしっかりと受け止めなければならないのです。

これも自然の深いこころ、自然療法の効果だと考えています。

最近自然療法という言葉が独り歩きしているようにも思います。

自然療法というのは正確な医学的知識と判断、患者さんを全人間的に見る能力、時間と忍耐と予定を延期する勇気と追加のコストを負担する覚悟を必要とする療法です。

最後に診察してくださった先生と対応してくださいました事務員さま、予約をしていてキャンセルをしたにもかかわらずバースデーケーキの手配など快く対応してくださいましたケワラビーチのレストランに深く感謝します。

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おいしいスイカの見分け方

2015年04月03日

ヨガの本には、人間は果物を見たときに最も唾液が出る。だから、人間はもともと果食であると書かれています。

糖質制限で検査値が全て正常になったなんて話も耳にしますが、小職は糖質制限なぞしなくても検査値は全て正常です。

果物を食べられない生活なんてイヤです。

 

ケアンズのトロピカルフルーツ最高ですよね。

 

そこで、ケアンズ滞在中に青果店でよくスイカを見かけたので、今回はおいしいスイカの見分け方をお伝えします。

 

昨年スイカを作ったのですが、

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持ち上げても、コンコンたたいてみても、さっぱり収穫時期がわからずにいたときに、朝起きるとカラスが連絡を取り合ってカアカア鳴いていました。

狙われている雰囲気が濃厚に漂っており、直ちに収穫しました。

 

ごめんね。カラス。

 

他の果物も絶妙なタイミングでつついてゆくのですが、野生の感覚は鋭いです。

そのスイカをいただいてみると、今まで食べたスイカの中でもっとも美味しい絶妙の熟れ。

皮の白い部分と果肉の境目まで甘いのです。

 

そこで、気がつきました。

 

カットしてあるスイカは、皮の白い部分ができるだけ薄いものを買うこと!

 

です。

 

なお、スイカは追熟しないので、買ったらなるべく早くお召し上がりください。

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秘薬パナドール

2015年03月31日

現在ケアンズに滞在しています!

予知能力のように、数日前から友人たちと話をすると、なぜかパナドールという万能薬が必ず処方されるとしょっちゅう話題に上がっていました。

昨夜息子が激しい咳を出し、呼吸音から、上気道炎メインの軽い気管支炎だろう、ちょっと喘鳴と区別に悩む喘音(ストライダー)があり、本人を安心させてほっとけば治るし、通院の2,3時間で疲れるので休んだほうがいいと言ったのに、どうしても病院に連れて行ってと家族から懇願され、そのものものしい雰囲気でさらに咳が悪化し、まあ、確かにちょっと激しかったのでSPO2(血中酸素濃度)をチェックしたかったし、これもいい経験とはじめて海外の診療所にかかってきました。

その結果・・・

秘薬パナドールゲット!!!

ま、解熱鎮痛薬です。

熱なかったんですけどね・・・

診断書には喘息って書いてあるんですけどね・・・(慎重投与)

世の中そんなもんで、大人の事情なのでこれ以上は触れません(´・ω・)キリッ

と思っていたのですが、あまりにもおかしな話なので処方箋を確認してみたら、どうも薬局で勝手に追加されたようです。

そうだよなぁ。しっかりした先生だったのにこんな処方するわけないよなぁと納得。

というのは、日本で喘息と診断したのに解熱鎮痛薬を処方して喘息が悪化すると、法的な部分も含めてかなり不味い立場になります。

医者が後で激怒するパターンなので、親切で教えてあげたほうがいいのか、外国の医者がしゃしゃり出るのも良くないと思うのでこのままスルーしたほうがいいのか悩みましたが、角が立たない方針を選択です。

あと、β刺激薬とステロイドを処方されました。

これは、合理的な処方なのですが、いろいろ副作用もあるので私は使わない派です。

家族にバレると無理やり飲まされるので、どうしようもなくなったときの虎の子にしようと隠しました。

一人だけ薬のメリットデメリットがわかるとそれはそれでいろいろと大変です。

今日はまあそこそこ回復して、少し安心です。

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「夢」

2015年02月03日

なんともなしに黒澤明監督の「夢」を借りたのですが、偶然今一番必要としているものだった。さらに偶然にも鬼の話まで出てきて、節分に何かのメッセージか?

最後の夢の、「水車のある村」に登場する、仙人みたいなおじいさんの台詞。

「あんなもの(電気)はいらない」

「暗いのが夜だ。夜まで昼のように明るくては困る。星も見えないような明るい夜なんていやだね」

「まず人間に一番大切なのは、いい空気や綺麗な水、それを作り出す木や草なのに・・・。汚された空気や水は人間のこころまで汚してしまう」

「本来葬式は目出度いもんだよ。よく生きて、よく働いて、ご苦労さんといわれて死ぬのは目出度い」

「実はあの死んだばあさんはわしの初恋の人でな。わしに失恋させてほかのやつのところに嫁に行っちまったんだがね。はーっはーっはーっは」

「あんた、生きるのは苦しいとかなんとか言うけれども、それは人間の気取りでね。正直生きているのはいいもんだよ。とてもおもしろい」

と、ひとつひとつの台詞が、そのとおりだ、そのとおりだとこころに深く染み入る。なんどもなんども繰り返してしまった。

自分が大多数の人と違うので、ずれてておかしいのかもしれないと思っていたけれども、世界の黒澤監督がそういうんだから間違いないだろう。

こういう村作ろう。

自然では雑草が強すぎて、こんな花の咲いた綺麗な村にはならくて、現実は厳しいけれども頑張ろう。

でないと病気なんかなくならん。

厄明けるけど、今年は暗殺剣なので一気にアクセル全開にしないでじわっとゆっくり。

どうか正夢になりますようm(_ _ )m

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健康とマタイの法則とケアンズでの結婚式

2015年01月31日

厄明けカウントダウンでハッピーになっていたら、マタイの法則というものがあるのを知りました!

これは、新約聖書マタイ伝13章12節の「富める者はますます富み、貧しき者は持っている物でさえ取り去られるのである」から来てるそうです。

ケアンズで結婚式を挙げたときに、結婚の誓いを暗記したのですが、そのときにこの一節が含まれていたので、こころに深く刻まれているのです。

ほーそーか。やっぱりそーなんだと感じ、心医術のエッセンスにもなっています。

健康において、科学は明確に、このマタイの法則が真実であることを明らかにしています。

引き寄せの法則とか、マーフィーの法則とかも、マタイの法則と結局のところ一緒ですね。

いつも楽しく、今あるものに感謝して、喜びに満ちた生活していれば、健康が増進するし長生きします。(エビデンスは心医術に書いてあります)

昔は宗教って言うと、なんとなく反発したい気分になり、nature or mature、すなわち、もともと自然がそうで、聖書はその真理を記しているのか、それとも、原型をとどめているかどうかもわからない歪みきったキリスト教文化が世界制覇したために、世界がそのように成熟したのかと考えたこともありましたが、ま、どっちかわからんけど実際そうなんだから仕方ありません。

richになるのは簡単ですよ。

資本主義はお金がお金を生み出すのでモロにマタイの法則ですが、お金はrichになるために少しは役に立つかもしれません。しかし、お金の奴隷になればpoorになりますよね。

物質のエネルギーレベルは低いです。

richになるためには、自然なこころの温かさが満たされればよいのです。

根源的なところでは、存在していることだったり、息を吸えることであったり、周りの環境に目を向ければ、日差しや風や自然の緑が爽やかだったり、夜の星がきらめいて綺麗だったり、海の波の音がシャワシャワして心地よかったり、愛する家族がいてくれたり、誰かが親切にしてくれたり、患者さんが病気治して感謝してくれたりするのを喜んでいれば、間違いなくricherになります。

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どこの病院にいっても治らない!はケアンズ療法の射程内

2015年01月07日

先日、3/500という記事を書いたのですが、その後、一年間それだけの仕事しかしていなかったのか?という疑問がわきました。

理想が高すぎて、どうも出来なかったこと、これから達成してゆくべき目標に意識が向きやすいのか、出来たこと、達成済みの目標にはあまり関心が向かない厄介な性格なのかもしれません。

そういう目で見ると昨年は、「何年もの間、どこの病院にいってもずっと下痢が治らない、咳がとまらない」「他の医者から、あんたその痛みはもう治らないよといわれた」「子供の頃から何かわからないけれどもテレビをみると顔が火照り、動悸がしてつらい」「物忘れがひどくて認知症の薬を処方されたけれども治らない」などなど、現代医学の射程範囲外の不具合を治すことができるようになってきました。

最初の症例は、ありとあらゆる心配事で気をすり減らしていたので取り越し苦労をやめること。つまり、神様以外には解決できない問題を心配してもどうにもならないこと。気という概念と、気を大切に使うようにすることを教え、次の外来の時にはすっかり完治。

2番目は、医者はこういう呪いをよくかけます。大学病院をすぐに離れようと決めた理由のひとつは、患者さんに病状を説明するときには「厳しく話せ」とよく言われたからです。それでないと、治療に失敗したときに訴えられるというのです。テレビドラマで「あなたの命はもってあと3ヶ月だ」とかいうやつです。私はこれが本当に嫌いです。世の中には奇跡的治癒もあるのに。子供の頃から精神の不快な緊張が、身体の調子を崩すことに気づいてましたから、病状の説明は、変な修飾で、余計な不安や過度の期待があおられることのないよう注意を払うこと、患者さんの希望をなくすことはせずに、安心させること。ずっと、そうしてきましたが、それが理由で訴えられたことはありません。訴えられるかもしれないなどというくだらない理由で健康を害するなんて本末転倒もいいところです。今回は、この呪いを解くことで、治ってしまいました。

3番目は、話をよくよく掘り下げて聞くと、子供のときに自然災害での酷い出来事が(あまりに惨くてここで書くことは出来ません)原因でした。本人はそれが原因だと気づいているようですがなかなか認めたくなさそうでした。まずはその体験が原因であること。人には他人の不幸を自分のことのように共感したり、恐れる能力があり、意識下のレベルで起こる反応であることから、なるべくその体験と同じようなニュースなどの刺激には近づかないこと。自然災害は避けられないので、あまり気にせず、天に任せる以外にないこと。を説明したら治ることを確信されたのか涙を流していらっしゃいました。

4番目は脳の変化から来ている要素もあるのかもしれないですが、話を伺うと、酷い精神的なストレスを抱えていました。そのため大部分の原因は精神的なストレスから来る脳のワーキングメモリーのオーバーロードだろうと考え、肩の力を抜いて過ごすことを指示しました。その結果、次のときにはだいぶ回復していました。

などなど、よくよく思い起こすと結構いろいろな症例を治してました。

 

では、なぜケアンズ療法と関係があるのかといえば、これらの症例は、こころのアンバランスが原因となっており、ケアンズの環境には強いリラックス効果によってバランスを回復するメリットがあるためです。

 

実際にその場にいなくても、たとえば日本のオフィスで、ほかにも満員電車などでもよいですが、強いストレス下にあるときに、ケアンズにいることをありありと思い出すこと。脳の中では、ケアンズにいるときとまったく同じ領域が働いています。と同時に、リラックスによる好ましい反応が起こるためです。

 

慣れてくると、ずっとその状態を維持することが出来るようになってきます。

 

自身の体験では、このような状態になると食事の量や呼吸回数が著しく減ります。

エコモードです。

 

その理由を科学論文に求めると、このようなときには、酸素消費量が減少(20%弱程度)することもわかっています。

あらゆる疾患、痛みなどの不具合に効果があることもわかっています。

 

そのためリラックスした体験を多く持ち、いつでもそれを再現できることは、健康のためにとても大切なのです。

 

厄があけたら、こういう現代医療の射程外の不具合を治す仕事に比重を置いていこうと考えています。

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2015年01月02日

明けましておめでとうございます。

ケアンズは夏真っ盛りでしょうが、日本は真冬です。

写真

今回の正月は多分10年ぶりくらいになると思いますが、大晦日に仕事がなく、家族と過ごし初詣に行くことが出来ました。

そのかわり、昨夜より4日間の当直業務です。

 

初詣のあと当直出張に向かうのに、家族が駅まで見送ってくれたのですが、やはり寂しいです。

 

娘は別れたあと大粒の涙を流し、息子は寂しい・・・といっていたそうです。

家族と別れたあとに、1時間に一本のローカルな単線の車窓からみる、山間に雪のまう景色は、これからずっと家族と離れ離れで遠くに暮らすようなイメージで仰々しく感傷的でしたがそんなことはないです。

 

とはいえ、病気がなくなれば正月に仕事に行かずにもすみ、こういうこともなくなります。

 

「この世から病気をなくす!」を目標にしておりますが、昨年は少しづつ成果が現れるようになってきました。

 

まずは自身で成功。

自然治癒力の範囲で収まるようになってきまして、検査値もすべて正常になりました。

厳密に言えば、水も味噌も蜂蜜も米も油も食品添加物などなど大気中の物質に至るまで、身体に取り入れるものと取り巻くものすべてに薬理作用があるので、自然と人為の線引きは無理だと思いますが、自然治癒というのは最小限の人為的介入で病気を治すことだと考えています。

 

外来で500人くらいの患者さんを受け持っていますが、今までアルコール依存やニコチン依存があり、異常値のオンパレードだったのを、酒や煙草をやめさせ、生活習慣を改善し、薬を全部やめても正常を保つことができている患者さんが2人。

 

昨年は私を含めて3人で、「この世から病気をなくす!」を達成しました。苦節○年。やっと3人です。

 

しかしながら、生活習慣病の薬は一度飲んだら一生続けるが当たり前のようになってしまっていることから、数人の成功でも大きな成果です。それほど習慣は頑固で改善が難しいのです。

今後に期待で、他にも部分的な成果があり、改善途上にある患者さんも多くいらっしゃいます。

 

聖書に、悪魔は身体から離れると何日か砂漠をさまよい、さらに強力な悪魔を引きつれて戻ってくると書いてありますが、本当にそのとおりだと感じるような、一度よくなってもまた元の生活に戻ってしまう方もいらっしゃいました。

 

こういう視点で見ると、根性のない悪魔さんは、負荷の大きいブートキャンプのような運動を1クールもやれば大体出てってくれるのですが、なかなかブートキャンプ1クールに耐えられる身体づくりこころづくりが出来ていない患者さんが多いのです。

 

ビリー隊長が「身体を鍛えることはこころを鍛えることだ」といっていますが、患者さんに身体とこころをどう鍛えてもらうのか、どう伝えるのかが今後の課題です。

 

自身の飲酒量が激減し(翌朝だるくて運動できないと、気の循環が悪くなり不快な気分になるため、あまり飲みたくなくなった)、煙草はもともと吸いませんし、肉を食べる量も激減して(肉を食べると身体が臭うし雑念が出やすく瞑想に集中できないため)結果的に健康に悪いといわれている動物性脂肪の摂取も減りました。

 

少しづつ現在の方針での治療が進歩していることから、患者さんの病気を無くすには、治療者自身が成功していることも大切だろうと考えています。

 

治療者が健康的な生活を送れず、患者さんも自分と一緒と考え、どうせできっこないと信じ込んでいたり、まあこのくらいなら上出来だ、などと誤解していると、そういう態度は無意識に患者さんにも伝わるのだろうと思います。

 

患者さんも、丸々肥えて酒焼けした先生を前にしたら、色々言うけどあなたはどうなの?と感じるでしょう。

 

病気が無くならないのは儲けたい医者や製薬会社の私利私欲、陰謀だなんていう人もいますが、そんなに楽に無くなるもんじゃないです。

治療者は病気がなくなったら生活が出来なくなるなんてセコくて小さいことを考えていてはダメです。

こういうことを考えていると治療者自身も患者になります。

 

現在の日本の医療費はおよそ40兆円。

無駄はそれだけではないです。

病院に通院すれば半日くらいつぶれるので時間的なロスや移動費のムダを考えたらもっと膨れ上がります。

このエネルギーを、真とか善とか美の分野に配分できたらすばらしい世界になるだろうと思います。

 

そういう世界では構造も変化しているでしょうから、病気が無くなったから生活できないなんてことは、まずありえないでしょう。

 

500/500を達成できるように精進してゆきます。

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健康診断結果

2014年12月25日

総務から催促があり、健康なので健康診断なんて受けなくてよいと言ったら、保健所からの指導などで労務管理の問題があるといわれ、無理やり採血なんて人格権の侵害だ、などと大袈裟なことを思いながらしぶしぶ受けました。

結果正常!(HbA1C5.7mg/dlで赤とかうちの検診センターの基準おかしい)

この時期はお歳暮を有難くいただくので色々と上がっているかもしれないと思っていたけれども、それでもOKでした。

 

IMG_20141225_160651457

 

ナイスなクリスマスプレゼントです。

 

今まで何しても下がらなかったLDLコレステロールは、夏のウイルス性筋炎で何かのバランスが取れたのか、その後より正常キープ。

病気をアンバランスを整えるための好転反応としてとらえる考え方もあるけれども、最近はそうなんだろうと理解できるようになりました。

 

以前毎日のようにお酒飲んでいた時でも、肝機能は正常上限でしたが、今はGOTで半分の15IU/lまで下がりました。正常範囲でも油断してはいけないということでしょうか。

 

これにはやはり心医術が貢献しています。

不摂生を避けるためには、日常生活の行動をコントロールしなければならないし、(怪しい健康法のような)間違った行動を選択してしまったら目も当てられないので、行動をコントロールする前には正しい知識も必要。

心医術は、栄養学、生理学などを基にした正しい知識と、行動学や大脳生理学分野の研究から組み立てた自分の操縦方法です。

心医術をどうか皆様のご健康にお役立てください。

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『死ぬ前に語られる後悔』トップ5!

2014年11月14日

こういうのを見ると、心の持ち方、ありかたひとつの重要さがわかるのですが、facebookを見ていたら、友人のページに「ナースが聞いた『死ぬ前に語られる後悔』トップ5!」という記事が載っていました。

http://iinee-news.com/post-126/

一部を引用させていただくと、

-----------------------

1. 自分自身に忠実に生きれば良かった

「他人に望まれるように」ではなく
「自分らしく生きれば良かった」という後悔。

Ware さんによると
これがもっとも多いそうです。

人生の終わりに
達成できなかった夢が
たくさんあったことに患者たちは
気づくのだそう。

ああしておけばよかった
という気持ちを抱えたまま
世を去らなければならないことに
人は強く無念を感じるようです。

2. あんなに一生懸命働かなくても良かった

男性の多くがこの後悔をするとのこと。

仕事に時間を費やしすぎず
もっと家族と一緒に過ごせば良かった
と感じるのだそうです。

3. もっと自分の気持ちを表す勇気を持てば良かった

世間でうまくやっていくために
感情を殺していた結果
可もなく不可もない存在で
終わってしまった
という無念が最後に訪れるようです。

4. 友人関係を続けていれば良かった

人生最後の数週間に
人は友人の本当のありがたさに
気がつくのだそうです。

そして、連絡が途絶えてしまった
かつての友達に想いを馳せるのだとか。

もっと友達との関係を
大切にしておくべきだった
という後悔を覚えるようです。

5. 自分をもっと幸せにしてあげればよかった

「幸福は自分で選ぶもの」だと
気づいていない人がとても多いと
Ware さんは指摘します。

旧習やパターンに絡めとられた人生を
「快適」と思ってしまったこと。

変化を無意識に恐れ「選択」を
避けていた人生に気づき
悔いを抱えたまま世を去っていく人が
多いようです。

-----------------------

ハイデガーは多くの人は死から目を背けたいために、空虚なおしゃべりをして過ごしているのだと言っています。

哲学に免疫のない素人さんにそんなに厳しいこと言うなよ、とも思いますが、死を受け入れた瞬間から生がはじまるというのは、心医術でも紹介している自身の経験に照らし合わせても事実です。

ああもう駄目だこのままだと死ぬ、けれども仕方ないな、と死を受け入れた瞬間に入るスイッチがどうも人間にはあるようです。

心医術では最善の生を目指そうというコンセプトがあり、最善の生に含まれる最善の死という意味で、キュブラーロスの死の五段階を解説しています。

死の五段階には批判もあり、大抵の人々は死を受け入れる余裕もないまま、何もわからないまま亡くなってゆくのですが、そのような人々への配慮の無さです。

また、多くの人は、この記事のような生活はまず無理だろうと感じるのかもしれません。

しかしながら、実際に死ぬとわかってから後悔してしまう人が多いというのもまた事実です。

ほんとうの自分や、あるべき自分に従うような実存的な生き方は、逆説的ですが、これをやらなかったら死んでもいいというほどの固い決心と覚悟が必要なのです。

根源的であり、死を覚悟してはじめて生が始まるともいえます。

ケアンズに来たら、一度、生と死について深く考えてみるのもよいと思います。

ケアンズは死も生も深く受け入れてくれるほどの懐の深さがありますから。

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プロフィール

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三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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