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考えるヨガ

2010年01月23日

今号のリビング・イン・ケアンズに「考えるヨガ」を掲載していただきました。

少し、説明を加えさせていただけたらと思います。

ヨガのひとつの目標は、アートマンである自己が、ブラフマンという宇宙の真理でもあることに気づくことです。その目標に到達する過程で、生命に関する認識を得ることで、不安や過緊張などのストレスに関連した疾病を、根こそぎ改善することができるとされています。1)

ヨガには色々な方法があります。

人には様々なタイプがあり、それぞれのタイプに合った方法があるのでしょう。

ヨガの方法のひとつに「考えるヨガ」があります。

常識までも、徹底的に、考えて、考えて、考えて、考え抜くこと。これは哲学です。

哲学のひとつの到達点もやはり、バートランド・ラッセルの言葉を借りれば「哲学が観想する宇宙の偉大さを通じて、心もまた偉大になり、心にとって最もよいものである宇宙と一つになれる」ということです。2)

さて、現在、私はこの道半ばにいるのですが、脳の機能からいえば、色々な事柄を、無意識の領域から、意識の領域に移すことが哲学だと考えています。

もう少しわかりやすくすると、例えば、本能的に当然と感じられる、「生きることの大切さ」などを、言葉で理解できるようになることが、哲学のひとつの到達点になります。そして、理解に基づく信念は、より強い、行動の原動力となるでしょう。

医師として診療をしていると、「どうして、生きることは大切なのだろう?」「誰かのために身を捨てることができることや、尊厳死のように、生きることよりも大切なこともあるのではないか?」という問いが生じることがあります。

これについて、哲学では二つの正反対の考え方があります。

一つは、「生きることの意義などは本来なく、理解することはできない」という考え方です。

もう一つは、「生きること自体」が意義だとする考え方です。

前者は個の範囲を、他者との関係性からはじまり、宇宙の真理といった無限のシステムにまで広げて考えるのに対して、後者は自己という、ごく限定された範囲で考えるわけです。

私は、これら、両方を合わせたものが真理だと信じています。

これは、個と全体の境界をつくらない、アボリジニの哲学や、ヨガの最終目標との一致を感じます。一方で、科学や哲学はどちらかに偏る傾向があるように感じます。

無限のシステムを考えるときでも、砂粒のように小さな個は見えなくなってしまっても、無限を構成する個の大切さを忘れてはならないはずです。

逆に個のことだけ考えた場合は、まったく完全性が不足し、真理とは程遠いわけです。

状況が変化し続けていることは、「世界」の法則です。

変化するものの中では、ある状況のときには、自己を大切にすることが必要になり、ある状況のときには、自己を、より崇高なものに捧げたいという欲求に駆られることもあるのでしょう。

したがって、状況の変化に応じて、バランスや調和を取り続ける必要があるように感じます。(科学では、より多くの遺伝子を残すことを絶対的な価値観として、ケースバイケースで行動が実行されるという、遺伝子継承の損得に注目した、わかりやすく便利な「包括適応度」という概念に収束しています。遺伝子=真理とするわけです。)

考えることで、ストレスによる病気が根こそぎ解決できるのであれば、医師という仕事柄、このような「世界」の法則を、治療的な方法やウェルネスのために役立てたいと日々考えています。

ひとつの方法として、ケアンズ滞在を「考えるヨガ」に役立てるというアイデアを持っています。

次のケアンズ滞在のために、「生きること自体」の大切さを、より「こころ」から感じることができるようになるために、一人の著者の二冊の本を用意しました。

V.E. フランクルの『それでも人生にイエスと言う』と『夜と霧』です。

フランクルの信念は、死よりもつらい状況にあっても、生きることは義務であるとするまでに、徹底的に「生きること自体」を肯定する考えだからです。

毎日、生きる実感を噛み締めながら生きていたほうが、「こころ」は豊かになるような気がします。

ひとつ大きな問題は、強制収容所という、あまりにも苛酷な環境と、死を見つめなければならないということです。

記憶には大きく分けて二つあります。

一つは実際に体験した記憶と、もう一つは、本を読んだりすることによって得られた、伝聞による記憶です。

フランクルと同じほどに、それを体得したいと考えたときには、共感や思い入れ、思いやりなどによって、フランクルの体験を、できるだけ正確に自分が体験したように変換する必要があります。

これは、ある種の危険を伴います。

しかし、幸いなことに、読書は、「こころ」に危険な状態になれば、自分と切り離して考えたり、そこで止めることもできるわけです。

そして、受け止めることができるまで成長したときに、また試してみればよいのです。

あくまで、個人的な経験ですが、ケアンズでこれを行うと、あまり「こころ」にダメージを負うことなく、より実体験に近づけるように感じています。

哲学を、治療やウェルネスの実現に役立てるというアイデアを、患者さんにも利用できるようになるには、まだまだ長い時間がかかりそうです。

しかし、より、「こころ」にダメージを負うことなく、「考えるヨガ」が最適な患者さんに、これらを理解してもらえるようになるような方法をいつか、開発したいと考えています。

そして、ケアンズは「考えるヨガ」を行うのに、理想的な場所になるのかもしれないと感じています。

参考文献)

1)上馬場和夫 (2007) ヨーガ(アーユルヴェーダの行動医学的治療法 その2) アーユルヴェーダとヨガ 金芳堂 pp.125-149

2)バートランド・ラッセル (2005) 高村夏輝(訳) 15 哲学の価値 哲学入門 ちくま学芸文庫 pp.186-195

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プロフィール

ymitsuiymitsui
三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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