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自己啓発のパワー
2014年01月09日
自己啓発はデリケートなので、今回は少し長いです(^^;
先人の格言を尊重したり、成功者の習慣から学ぶような自己啓発があります。肯定や実践する人の多いこともさることながら、自己啓発に対する批判も激しいものです。
こころには、よりよく生きたいと願い、現在の自分を壊そうとする勇敢な選択がある一方で、より悪くなることを心配し変えずに守ろうとする強く固い選択もあります。これらのどちらも面倒くさくてかったるく無関心を貫く選択もあります。
尊いものは、たいてい理性の承認を飛び越えて、ひとつの器に相容れない正反対を内包しています。
とはいっても、生まれながらの感覚的なものだけに流されて生きていると、実社会の中では不幸な人は不幸なまま、幸福な人はずっと幸福というふうな、よくある光景に出くわすわけです。
心医術は、現在の健康状態に不満を持ち、健康になるように理性と意志の力で自分を変えたいと決心した方に贈るものです。
そういう意味では心医術は自己啓発ですが、知識や意志の力だけでなく、情動という感覚的なものの双方を大切に扱っています。医学や理性に限界がある一方で、情動には限界という概念があてはまらないものの進化論でいえばアナクロで現代の人工的な社会生活とマッチしにくいことがわかっているからであり、どちらも不完全だからです。
自己啓発が出てきたのは、歴史の中で人間は自分で自分のことを変えることができることに気づいてからです。
現代人の認知・感覚と、過去の先人の認知・感覚が同じととらえるならば、それはひどい勘違いです。多くの人々が自分で自分のことを変えることができることに気づいたのは、歴史の中ではつい最近のことです。
それに先に気づいた少数の人々が大多数を差し置いて実践し大成果を占めてきた!というのが引き寄せの法則ですね。
世に広まるきっかけとなったのは、1900年代はじめにニワトリを観察した行動学の論文などではないかと考えています。
先日、子供と一緒に鳩にえさをあげていて、この論文の存在が頭に浮かびました。
米菓を一握りパラパラと放り投げると、我先にと鳩が群をなして集まってきます。
そこには序列があります。
体格の大きい個体が先頭をきり、中くらいのが中間を占め、痩せ細った小柄な個体は最後尾でウロウロしています。小柄な鳩は、やっとのことでえさにたどり着いたかと思えば、不慣れなのか可哀想に啄ばむのも下手糞でポロポロ落として横取りされたりで、なかなか口にすることができません。
それならばと考え、まず大きな鳩をえさでひきつけ、それを見計らって小さい鳩の目の前にえさを落とすと、それに気づいた中くらいの鳩と競いながらも、なんとか一粒口にすることができます。
えさをとるのが下手な小さな鳩にも行き渡るようにするのは一苦労です。
生まれつきの得手不得手か、もしくは偶然にもえさのとり方に早く気づいたのか、それだけのことで体格には大きな格差が生まれます。そして時間の経過とともに、より大きな鳩はより肥え、より小さな鳩はより貧弱になってゆくと考えられます。
自然には、体格の違いからくる優劣なんぞの良し悪しはないのでしょうが、人間にとっては良し悪しがあります。
人間にとっては、こういう格差の比較が、矮小な優越感や安心感からくる目暗ましの喜びだの、劣等感や嫉妬心や復讐心からの悲しみや怒りの根になっていると考えられます。
あまりよいものとは思えません。
いままでから現在までの境遇から自分自身のパワーで抜け出してやろうと将来を志向するのが自己啓発です。
先に紹介した行動学の論文で、次のような観察から、どうやら人間は意志の力で自分自身を変えることができるのだろうと考えられるようになりました。
ある研究者が、ニワトリの体格とえさの選び方に注目しました。量ではなく、質の問題です。体格の良いニワトリは、えさの選び方がうまく、体格の悪いニワトリは、えさの選び方が下手。
次に、研究者は、それならば体格の良いニワトリが選んだえさを、体格の悪いニワトリに与えてみよう!!と閃きます。
その結果は、おそらく皆様の予想通りで、体格の悪いニワトリの体格が改善されました
生まれながらの動物的カンのような、感覚的なものだけを頼りにしながら生きていると、行動パターンが同じだから、境遇はあまり変わらない。幸運なニワトリの境遇に生まれ、満足しきっている人は変わらくても結構なのだろうけれども、不満を持っているもう一方はずっと辛さを味わうことになってしまう。
ニワトリは研究者の介入によって、(人間の価値観では)より良く変わることができたわけですが、人間は自分自身でそれができます。
これが、自己啓発のパワーです。
そのパワーが矮小な野心が動機であったり、達成が歪んだ優越感や安心感と結びつくと、碌なことにはならないのですけれどもね。また物質や有限の世界では、そのパワーを利用して皆が同じようなものを欲しがると、これまた碌なことになりません。
変えなければならないような境遇が動機でもあることから、不満に強くスポットライトが当たることによる心理的オーバーロードも起こるかもしれません。未来の理想に恋焦がれると、現状とゴールとの距離感が強調されるためです。
そのため、そのようなときには忍耐の一文字が要求されます。
自己啓発はこころに働きかけるがゆえ、こころが鍛えられるのです。
自己啓発に出会うことや、動機までもが予定されていたという予定論、運命論もありますが、それはまたいずれ・・
これらが自己啓発の批判の理由になっているのかもしれません。
しかしながら、こころを耕すのは無限であり、こころの成長と開放を味わうのもとても心地よいもので、誰の迷惑にもならないように思えます。成功者に向けられる、他人に起こる幸運を妬む気持ちまで含めて考えれば迷惑が及ぶかもしれませんが、こういう気持ちも自己啓発の妨げになり克服してゆかなければならないものです。
最後に自分で自分を変えるなんてことに縁がなかったとしてもチャンスが全くないわけではありません。世知辛い世の中にあっても、苦しい境遇を何とかしてあげたいという目に見えない応援などの、愛や慈悲のような救済の後押しがあることも決してお忘れなく。
なぜそんなことがいえるのかという理由は、自身の振る舞いが野暮ったく下手糞な鳩ですのでよくわかるのです。
プロフィール
- ymitsui
- 三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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