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ケアンズとパブ

2007年09月10日

1.1878年のアボット通り。ケアンズという町ができて2年後、人々にバーバリーコースト(粗野なエリア)と呼ばれていた頃の貴重なショット。Boughton’s Hotel, Skiffins Hotel, Leichhardt Hotelといったパブが並んでいる。

2.1903年当時のアボット通り。アボット通りは最近までパブが立ち並ぶ通りだった。

3.ケアンズ鉄道開設工事中に作られたキャンプオーブンクリークホテル(1888年)。ほとんど手作業で山間にレールを敷く過酷な工事の骨休みの場所になっていたに違いない。

4.コートハウスホテル1950年代撮影

5.ドレスアップした人々が庭園に集っている。ハイズホテル。

 金港として選ばれ、ケアンズという町が正式に公認された1876年当時、鉱山で栄えた周囲の町(チャーターズタワー、パーマ−リバー、ホドキンソンリバー、クックタウン)を合わせると、アルコールを売る店が200軒以上あったと言われます。
この数は、女性や子どもも含めた36人に1軒の割合というから驚きです。
当時のパブはかなりラフで、殺人事件が起きることもありました。
ただ、金やスズの鉱山が衰えを見せ始めるとともに、定住者が増え、パブの様相も変わってきました。旅人の宿泊所であったり、人々の集まる場所として、またモダンなホテルとして重要な役割を担うようになっていったのです。
実際、パブというのはPublicからきた俗語で、人々の集まるこれらの場所は、正式にはホテルと呼ばれます。長い間、オーストラリア人の中では、単にお酒を飲むだけでなく、もっと広い意味で人々が集う場所として根付いています。
ケアンズという町ができた頃、当地を訪れていたシドニーモーニングヘラルド紙の記者は、「ケアンズのお店の数とホテル(パブ)の数はほとんど同じだ」と綴っています。
残念なことに、当時のパブのほとんどは1900年代の初めに消えてしまいました。
が、ほったて小屋的だったそれらのパブに代わり、次第にエレガントな建物が建てられ始めます。
例えば、1906年には、人々に「デラックス」と形容された“ストランドホテル”が建てられ、フランスにも劣らないと言われた食事を出し、重要なパーティー会場に。
そして現在もシティプレイスに残っている“ハイズホテル”も多くの集いが催される欠かせないホテルでした。
また、スペンス通りとレイク通りの角に1909年に建てられた"セントラルホテル"も、エレガントな造りで人気がありました。(現在も建物は残され、2階はナイトクラブになっています)
1924年には、スペンス通りとエスプラネードの角にホテルパシフィックが建てられ、当時ケアンズを訪れたほとんどの人はストランドかパシフィックに泊まったと言われるほどの人気を博しました。
けれども、1960年のはじめにストランドホテルが、1976年にパシフィックも取り壊されました。現在、この場所にはパシフィックインターナショナルホテルが建っています。
ケアンズの町の中には、ところどころに昔の面影を残す建物が残っているので、開拓時代から戦争前まで、人々をつなぐ重要な役割をはたしてきたパブの様子を思い浮かべてみてはいかがでしょうか。

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