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エッセー

ケインズのお父さんVol.90

2009年01月10日

ウワー、ハンサム!! 私の道場に新しく入門した青年を見た当時の日本人女性群。

手を打ち頬を染めて、囁き合ったものだ。

 

年の頃、24、5か。
3ヶ月程ケインズに滞在するので、その間稽古を見てもらいたい、という日本人青年。

 

スラリとした体付き。

私への受け答えも礼儀正しく、爽やかな印象を受けたが、と同時に、線のやや細い、繊細な感じの性格のようにも思えた。

 
稽古は熱心だった。

 

初心者という触れ込みだったが、動きの中に癖がある。

空手には様々な流派があるが、大きく分けて、伝統的空手とそれから派生したコンタクト系のニューウェーブ的空手になる。

 

伝統空手も流派により癖は異なるが、その動きではない。

コンタクト系の何かを噛ったナ、と思ったが、黙っていた。

 

どちらにしろ全くの素人より指導しやすい。

体の動きのスジは良かった。

 

あの時からもう7、8年経ったろうか。

 
その青年、別に働いている様子でもなかった。

「何をしにこの町にやって来たンだエ」ある時、聞いてみた。

 

答が振るっていた。

日本では出来ない色々の経験をして、人間性の幅を広げたい…とか。

 

この年代の若者らしからぬ答だと思った。
「日本で何をしていたンだエ」と聞くと、「俳優です」
そして彼が出演した映画の題名を何本か、サラサラと述べた。

 

日本の現状にあまり縁のない私には、まったく馴染みのないタイトルばかりだったが、何本かの主演作もあるそうだ。

出演しました、と言うところ、出させて頂きました、と言うあたり、青年の性格の一端が読み取れた。

 

空手の稽古は、映画のアクションシーンに使える体の動きを勉強する為、らしい。
私はこの年になるまで、その時代の社会の動きとか話題、流行等にまったく無頓着な人生を送ってきた。

 

興味がないのだ。
朝稽古は10時からだから、朝はユックリと起床する。午後は5時から稽古。それまでは私の自由時間。

 

こんな生活を33年間、続けてきた。
時間が止まっているかのように静かでノンビリしていたケインズの町。

 

ある日突然、日本人が大挙して押しかけ、開発業者が入って土地の値上がりが始まった。

 

コンピューターが必要不可欠な文明として定着し、携帯電話なるものが当たり前のように普及し、今頃は持っていない人間の方が珍しくなった。

 
生活は派手に何とも便利になってきたけれど、その反面、人々は止まっていたかのようにゆるやかに流れていたケインズの時間を見失うようになった。時間や機械は人間が創ったものなのに、知らぬ間に、人々は人間の創った物に支配される生活になってきた。

 
贅沢になった物質への憧れは、人々の出費を促し、以前のように亭主だけの収入では食えなくなり、共稼ぎが増えた。

 

生活のリズムが変わってくると、それは人々の精神面へのストレスとして蓄積されてくる。

 

これに拍車をかけるのが、必要以上の人権への主張と保護政策。権利を与えるという事は、その背後にしっかりした責任観念、義務感があってこそ、生きてくる。

その観念なくしてのママゴトのような権利の主張は、無責任なモラルの低下を助長するだけだ。

 
こんな時代の推移の中にあって、私は相変わらず33年間培った私の時間の観念の中で生きている。

 

ただ年をとるにつれ、忙しくなってきた。

自分の仕事ではない。

全部、他人の頼み事の為だ。

 
コンピューターは、私の頭には複雑過ぎる。

 

メイルの受け渡しと、MYOBのアカウントにしか使用出来ない。

 

日本語のメイルはまだうまく送れないが、別に不自由していないので、下手な英文で用は済む。
携帯は費用を毎月支払っているものの、使ったことがまずない。

持つのは面倒臭いし、オフィスにいるのならともかく、他所で何かをしている時に、他人の声に邪魔されるのは嫌だ。

 

それを便利と考えるかどうかは、時間というものに対する価値観の相違だが、マアー私のヘソはかなり曲がっているのかも知れない。
青年は3ヶ月後、後髪を引かれるように、私の道場を去った。

 

彼から、良い仕事をもらった、と喜びのメイルが入ったのは、それからしばらく経ってからの事だ。

 

トム・クルーズ(私は知らなかった)の THE LAST SAMURAI という映画の、日本人武士団の1人として採用された、と言う。

ロケはNZ。

ロケ地からロケの様子や彼の甲冑姿の写真等を送って来た。

 

良かったナア、と私も我が事のように喜んでいたのも束の間。

彼はロケ地で風土病にかかり、ひどい下痢と微熱が続いてロケにも出れず、日本に送還されたそうだ。

この時から、彼の連絡が途絶えた。

 

 
その時、古いビデオを見ていた。

数年前になる。

私の家には沢山のビデオがある。

一度見たものは処分してしまうけれど、特に面白かった分は保存し、忘れかけた頃に取り出して何回も見る。

 
「コリャ、いつ頃のビデオだエ」妻が時々聞く。

2000年以降の物だと知ると、「ソリャまだ新しいネ」 まアこんな感覚だ。

我が家では、古い新しいはまったく関係がない。

 

2、30年前の物は、ザラにある。

 

その時は、藤田まことの、はぐれ刑事、を見ていた。

このドラマ、日本のホームドラマに共通する生ぬるい愛情主義に流れ過ぎる時もあるけれど、藤田まことの人間臭い持ち味が気に入っている。その時突然、あの青年が飛び出してきた。

 

ラーメン屋の青年を演じて、藤田まこととからみあう。なる程、こんな仕事をしていたのか、とその時思った。
私はこのまったく偶然の巡り会いを、連載している豪州の日本語新聞に書いた。

 

ところがその青年からメイルが入った。

私の事を書いてくれて有り難う。

アルバイトをしながら、演技の勉強をしている、とあった。

 

何処で新聞を読んだのだろう。空手を続けたかったが道場が遠く、近所にあった合気道の道場に入門したそうだ。
「松本道場の稽古着をまだ使っています」道衣姿の写真が添付してあった。

 

嬉しくてすぐに返事を送ると、打てば響くように返事が来た。

そしてなぜか、それが青年からの最後の便りになった。

 

 
もうクリスマスか、と思った。

今年は何やらバタバタし通しで、アッという間に年末がやって来た。

 

生活のリズムが狂ったのか、年を取り過ぎたのか。

この調子じゃあ、死ぬのもすぐだぜ、と思う。

年月の経過を速く感じだしたら、今やっている事、これからやりたい事、やり残している事、等々、後から悔やむことのないように、しっかりと毎日を生きなさい、という警鐘なのだろう。

 
その夜は久し振りにノンビリと、一杯やりながらビデオを見ていた。

数年降りの、はぐれ刑事。

何度か見ていたので、ストーリーに覚えがある。

 

ソーダ、これはあの青年の出演作の分だ、と思っていたら、少しも年をとらないあの青年の顔が大写しになった。

彼からは数年前の便りを最後に、まったく何の連絡もなかった。

気になっていた。

 
セーブしてあった古いメイルを探すと、アッタ、アッタ。

丁度クリスマスだ。

 

メイルを送って見ようと思った。

 

そのメイルは返送されてきた。

どうやら使われていないようだ。

 

彼のメイルには携帯のメイルも書いてあった。

それに送信してみた。

 

今度は、通ったようだ。

それでも2、3日待っても、青年からの返信は届かなかった。

 
日本で名が売れて、私の事等、気に留めなくなったのだろうか。

イヤ、そうではあるまい。

 

あの青年、まったく芸能人らしくない真摯な面があった。演技に行き詰まりを感じ、もしかしたら道を変えたのだろうか。
人間にはいくら能力があっても、その時々の運、不運というものがある。

 

 

継続は力なり、という言葉がある。

私財を成し、有名になる事だけが成功、ではあるまい。自分の好きな事、やりたい事をコツコツと続け、努力する事。

 

努力に終着点はない。志半ばで倒れても、そういう人生を送れる人間は、人間としての成功者だ。

 

この辺りに、生きる、という言葉への人間の尊厳が存在するように思う。
あの青年、今でも演技の勉強をやっていて欲しい。年齢を重ねても、年相応の演技があるはずだ。そうであって欲しい。

何度も読み返した彼からの最後のメイル。

 

末尾には、・ケインズのお父さんへ・と書いてある。

 

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