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人間も自然の一部なり人間も自然の一部なりVol.91
2009年03月10日
力まかせにむしり取ったような傷口から、青白い腸が垂れ下がり、亀の動きと共に、ブヨブヨと揺れた。
大きな海亀だった。
私の体重の3倍もありそうだ。
特大の団扇よりも大きい後鱗は、甲羅と一緒に噛み裂かれ、赤黒く変色した血肉に、団子のようになった砂がこびり付いていた。
私がスッポリと入る青黒い甲羅にも、鋭いのみで引っ掻いたような跡が何本も見える。
惨劇の主が残した歯跡だった。
ケープヨーク半島突端、豪州北端の町、木曜島。そこから船で5時間。
PNGとの中間点に、トーレス海峡で2番目に大きな島、モアがある。
セントポール、クビンの針で突いたような島民の村落を除いて、無人。
その島の一画に、私が働いていた南洋真珠養殖木曜島工場の分場が設置されていた。
分場前の海峡を隔てて、島民の村落のあるバドー島がある。
養殖場の労働力は彼等島民で、毎朝小舟でやって来た。
養殖場は彼等にとって唯一の現金収入の道で、我々日本人は彼等に一目置かれていた。
その朝、いつも早目にやって来る彼等の様子が、何やらおかしい。
いやに騒々しい。彼等は前日に海亀を捕獲していた。
ジュゴンと並び、彼等の大切な蛋白源だ。
多分、その亀をカプマウリ(石焼料理)にでもする相談をしているのだろう、と思っていた。
前夜は潮が高かった。波打ち際から作業場まで、わずかに10メートル。
その間の砂の上に、何か重く長い物をこねるように引きずったおぞましい跡が、クッキリと残されていた。
「コリャ3メートル以上、あるべ」島民がつぶやいた。
海亀をアタックした惨劇の主。
ワニだ。
日本人宿舎の私の使用していた部屋から現場までは、目と鼻の先。
私がもし目を覚ましていたら、ワニが甲羅を噛み砕く音が、聞こえたに違いない。
自然の中で距離をおいてワニを見物するのは楽しいものだ。
しかし人間様の住居にまで侵入して来るようになったら、コリャ少々ヤバイ。
私はサメとワニの危険度を3メートル、と考えている。小さい個体なら一緒に遊んでもやろうが、これを超すあたりから、私はいい餌になってしまう。
ヨシ、こ奴を掴まえて、尻の1つもぶっ叩いてやれ、と思った。
宿舎の両側は延々と続くマングローブ沿いの泥地である。よくワニが甲羅干しをする。
ワニは遠くから見ると、白っぽい流木に見えた。その頃、かなりの大きさのワニが、宿舎の近辺に上っていた。ア奴に違いない。
陸上から近寄るのは、マングローブの森に遮られ、不可能に近い。舟を使うと近付く前に逃げられる。
それならば、50メートル程手前まで微速前進。そこからエンジンを全開。
一挙に近付き、舳先から射つ。
鎧で被われたようなワニの頭部。無表情なくぼんだ目。そのすぐ後部。
豆腐のように軟らかい箇所が一カ所だけある。
そこを狙う。
ゴルゴ13じゃあるまいし、万が一にも命中する事はない、と判っていながらも、一度だけ試みた。
ライフルはセミオート。小口径ながら10連発。
スコープの中にワニの頭部が見えた。50メートル。
エンジンを吹かせ!!銃を構えたまま、叫んだ。
エンジン音が鳴った。
体がグンと反った。
ワニが動いた。
射った。
ワニの近くに着弾の泥が散っているのが見える。ワニは優雅に滑る。
スポンと水中に入ったら、鼻だけ又、スッと浮いた。
近くだった。
鼻を射った。すぐ横にボゴッと水が湧いたら、ワニはユックリと姿を消した。
全弾を射った。
手応え、なし。
ワニは翌日、場所を変えて甲羅を干していた。
「釣ったらよかんべ」 島民が言う。
サメ釣り用の大きな鉤を使用し、海面に突き出す上部なマングローブの枝から餌を垂らすだけだべ、と事も無げだ。どうやらその餌の高さがポイントになるようだ。
「餌、水の中つかる、良くないべ、水面からチョット高いとこ、吊るヨ。
ワニ、カイカイ(食べること)にくる。
ジャンプするヨ。そんでパタイ(死ぬるという表現)ヨ」餌は、と聞くと、「腐った肉がいいべヨ」。
ワニは用心深い。
そんなに簡単に釣れる訳はないべ、と思ったが、とにかく腐った肉の餌が手に入るまで待った。
その日が、来た。夜の満潮時の潮の高さを調べた。マングローブの木を選んだ。
大きなサメ鉤の道系に10番線を使用し、それにロープを結びつけた。
いかにも原始的な道具を木の枝から垂らした。
その翌日。夜明けを待って見に行った。ところが…掛かっていた!!潮が下がって、半ば宙吊りになっていたけれど、掛かっていた。
まだピンピンと生きていた。
それにしてもワニは2メートル程の小ワニで、私が狙ったあの大きなワニではなかった。
小ワニでもアタックする。食い付かれるとただではすまぬ。
釣り上げるのに夢中で、釣れた後の事を考えていなかった。
鉤を外すのが何とも大変だった。
ワニ釣りはそれで懲りた。
この後しばらくして、ワニは保護動物として捕獲禁止になった。
豪州の自然保護政策はこの時点から、徐々にエスカレートする事になる。
40年前の事だ。
「私しゃ、怖かったヨ」マーリーンが肩をゾクゾクと震わせながら、私に言ったものだ。
彼女の家はケインズから南に100キロ、イニスフェイルの郊外にある。今年は雨がひどかった。あちこちが洪水になった。
その夜彼女の地域は、チョットした洪水騒ぎになった。
仕事から戻ると一面の水。
車を高台に残し、かなりの距離を太股まで暗い水の中に入り、歩かねばならなかった。
家の近所にクリークがある。そのクリークも水の下になっているはずだ。
クリークは海の入江に開いている。
入江には…ワニがいる。
もしそのワニの一部がクリークに棲み付いていたら…。
暗闇の中、そこに考えが及んだ時、「胸がドキドキして、動けなくなりましたヨ」
私も何度か、ワニがいると判っている水中に入る羽目になった事がある。
いつ足をやられるかと、本当に怖かった。
ワニが保護されて40年。
ワニは静かにあらゆる海浜、クリーク、河川へとその棲息分布を広げている。
小さい内はいい。
それらが全部3メートル以上になる時を考えると、空恐ろしい思いがする。
事故はこれから増える。
捕鯨問題が又、表面化している。
日本側は何等法律、条約的に違反を犯してはいない。
日本政府の腰の弱さはもう誰もが認めている事実だけれど、操業中の日本船に汚物を投げ入れ、不法侵入した輩が英雄視される豪州側の感情丸出しの反対論。
こんな時だからこそ日本の捕鯨文化史を踏まえて、毅然とした態度に出れないのか。
今の世の中、こんな事を言う人間の方がバカなのだそうだが、言いたい事が言えなければ、年を取ってまでこの世に生き残るスジが通らない。
日本での夏休みの宿題の昆虫採集。
学校はガキの頃から自然破壊を教えるのか、と講義した団体があったそうだ。
人間と自然との関係、人間の倫理というものが、まったく判っていないズレ人間だ。
何が何でも動物を殺すな、という事が本当の自然保護ではない。世の中平和になりすぎて、人間が少々ズレた感覚で妙に優しくなり、何事にも神経過敏になりつつある。
保護とは自然界とのバランスを考慮し、動物のみならず人間への思いやりも含めて、成立するものだ。
人間も自然の一部という事を、人間自身がしっかり認識しなくてはならぬ。
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