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エッセー

国時刀異聞 Vol.86

2008年05月10日

間合いが遠い。

構えも高い。

蹴りで来るナ、と思った。

 

わざと顔面を空 け、スーッと間合いをつめた。

男が動いた。ビンと蹴りが顔に来た。

ソレを待っていた。

 

右手で受け、手首で引っ掛けるように引き込むと、男 の体が簡単に崩れ、背中を見せるように私の方に倒れこんで来た。

その 肩をポン、と叩いてやった。

 

男は数歩よろめいて踏みとどまり、私の顔 を見てニタリと笑った。
私が空手道場を開いた33年前。

 

4人の男のグループが一度に入門し た。

ボブ、バリー、バーンに保険屋のニック。

 

切れ者の獣医のボブは、 その後コミティーを組織し、道場を盛り立ててくれた。

現在も私の飲み 友達である。

ある稽古日、彼等が一人の空手の有段者を同行して来た。
ニューギニアから戻ってきたという彼等の友人。

 

年の頃30才前後。

空 手は癖の強い雑な動きをしたが、勘はいい。

磨くと光る玉だと思った。

以来私の道場が気に入り、ボブ達といつも稽古にやってきた。

 
その日、ボブが眉間にシワを寄せて入って来た。

 

彼がこんな表情をする 時は、何かある。

案の定、センセイ…。

 

近寄ってきた。
「ベバンが昨日、交通事故に遭いましてネ」幸い、命には別状はない。

 

大きなカーブを切りそこねた対向車と接触。車は横倒しになって大破。

足をやられた。「当分空手なんかできないでしょうネ」
ベバンは道場に溶け込み、稽古が楽しくてたまらない、という矢先の事 故だった。

 
数日してベバンは道場に顔を出した。杖を突いていたが、ビッコを引きながらも、何とか自分で歩いている。

 

足に傷らしい傷もなく、大怪我をしたと思い込んでいた私には、むしろ拍子抜けの感じを受けた。

 

その彼をまるで世話女房のようにこまめに世話をする小柄な女性、マリリン。

可愛い娘で、豪州人の女性にしては珍しい程、よく気の付く性格だと 思った。

 
「しばらく道場に顔を出しませんので、お別れに来ました。」
事故から少し経っていた。ベバンが額から垂れる黒い髪をかき上げながら、そう言った。

 

表情が暗かった。

事故の賠償金請求の裁判では、空手道場に出入りしているのが判ると健康だと疑われ、判決結果が悪くなるそうだ。

 

ソンナものかエ、と思いながら、杖を突き、マリリンに支えられながら道場を去っていく彼等を見送った。

 

この時からベバンは消息を 絶った。風の便りに、イニスフェル近辺にいる、と聞いたことがある。

 

 
ベバンの友人だったバリー。

その夜は宿直だった。

 

定期的にエンジン ルームのテェックをする。

一回目、異常なし。

二度目のテェックのとき、床上1メートル位に、まるで霞のように広がる黄色状の気体を見た。

 

アンモニアガスが漏れている。
今はケインズの郊外のようになったエドモントン。

30年前は町の入り口に大きなケインズ屠殺場があった。

 

バリーはエンヂニア。
ガスは地面まで下りてはいなかった。正面にガス管のノズルが見える。

 

バリーは地面に腹這いになった。ガスを吸い込まないよう、必死に這った。

ノズルに取り付き、中腰になって両手でハンドルを回した途端、轟音と共に目の前が真っ赤になった。

 

 
「気が付いたらこの様でサァー。

もう体中、痛くて痛くて、何度もその 窓から飛び降りようと思いましたゼ。」
バリーの病室は病院の三階。

 

そんな患者のためか、窓には鉄格子が入れてあった。

バリーの声が元気そうだったので、もしかしたら助かるかも知れぬ。

 

一縷の望みをかけた。バリーは三日後に死んだ。

 
彼の葬儀には道場生全員、稽古着姿で参列した。

 

私は教会の入り口に立 ち、門弟達を所定の場所に誘導していた。

式の時間が迫り、教会の前には誰一人いなくなった。

 

 

その時、一台の車が土埃りを上げて乗りつけて来た。

ドアがガタンと開き、黒っぽいマントのような物を着た男が下り立った。

杖を突いていた。ベバン!!
体を左右に振り、カタカタと歩いて私に近寄ると、足を揃えて立ち深々と礼をした。

 

目が暗く、生活の荒みが感じられた。

彼は何も言わず、私も目で彼を教会の方に誘なった。
式の終わった後、ベバンを探したが、もう彼の姿は何処にも見当たらなかった。

 

これが私のベバンを見た最後になった。

 

 
「日本の刀を手に入れたのじゃが、ワシには無用の物じゃ。

アンタの事は聞いておった。

こリャー、アンタが持っておいた方がエエ」しゃがれた、たどたどしい英語だった。

 

男はジョセフと名乗った。

ドイツ人。

夜遅い電話だった。

 
ジョセフィン、フォール。

イニスフェルの手前の村、ミリウィニを通過した後、山の手に向かってハイウェイを逸れる道がある。

 

 

サトウキビ畑の中を20分。

ジョセフの家がポツンと建っていた。
私はこの頃、興味を持って日本刀を収集していたが、当時は鑑定出来る目がなかった。

 

そんな私が鑑ても、ジョセフの刀、ヒドイ状態だった。
特に物打ちから先の錆がひどく、研磨出来るとは思えなかった。

 

ただ鞘に残っていた微かな塗料から、その塗り方の質がいいので、第二次世界大戦中の日本帝国陸軍、将官クラスの佩刀だと思った。

 

剥き出しの朽ちかけた中心に、国時と二字銘。普通将官クラスならまずまずの刀が使用してあるはずだ。

 
「何処で手に入れたエ」ジョセフに問うと、彼は私を窓まで招き、そこから目の下に見えるサトウキビ畑の中の一軒家を指差した。

 

「アソコにナァ、四、五人の男らがいつの間にやら入り込んでナー。

飲んで騒ぐ、大声は出す、文句を言うと脅してくる。

モウ村の鼻摘まみモノじゃったヨ。

多分ドラッグの売買でもしてたんじゃろ。

マリワナも育ててたらしいノー。

 

ボス格の男がアンタと同じ、カラテのブラックベルトちゅうンで、村の連中も怖がっとったヨ。ソウソウ、あの男、いつも 杖を持ってたナ。」

私の頭の中で、パチンと弾けるものがあった。 

 

 
「頭にきた村人の誰かが、ポリ公の手入れがある。とでも流したンじゃろ。

野郎共、アッという間にいなくなったヨ。あの男の名前、なんと 言ったかナァ。エート…」

 

「ベバン!!」私は斬りつけるようにその名前を投げた。

 

私はしきりに、逃げた男達の残していったその刀は、空手を通して日本刀にも興味を持ったベバンの持ち物だと思った。

 

ジョセフが再び空き家になった一軒家の物置から捜し出してきたのだ。

 
それにしてもベバン。

彼はこの国時刀を忘れていったのだろうか、捨てていったのだろうか。
刀を一振り研ぎ上げ、柄と鞘を新調して拵をつけると、安くても25万円の費用がかかる。

 

それだけの金を支払っても、錆の研ぎ落とせない刀は、価値はない。捨て金になる。

しかし、なんとも不思議な巡り合わせで私の手元にやって来た国時刀。

 

金の問題ではない。研いでやろう、と思った。
バリーの葬儀でベバンを見て以来、又二年程の日が流れた。

ある稽古日、ボブが眉間にシワをよせてやって来た。

 

なんだかイヤに怒っているようだ。
「聞きましたか、センセイ。あのベバンの野郎、裁判に勝って相当の金をせしめたようですぜ。

ところがあ奴、支払いのチェックが届いた途端、杖を放り投げてスタスタ歩いたそうですヨ。

あのビッコ、保証金を稼ぐための芝居だったんですナァ。

あれだけ世話になったマリリンに一文も渡さず、姿を消したそうですヨ。あの野郎…。」

 

 
ボブの憤慨は止まらない。

聞いていて私も気分が悪くなった。

 

マリリンはその後一人で道場に戻って来たが、そのうちケインズを去った。

風の便りでブリスベンに落ち着いた、と聞いた。

 

 
研ぎあがった国時刀は、なにやらベバンに裏切られたようで、刀に罪はないのだが、その後25年間、私の武器庫で眠り続けた。

 

最近妻が肩こりを訴える。

 

彼女が若いときもそんな事があったので、真剣を使う居合いをすすめた。

 

肩こりは肩と胸筋を鍛えればいい。

薬や湿布では、一時しのぎになるだけだ。

 
彼女には適当な重さの刀に卯の花色の柄巻、黒字に赤を散らした鞘の居合刀を用意してやったが、今の彼女にはあの刀は少し重すぎる。

 

やや軽めの刀を持たせ、肩こりが消えたら、重い刀にすれば良い。

サテ、軽めの刀となると…ソウダ、国時刀があった。

ベバンの事はもうぼうぼつ時効にしよう。

 

サテサテ、あれからもう25年が過ぎたのか。
 

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