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憧れ Vol.89
2008年11月10日
「それだけは、ダメ!!見つかったら、どうするのヨ」
私のする事にあまり文句を言わない妻が、その時は真剣に反対した。
そうだヨナァ、まァ無理もないか、とガキのように考えた。
物が物、なのだ。
ガ島(ソロモンのガダルカナル島)は第二次戦中の激戦地。
日本海軍が、フィージー、サモア攻略の足掛かりとして、この島に飛行場を建設、ところが、ミッドウェー海戦の敗北で無用になったが、反日抗戦にその利点を見いだした米軍との間に、凄まじい争奪戦が展開される羽目になった。
輸送能力が極めて弱少化していた海軍が、なぜ多大の犠牲を強いてまで無謀な作戦の下、この島に固執したのか。
私には名将と謳われた連合艦隊司令長官、山本五十六大将の意図がサッパリ判らない。
私が日米の兵士達の血で洗ったガ島のホニアラ・ヘンダーソン飛行場に最初に下りたのが、三十数年前。
ガ島から太平洋の真ん中、世界最小の独立国、ナウル共和国に飛ぶと、そこから何と、まったく客のいない、鹿児島への直行便が運行されていた。週1便。
これは余談。
ナウル出発の朝。飛行場に行くと、誰もいなかった。
出発の時間が近くなっても無人。
聞く人間がいない。
その内たった一機しかない我々の便が、ユラリと動き出した。
私は慌てた。
何で私たちを残して飛び立つのかと、折からやって来た一人の職員に食いついた。
「心配ないべ。実はナァ、イミグレイション、オフィサーが夕べから釣りに出かけてノー、まだ帰ってないヨ。
チョット、捜しに行っただけだべ」
エッ、と私は彼の顔を見て、妻と顔を見合わせた。
ボーイング727が、たった一人の男を捜しに飛んで行った。
コリャスゴイ事だ。
こんな目茶苦茶な国が世界に存在していたのかと、何とも嬉しく、楽しくなったものだ。
戦後30年のガ島。島民達の平和な生活は戻って来ているように見えたが、戦禍の跡は、アチコチに残っていた。
知りあいになった男の家を訪ねた時だった。
入口に向うガーデンの中に、卵形の物が数個、ころがっていた。
何と、手榴弾だ。
完全な形が残っていたが、爆発する信管は抜いてあるに違いない。
どう言ってもらったのか、とにかく一個の手榴弾、ホテルに持ち帰った。
サテ、どこに隠そうか…と。妻に内緒でスーツケースの中に突っ込んでおけば良かったのに、物が物だけに、コレ持って行くゾョ。
妻に見せた。
彼女、怖がった。
爆発はしないゾ、と言っても、完全な手榴弾なのだ。
母親に怒られたガキのように、シブシブその家に戻しに行った。
ガ島を思うと、いつもこの手榴弾を思い出す。
まだあの家の庭にコロがっているのだろうか。
二度目にホニアラを訪ねたのは、もう15年も前。
私の道場の弟子が、専門学校の講師として二年間、滞在していたからだ。
その時はケインズから、ソロモン航空の直行便が運行されていた。
「マラリヤの予防して来ましたか」
弟子が聞く。
彼と彼の家族も全員、赴任以来マラリヤにやられたそうだ。
ガ島では毎年五百人余りがマラリヤで死亡するという。
彼には何人かの政府の要人を紹介してもらった。
日本流に言えば、大臣なのだが、そこら近辺の肉屋やパン屋の親父と変わりがない。
豪州の委任統治国だったソロモン。
こんな国が独立する自体、どだい無理な話ではないか、と思ったものだ。
弟子の教え子の村からジャングルに踏み込むと、その村の連中だけが知っている戦時中の米軍陣地の跡があるという。
まだ未使用の砲弾がそのまま残っているらしい。
行きたいか、と問うので、一つ返事をした。
しかしジャングルの中には、マラリヤを持つ蚊が、到る所にいるそうだ。
私達は何の予防もして来なかった。
すぐに街中の薬屋に行った。
それは貧相な戦争博物館のすぐ近くにある。
この街としては一番ハイカラな店だった。
ところが即効性の予防薬はなく、一定時間服用してないと、効果がないそうだ。
それならば、蚊に食われないようにすれば良い。
妻は長袖長ズボン。
私は虫には結構強いし長袖が無かったので半袖に長ズボン。
ジャングルの中は獣道のような人の通った跡がある。
とてもじゃないが私達だけで行ける道ではない。
部落の男が案内に立ってくれた。
途中、上陸用舟艇や弾丸の跡だらけのジープが、放置されていた。
一時間も歩いたら、何やら密集していた木々が少しまばらになり、足元に爆発してアメのようにヒン曲がった砲弾が目に付いた。
そしたら何と、アルアル。
30センチ程の砲弾がゴロゴロしているではないか。
土の中から弾頭を突き出しているのも見える。
「お前様の立っている下にも、沢山埋まってるだヨ」そんな事してもまったく何の役にも立たぬのに、思わず爪先立ちになった。
あまり歩き回るなヨ。妻に注意した。
爆発はしてないのに、時々弾頭の真ちゅう部のない砲弾がある。
どうしたのだろう。見ていると、「オラ達が外すだヨ」
観光船が入港した時に立つマーケットで、売るのだそうだ。
爆発しないのかエ、と聞くと、「時々するヨ」当たり前の事を聞くナ、という顔をした。
死を意味する凄まじい返事だった。
これには、まいった。
爪先立ちした私が、何やら小心なアホに思えてきた。
注意はしていたが砲弾の周辺で、何匹かの蚊に刺されていた。
もしその蚊がマラリヤを持っていたら、10日前後で何等かの症状が出るそうだ。
「オイ、何ともないかエ」「インヤ、何もないゾ」、毎朝の挨拶のようになった。
10日たち、二、三週間たっても、私達に何の異状も出てこなかった。
ヤレヤレ、どうやらマラリヤの蚊に嫌われたらしい、と思った。
ガ島の海岸線のガタ道を走ると、ヤシの林の中に点在する小さな部落に出会う。
現金収入がないから、自給自足。
皆、貧しい。
恐らくマラリヤで死亡する大多数は、子供だろう。
この彼達、なぜか底抜けに明るい。
私達の車が通ると、子供達は走り出し、大人達は窓にかじり付くように手を振り、笑顔を送ってくれる。
面映ゆくなる程だ。
文明とか物質の豊かさにドッップリと漬かってしまっている私達は、人間の心まで曲がりかけているのだろう。
そんな無邪気な村人達の歓迎に出会うと、なぜ、どうして我々に、と考えてしまう。
子供の頃、遠くを走る汽車によく手を振った。
今頃、そんな事をするガキはいないだろう。
この村人達は子供の憧れを、そのまま体に残して大人になったように見えた。
貧しく何も無い生活と毎日は、そういう育ち方を彼等の人生に与えたのかも知れない。
私は時々旅に出るけれど、先進国にはまったく興味がない。
ニューギニア等の未開地とかベトナム等の後進国がいい。
危ない目には会うけれど、都会の人間特有の取り繕ったところがない。
私の子供の頃、私の宝物はビー玉にメンコ。
懸命に集めていた。
中学では空気銃が欲しかった。
高校では空手以外に居合を習ったので、本物の刀を夢に見た。
その憧れはそのまま大人になっても続いたようで、ケインズに住み着いて以来33年。
少しづつ余裕のある時に入手した。
刀や軍用銃と一緒に、日本帝国陸海軍の遺品も出てきた。
砲弾に人骨まで様々な品々がある。
別に目的があって集めた訳ではない。
子供の頃から好きだったのだ。
これらは大人になってからの私のビー玉なのだろう。
30年以上も集めていると、部屋の一つや二つは一杯になる。
銃には法規に沿った管理をしなければならない。
しかしナァ、と最近考える。
このまま持ってはいたいけれど、私が死んだら妻が困る物ばかりだ。
ガレージセールにするゾ、という妻の気持ちも判る。
ぼつぼつ身辺の整理を考えねばならぬ年になってきたのかナァ。
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