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空の青い日 Vol.85
2008年03月10日
毎日でも来たいのですが、仕事が忙しくてネ。
言うだけあって稽古が楽しくてたまらないようなトム。
いつも早目に道場にやって来る。
彼は私が33年前、道場を開いた時の最初の弟子。
当時15才。
ノッペリとした感じの少年で、それでも2年程通って来た。
以来会った事がなかったのだが、つい数年前、ヒョッコリ道場に戻って来た。
48才。独身。
親の跡目を継いで、手広く事業をやっている。
言葉の端々に年に似合わぬ少年のような真面目さが顔を出すのは、私にだけ見せる一面なのだろうか。
それにしても余程人生をスレずに育って来たのに違いない。
その日はトム、いつもより遅く道場に稽古に来た。表情が何となく、暗い。
何かあったナ、と思ったが、丁度私は子供のクラスで忙しく、手が離せなかった。
生徒の動きを見ていると、彼等の体の不調がすぐに判る。
トムの息の上がりがどうも早過ぎる。体が時折前かがみになるようだ。
どうしたエ。と聞いたのは、もう数ヶ月も前の事だ。
下腹部のあたりが何やら普通ではないような気がする、と言う。
漠然として言い方だったし、本人自体ハッキリとした自覚症状がない。
マア、調子が悪い時は、ユックリとおやり、としか言えなかった。
その後も時折不調を訴えた。
どうやら何かありそうだ。
その矢先だった。
子供のクラスが終わった時、トムがスルッと近寄って来た。
ペコッと礼をし、他の生徒からはばかるように、口の中でモゴモゴと言葉をころがして、「センセイ、夕べ小便の時、血が出ましたヨ」
私は自分で大した病気に罹った事がないので、病気には常識程度の知識しかない。
その私でも、コリャ少しヤバイなァ、と思った。
前立腺ではないのか。
血尿となると、前立腺癌の初期、とも考えられる。
マサカ、とも思ったが、豪州人には普通に見られる癌とも言える。
とにかく1日も早く、検査を受けねばならない。
クイーンズランド州の専門医不足は深刻だ。
大病すると大変な事になる。
トムの精密検査さえも、結果が出るのにかなり掛かった。
私のアドバイスが良いのかどうか、判らない。
稽古は休むなヨ、と言っておいた。
1人で悶々と心配するより道場で汗を流し、体を動かして気力の充実に努めた方がいい、と思ったからだ。
手術を受けるにも、体力のある方が回復が早いはずだ。
トムは心配しながらも、毎日稽古にやって来た。
私の道場は今年で33年目を迎える。
過ぎてみれば長かったとも、又短かったようにも思える。
その間、小さな田舎町だったケインズに大挙して日本人が押しかけ、アッという間に日本人向けの商売が乱立した。
私には地元という基盤があったけれど、私は自分が、生きる、という事に不器用な人間である事をよく判っていた。
私に出来るのは、空手、であって、日本人向けの商売ではない。
私のこれまでの人生は、金銭的には成功とは程遠い道のりではあったけれど、人にへつらわず、人を利用せず、自分に正直に真っすぐに生きて来た。
日本人としてのプライドを通して来た。
人間として当たり前の生き方で、別に自慢出来る人生でもない。
私の空手も、大してウマい訳でもない。
ただ私のそんな不器用な生き方に賛同してくれる弟子達が、今までの私を支えてくれた。
今でも30年以上の弟子が6人、20年以上は何人も稽古している。
私の道場は飽きっぽい豪州人にしては希有な存在の人間関係が、今でも続いている。
トムは相変わらず稽古を休まなかった。
無理をして普通に振る舞っているものの、時折一人の時の表情にフッと暗さが見える。
私はその日を心待ちにしていた。
彼の検査の結果が出ているはずだ。
「どうだったエ」 子供のクラスを終えると、私はさりげなくトムに近寄った。
道場の誰にもトムの悩みを話してはいなかった。
トムは私に礼をし、大きな体を縮めるように口を開きかけた時、アッという間に彼の目が盛り上がり、涙が頬を滑り落ちた。
トムは慌てて道衣の袖で目を拭うと、他の生徒から隠れるように道場の隅に戻って行った。
「ソウカ、やはり癌だったのか」
「南へ行け。癌ではベストの医者を捜せ。
癌の進行状態を把握し、出来るだけ早く、手術日を決めてもらえ。
金を惜しむな。
手術日が決まったら、それまで何としても稽古を続けろ。BE POSITIVE」
私にはまったく当然の事しか言えなかった。
しかし私と道場の存在が、彼の精神的な支えになる事を知ってもいた。
手術は2月の中旬、と決定した。
癌は転移していなかった。
「センセイは私の命の恩人ですヨ」
ジョンがポロッと漏らした言葉がある。
私は人に恩人と言われる程、大それた人間ではない。
その意味がよく判らなかった。
ジョンの入門は10年前。
当時58才。
その男、まるで何かに取り付かれたかのように毎日、稽古に没入した。
道場の掃除や後始末等、まるで縁の下の力持ちのように陰日向なく、実によくやった。
誠実を絵にかいたような豪州人。
「センセ、最近チョイト調子がおかしいんじゃがノー」
まったく何の不平不満も口にしない彼が、ポツンと私に言ったものだ。
彼の稽古中の動きから、すぐに私に思い当たるものがあった。
検査を勧めた。
私は自分では病院嫌いで、検査等まず行かないのに、人には簡単に勧める悪癖がある。
「再発してましたヨ」
彼が検査の後、私にサラリと言った言葉だ。
SHOOTING THE BREEZE(チョイと立ち話)。
まったくそんな感じだった。
丁度トムの話と前後していた頃だった。
私はその時まで、ジョンが10年前、前立腺癌を切り取った事を知らなかった。
手術後体の調子がくずれ、持病の心臓の弱さと重なって落ち込んだ時、道場のメンバーから私の事を聞き、藁にもすがる気持ちで入門したのだと言う。
ところが稽古が面白くなり、それが又彼の生きがいになってきた。
「年をとってから、こんなに体の調子が良くなるとは、思いもしませんでしたヨ。この10年、稽古はホントに楽しゅうござんしたヨ」
その時初めて、ジョンがなぜ私を彼の命の恩人だ、と言った事があったのか、判ったような気がした。
私の不器用な生き方も、まんざら捨てたものではないナア。思ったものだ。
ジョンの癌、再発はしていたもののまったく進行の様子はないそうだ。
今の段階では医者も、「まだ手を出さないそうですゼ」
それで本当にいいのだろうか。
私には相変わらず、稽古を続けろ、体の状態をベストに保て、ぐらいの事しか彼に言えない。
ジョンは毎日、黙々と稽古に来る。
道場から戻ると、留守電が入っていた。
「麻酔が切れたところですヨ。手術は大成功だそうです。センセイにまず知らせなキャー、と思いましてネ」
麻酔のせいかしゃがれたトムの声だった。
ソウカ、良かったナア。
これで私も肩のつかえが取れたヨ。サテ1杯、乾杯とするか。
朝稽古に久し振りにビルが来た。
33年前の生徒だ。
イニスフェイルから稽古に来る。稽古を終え、道場を閉めて車に乗ろうとした私の背中にビルが声を投げた。
「センセイ、稽古は楽しいですナァ。絶対に止めませんぜ。でもセンセイが止めたら、私も止めますぜ」
コリャまるで脅迫状だゼ、とおかしかった。
その朝、雨が切れて数日振りの太陽が顔を出した。
朝稽古の汗は気持がいい。
アー、空が青いナァ。
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