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エッセー

2004年1-2月号・其の60 CHEEKY

2007年09月05日

のガキ、いかにも人を小馬鹿にした態度をとる。薄ら笑いを浮かべ、ヘラヘラと減らず口をたたく。何か言う と、必ず言い返す。他の子供にチョッカイを出す。少しの間もジッとしていない。まったく稽古の邪魔にしかならないのに、どこが面白いのか、決して稽古を休 まない。私はそのガキを"CHEEKY"と呼ぶ事にした。

私が豪州で子供達に空手を指導して、もう35年以上になる。以前は子供達に子供なりの集中力があり、私の言う事もキチンと聞く態度を持っていたので、何 等の支障もなく満足のゆく稽古が出来た。そんな素晴らしい子供達が、知らぬ間に、少しづつ変わり始めたのは、いつ頃からだったろう。

私自身、政治に関してはよく分からないし、大して興味もないのだが、これには豪州内の政党の交代劇と大きな関係があると思う。
それまで国民党中心だった豪州政府が、反国民党の労働党に政権を譲ったのが、もう15年以上も前。自由、国民党連合のハワード首相がそれを取り戻しても う数年になるが、各州の政党は以前として労働党が多いので、党の方針は州の法律の中に強く打ち出されている。
労働者層の保護、人権、特に子供の権利の尊重を強く押し出す労働党の法律は、理論的には一見正論に思え、別に悪い事ではない。まず学校では体罰の禁止。 それまでは悪い生徒は物差しのような物で、手を叩かれていた。少しずつエスカレートする。生徒を怒れなくなった。生徒の体にも触れなくなった。子供がすが りついて来ると、先生は両手を上げなくてはならない。来年は声を荒げる事も禁止されるという。
それのみか、入学して来る幼い子供達にも人権を説く事が義務づけられた。何も分からない子供達に人権を説く。私達は何も強制出来ないし、例え両親でも、体罰を受けたら訴える事が出来る…云々。

ここまで来ると、私は頭をひねってしまう。子供の仕付けで一番大切なのは3〜4才まで。これは親の義務でもあり、責任だ。法律により親の義務たる仕付けにも制限を加えるのは、子供の人権を重視するあまり、親の権利を軽視する事にはならないか。

人間誰しも、相反する二面性を持つ。頑張る、努力するという向上性と、遊びたい、楽をしたい等の怠惰性。この二面をバランスよくコントロールする役目が個人の理性であり、正常の理性の発達に一番大切な時期が、子供の仕付け時期という事になる。
この一番大切な時期に、お前達には権利があるンだよ、と何も分からない遊び好きの子供の好きにさせると、取り返しのつかない事になりはしないか。素晴らしい子供達の資質を良くするのも悪くするのも、我々大人の責任観念にかかっている。

私は教育とは、押し付け、だと思っている。親から子へ、先生から生徒への一方通行なのだ。何も分からない子供達の好きにさせて、真面な教育が出来る訳が ない。要は押し付ける側に、その人の人生に裏打ちされたシッカリとした信念がなければ、子供も付いては来ない事になる。
子供を叱るのは好きではないけれど、何度注意をしてもジャラジャラとしようのないガキは、尻の一つでもヒッパたいてやらないと、ピッとしない。親の前で も遠慮はしない。一生懸命、叱る。叱って良くなる子と、ビックリして止めてゆく子とタイプは様々。叱って良くなるタイプの子供なら、例え体罰が法律違反と しても、体を張って子供と向かい合うのが道場、というものだろう。

幸い今まで、子供を叱って親から文句が出た事はない。親が私のする事に同意してくれているからだと思うが、叱る事自体が法律違反のこの国では、訴えられ る可能性はいつでもある。しかし厳しくするばかりが能ではない。子供の集中力というものは、長くは続かないので、適当に息を抜いてやる事も必要になってく る。アメとムチをごく自然に使い分ける事は難しいけれど、これが出来なければ子供の指導は出来ない。

豪州では子供は様々な法律により保護されている。教育の設備も環境も良い。新しい指導論も次々と紹介され、ありとあらゆる情報は簡単に入手出来る世の中 になった。教育が良い方向に改善されているのなら、子供の質はそれと正比例して向上しなければならないはずだ。しかし現実には子供の質は毎年低下し、少年 犯罪、校内暴力、自殺等々増加の一方。子供の性格も尊敬心はまったく無く、無気力、集中力皆無、我が儘な子供達が大量生産されている。何処かが間違ってい るとは思わないのだろうか。

世の中少しアカデミックになり過ぎたのかも知れない。評論家や心理学者などが入れ替わり立ち替わり、机上の空論のような教育論を打つ。ぼつぼつそんな物に耳を傾けないで、もう少し教育の原点をシッカリと見つめる時期に来ているのではないか。

教育の原点は理論ではない。3〜4才までの人格形成期に物事の善悪を判断出来る常識に基づいた仕付けを、シッカリとしておく事だ。これが子供を持つ親、 というものの一番大切な責任でもあり、義務だ。これを御座成りにして人権を与え、教育論をブツけても、子供にはそれを染み込ませる土壌がない。

CHHEKY 本当に糞生意気なガキだった。私も本腰を入れた。まず挨拶。それが出来るようになると、私の言った事に対する、ハイ、という返事。悪い事をすると罰として 腕立て50回。私が横にいてキチンとやらせる。30回を過ぎると泣き出す。そんな事では止めさせない。絶対に50回、正確にやらせる。私に反抗する時もあ るが、そんなガキの反抗など、まったく意に解しない。

この"CHEEKY"いつ止めるかナ、と思っていたが相変わらず稽古には来る。3ヶ月も経つと少し変わってきた。ジャラジャラしなくなった。4ヶ月で私 にニッコリするようになった。クラスでも目立たない程、大人しくなった。現在7ヶ月目。楽しんで稽古をやれるようになった。ボツボツ、"CHEEKY"と いう名前を変えてやらねばナ、と考えている。

「センセイ、いい加減で道場なんか止めヤンセ。今の世の中、信用出来る人間なんテ、いネェヨ。ガキを叱るのは、法律違反だゼ、この国では。その内、訴えられるヨ」
私の親友の弁護士がそう言う。ソウサナァ、と思いながら青空を見る。空が青いナァ。サアテ、いつまで私の信念、通せるかナァ。

※編集部注:CHEEKY(チーキー)とは「生意気」「あつかましい」の意

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