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エッセー

2006年1-2月号・其の72 ココダ、トレイル

2007年09月05日

「ブッたまげたぜヨ。ブッシュの中からヨ、気違ェみテェな声あげてヨ、日本兵、オッ飛び出してくるンだもんナ」

その日、雨。ジャングルの中の急坂は、ひどくぬかっていた、ソウナ。飛び出し様、日本兵、振りかぶった刀を叩き付けるように、その男に斬りつけた。

「オラァ夢中で、30(スリーオー、303口径豪州軍制定小銃)で受け止めただヨ。ところがヨ、ビックリこくじゃネェか」

日本兵の刀は、頑丈な30の銃身深く、切り込んだ、という。

老人、木工師。DIGGER(退役軍人)。それがあの刀だ、と言いたげに、埃りに埋もれたまま、彼の仕事場の壁に掛けてある古びた日本刀を、目で指した。

老人の話。嘘だゼ、と思った。私はその刀を買った。もう昔の話だ。持帰り、ジックリと鑑た。刀はものを斬ると、表面に、刷毛で掃いたような庇が付く。ヒケ、という。刃こぼれも、ヒケもなかった。刀は、使われていなかった。

刀の斬れ味を知らぬ、豪州人の思い付く話ではない。実際にあった話だ。ただ老人は、他の豪州兵からその戦闘の話を聞き、それをさも我が事のように、私に聞かせただけだ。そんな稀な事が起こる程、ココダの戦いは、日豪肉弾相打つ戦いだった。

ニューギニアの首都、ポートモレスビー。市街を通り抜け、1時間も走ると、山岳地に入る。山を登り、尾根に出ると、所々に原住民の貧相な部落に出会う。 興味深く眺めながら、3時間。ココダ、トレイルの豪州側からの入口に着く。オワーズ、ポイントという。小さなサインがあるだけだ。入口から、滑りそうな坂 道をズルズルと十分も下ると、周囲の青黒い山脈が見渡せる、渓谷の中のような平地に着く。そこに豪州軍の司令部があった。

「あそこまで、日本軍はやって来たヨ」

目の前に、黒くそそり立つ険しい山がある。

ガイドの指差す尾根の一部が、コの字型にヘコンでいた。そこが日本軍の最南下地点だった。司令部跡からストン、と落ちるように、獣道のような急坂が、暗 いジャングルの中に消えていた。そこからが、スタンレー山脈を縦走してココダに抜ける、激戦地への事実上の入口だった。

ヤレヤレ、もうクリスマスか、と思った。年ごとに、一年の経つのが早く感じられる。沢山のカードを書くのは、大仕事。だが、1年に1度位、世話になった知人達に、カードを送り、近況を知らせるのも、その年の終わりのけじめ、とも言うものだろう。

ジャック。白人とパプア人との混血。数年前の私の道場の門人。彼の叔父は、ニューギニア高地を探検し、世界に紹介した最初の白人。パプア人をめとり、そ こで一生を終えた彼のテイラー邸は、今も親族達の手により、ゴロカに保存されている。私もそこで世話になった。

ジャックはこの血筋を買われ、ニューギニアの米国資本によるオイル会社に就職。家族を豪州に残し、ポートモレスビーで働いていた。多分まだいると思っ た。会社にメイルを送ってみた。すぐに返事が戻ってきた。今年のクリスマス。一族がゴロカのテイラー邸に集まるそうだ。イイナア。私も行きたかったナア。

今、世界で物騒な都市のトップにランクされる、ポートモレスビー。私がゴロカに泊まった数年前も、隣家に侵入した賊、アッサリとライフルで射殺された。寝入り端の事で、妻は銃声を聞いたそうだが、私しゃ、酔っぱらって知らなかったヨ。

私達の客室の前には、弓矢と蛮刀で武装した原住民が、一晩中、寝ずの番に立ってくれていた。ニューギニアは、私だけでは行けぬ。ジャックとその一族がいたからこそ、何とも貴重な体験をさせてもらった。そのジャックから、折り返しメイルが入った。

彼のニューギニア勤務も、後一年という。残る一年の間に、私と、ココダ、トレイルを縦走したい、という。心が動いた。ポーターを雇い、十日間の超ハード なトレッキングコース。平地でも十日間は、キツイ。ココダは急坂とジャングルの連続。膝にくる。稽古中、腰を深く落とすと、痛みがある。急坂のジャング ル。とてもじゃないが、膝がもたないだろう。残念ながら、断念するしかない。この機会を逃したら、私がココダに立つ事は、二度とないだろう。心が残った。

今年は、私の道場の三十周年。クリスマスの記念パーティーには、各地より230名、集まってくれ、盛大だった。稽古納めは、12月9日。1ヶ月の休み。 いつもなら、何処かにポッと旅に出る。去年の今頃は、ベトナムのハノイで、風土病にやられていた。つい最近、中近東にも行ったばかりなので、今年はノンビ リと、家にいる事にした。

久し振りの、家族とだけのクリスマス。娘がプレゼントを持って来た。ガキじゃあるメェし、いらぬ事をするンじゃネェヨ、といつも言うのだが、娘は娘なりに考えて、誕生日やら父の日やらと、忘れずに持ってくる。

重い包みを開けると、ブ厚い本。タイトルは、何と…ココダ。今までに、ココダについて書かれた、最高の本という。ソウカ、娘もこんな本を父親に送るような女になってくれたか。

40年も豪州にいて、未だまともな英語もしゃべれない私だが、じっくりと時間をかけ、あの世に行くまでには、600ページ。最後まで、読ませてもらうヨ。有り難ヨ。

ニューギニア北部海岸域から、ココダに侵入した日本軍。1942年の7月。補給路を絶たれ、弾薬も食料も切れた。翌年の1月までに、戦闘より、むしろ飢 えと病気で13000人が死んだ。豪州軍死亡、2000人。死んだ戦友の肉を食べ、木を尖らせた槍で突っ込んで、死んだ。豪州兵にとっても、彼等が遭遇し た、最も悲惨な戦い、と言って良い。

戦争の実態も知らず、世界平和を唱えるのは、実のない、気休めでしかない。あの判決が分かっていたような、一方的な極東軍事裁判からスタートした戦後の日本。

大戦経験者が生存している内に、この原点を、日本の国民は十分に見直す時点に来ている。そうすると、首相の靖国参拝問題、も自ずと解決の方向に向かうだ ろうし、何かがあると、ジャラジャラと日本の足を引っ張り、騒ぎ立てる中国の馬鹿者達へも、もう少し毅然とした態度がとれるはずだ。

豪州に押し寄せて来る、日本の若者達。機会があれば、豪州にいる間に、日本と豪州の間に何があったのか。過去の歴史をひもといてみるがいい。日本という国が、豪州という国が、よく見えてきて、もう少し、日本人、になれるヨ。

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