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vol.45「なんで海外に住むことになったのか?」

2007年09月10日

7月に伊豆に行ってきた。伊豆で潜るのは10年以上ぶりだったが、約2週間毎日温泉・講習・ダイビングと満喫してきた。ケアンズに来て以来、仕事はオーストラリアが舞台と突っ走ってきたけれど、今回チャンスがあり日本での仕事となったわけである。いわゆるインストラクターの逆輸入。

40歳を過ぎケアンズに住んでダイビングの仕事をしているなんて20年前には想像していなかった。そもそも海外に住もうなんて考えは全くなかったわけで、人生とは不思議なもんである。こうなった原点を思い出してみると、全ては大学に入る前に行ったセブ島ホームステイにある。その当時、セブ島と聞いてもどこの国かも知らず、とんでもない無人島に行くような気がしていた。スーツケースの中にはトイレットペーパーまで入っていたような覚えがある。今考えるととんでもない無知で偏見があったと恥ずかしいばかりだが、初めての海外旅行でもあったので結局トンチンカンな準備をして出かけていった。
その旅行は、「アジア自然塾」と言う団体が主催したもので、普通のパッケージ旅行とは違った。参加者は全て小学生が中学生。いろいろな問題を抱えた子供たちが海外の異文化に触れて何かを感じ取ってもらおうと企画されたものである。そんなツアーに、何も学校でも家庭内でも問題のなかった(たぶん・・)僕を母親が参加させてしまったのである。1週間あまりのホームステイであったのだが、少し年齢が高かったため僕とツアーリーダーは1軒の普通の家に泊まることになった。普通と言うのは、他の子供たちはフィリピンの非常に貧しい家族に振り分けられていたからである。キッチン・ベットルーム・ダイニングが全て一部屋で収まっているような家も多かったような気がする。玄関なんかは、腰をかがめないとは入れないようなところも多くあった。そんな中、僕が泊まった家はもともと地主の家系で、部屋もちゃんとベットもあり、シャワーやトイレなども何の不便もなく出来た(ただし、水は自分で汲んでこなければいけなかったが)。その家の両隣、向かい全てが親戚である。そこの娘さんが今の嫁である。母親にしてみれば、軽い気持ちでプレゼントした海外旅行だったのかもしれないが、僕にとって見ればそれが初の海外であり、カルチャーショックであり、出会いであり、そしてダイビング触れることになるきっかけでもあった。

そこから始まった日本国外への興味が、大学の休学・結婚・ダイビングへと続いていくことになり、気がつけばオーストラリアへの移住となったわけである。1年休学中にセブ島に住み、ダイビングのインストラクターまで取得し大学へ復学したときには、週末は全てインストラクターの仕事で明け暮れた。大学の就活なんかは無縁、教授には「退学したらフルコースやな」とまで言われていた(ちなみに浪人・休学・留年をしていたからである)。理系の大学を出ながら、卒業名簿の就職欄にはサービス業なんて書いてある。

ケアンズでワーキングホリデーの人を見ていると、昔の僕と同じような経験をしているんじゃないかなと思ってしまう。ワーホリの1年が、その後の人生のどれだけを占めていくのか。

僕の場合、そこから始まった海外生活は合計20年ほどになる。人生の半分だ。日本に帰るときは帰国と言うよりも海外旅行といった感じのほうが強い。渋谷に行っても道頓堀に行っても、完全に外人である。

写真は、大阪ミナミの法善寺横町。もちろん昔住んでいたころに行ったことがあるはずなのだがその記憶がない。知人に連れて行ってもらったのだが、ここで食った串焼きは最高だった。入り口のすぐ前の角にある4人も入ればいっぱいになる立ち飲みバーもかなり感動。バーマンのお兄ちゃんはオーストラリアに行ったことがあるらしく、ちょっと会話が弾んだ。

オーストラリアに住んでいるのは仕事のためである。どこまでこの仕事でやっていけるのかを試しているだけだ。海外で長くいればいるほど日本のよさが見えてくる。これからはケアンズに住みつつ、その日本のよさを楽しめるようなライフスタイルにできればいいなと考え中。永住権はとったけど、僕は市民権は取れないなぁ。どうしても日本のほうが好きだから、日本人でい続けるんだろうなと。そんな感じでオーストラリアと日本を移動中のダイビング小僧である。

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