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忌野清志郎という人
2009年05月16日
忌野清志郎さんが亡くなった。
中学生の頃、清志郎さんのすごいファンで、
彼のようなド派手なファッションで
武道館ライブに行っていた私。
曲もパフォーマンスも、ルックスも本当に好きでした。
「おいら」と自分のことを呼んで変じゃない大人って
おそらく少ない。
男性で、ああいうメイクをしてしまう人も
当時はいなかった、と記憶しています。
自分スタイルを貫いた方だったんですね。
周りの視線とか流行とか、超えてた。
創作活動も、生き方も自分のハートに正直に
従った方だったのだと想います。
そんなところに、中学生の私もシビレてたのかも。
まあ、単純にカッコいーと想ってました。
(周りにRCサクセションのファンの子っていなくて
ちょっと浮いてたけど。
当時は小田和正さんのオフコースが一番人気だったかな?)
清志郎さんのロックンロール葬儀(?)には、
美空ひばりさんの葬儀と同じ4万人以上のファンの方が
詰めかけたというから、シビレてたのは、
私だけじゃないのは明らかで。
死ぬ時に、走馬灯のように自分の一生を見るって
言うけれど、私は、どうせなら
とびきり面白いストーリーを見てみたい。
お〜、そういえば、あんなことやらかしたことも
あったな、みたいな。
人生って短い。だったら、とことん
真の自分とつながって生きたい…。
でも、それって案外難しかったりするんですよね。
だから、清志郎さんのことを好きな人が多かったのかも。
今の私なんて、本当はどういう道に向かいたいのか
真の自分自体がわからない状態だもんな〜。
と、そんなことを考えた夜でした。
多くの名曲&カッコいい生き方のお手本を
遺してくれて、有り難う。
忌野清志郎は不滅です★
プロフィール
- Keiko Murphy
- リビング・イン・ケアンズ発行人。2児の母。 横浜国立大学教育学部卒。在学中インドへ行ってしまったがために(?)バブル期の就職活動に大きな疑問を持ってしまう。卒業後、就職もせずにワーキングホリデーで渡豪。当時の目的は、アボリジニの壁画を見ること。 後、帰国してDTPの仕事に就く。結婚を機に再びケアンズに帰ってきたのが1993年。日本語でケアンズ情報が読めたらいいのに…と、深く考えずに1995年3月にリビングインケアンズを立ち上げ、2011年よりフリー 牡羊座・O型
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