2014年07月01日
My concert ticket on Sunday has been sold out so we added some more seats but it's already gone too!! Thank you very much everyone who bought tickets and trying to come to the concert.I will show my best on the day of the performance(^^)
7月6日のコンサートチケットが完売していたので新しく何席か追加、それも完売しました(^^)チケットを買って頂いた方々と当日来られる予定だった方達、どうも有難うございました。当日はBESTな状態で全力で描きます☆
今の展覧会風景。ギャラリーでの展覧会は7月5日まで(11時~18時)7月6日(日)は14時まで。
ポルテシアター(ビオラ田町)でのコンサートは7月6日18時開場。
お待ちしています☆
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2014年05月30日
最近の自分。
これをアートしようと思いセルフポートレイト。
この写真に自分のスタイルで描いていこうと思います。
:)
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2014年05月04日
「人間も自然の一部だ」というテーゼをたまに目にしますが、どうでしょうか。
言葉は魂を持っていますから、正しく使わないと辻褄が合わなくなります。
「自然」のもともとの意味は、「人為によらず存在する事象」ですから、人が入り込む余地はありません。
ただし、人為ではなく、人の本質や純粋存在は含まれるのかもしれませんし、最近は、ヒトをホモサピエンスという一動物種としてとらえれば、自然に含まれるという考え方もあるようですが、どうもすっきりしませんね。
人には動物とは違うという意味が込められているからでしょう。
一度、人であるという感覚を停止(エポケー)してみましょう。
そもそも、自分が人であるという感覚は、どこから生まれるのでしょうか?
人っていうのは、必ず一番上に頭があって、少しづつは違うけれども、たいてい顔の同じような位置に目や鼻や口があり、特別な事情がなければ手足のついた身体がある。それらを一部備えていない人もいるけれども、それは何か特別な事情があったからだろうから、やはり人だろう。同じような形を持っていても、工場で作られるのはロボットだ。人は母親の胎内で育ち、生まれる。ああ、でもそれは必須条件ではなくて、将来技術が進歩して、人工的な環境で受精卵から育っても同じ人だろうなぁと感じるわけです。
人は万物の霊長であるとも受け入れられているから、それに見合った行いをしないと、人で無しのように見做されたりもするわけです。
つまり、多くの個々の存在から、外面的、内面的、意味的に人であるために共通の条件を抽象して、ある一定の条件を満たせば人と判断されるというのが、初歩の認識論です。
これをエポケーすると、ありのままの自分に近づき、精神的な治療効果があるのではないかと考えています。
ヨガの目標である、ブラフマとアートマの一致に、ほんの少しだけ近づくような気もします。
畑仕事はいいですよ。
人という概念を捨てた自分が、環境の中に組み込まれる一体感を感じることが出来ます。
人為を最小限に、湧き水と雨水からのビオトープと、高低差を利用して灌水する、遊歩道と灌漑水路兼用のハイブリッドスウェイルを整備しています。水の気持ちになって水路をすすめてゆきます
ケアンズもいいですよ。
せっかくケアンズに来たのだから、全く人の気配、人為がないところを訪れてみてください。
人という感覚が小さくなりますよ。
それがケアンズが与えてくれる癒し効果のひとつだろうと考えています。
ここのブログをはじめた5年前(もう5年も経つのですね!)にも同じようなことを書いていましたが、少しはわかりやすくなってきたかな?
http://www.livingincairns.com.au/%E5%8F%A3%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%83%BB%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/%E3%80%8C%E5%80%8B%E3%80%8D%E3%81%AE%E7%AF%84%E5%9B%B2/
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