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自己啓発のパワー
2014年01月09日
自己啓発はデリケートなので、今回は少し長いです(^^;
先人の格言を尊重したり、成功者の習慣から学ぶような自己啓発があります。肯定や実践する人の多いこともさることながら、自己啓発に対する批判も激しいものです。
こころには、よりよく生きたいと願い、現在の自分を壊そうとする勇敢な選択がある一方で、より悪くなることを心配し変えずに守ろうとする強く固い選択もあります。これらのどちらも面倒くさくてかったるく無関心を貫く選択もあります。
尊いものは、たいてい理性の承認を飛び越えて、ひとつの器に相容れない正反対を内包しています。
とはいっても、生まれながらの感覚的なものだけに流されて生きていると、実社会の中では不幸な人は不幸なまま、幸福な人はずっと幸福というふうな、よくある光景に出くわすわけです。
心医術は、現在の健康状態に不満を持ち、健康になるように理性と意志の力で自分を変えたいと決心した方に贈るものです。
そういう意味では心医術は自己啓発ですが、知識や意志の力だけでなく、情動という感覚的なものの双方を大切に扱っています。医学や理性に限界がある一方で、情動には限界という概念があてはまらないものの進化論でいえばアナクロで現代の人工的な社会生活とマッチしにくいことがわかっているからであり、どちらも不完全だからです。
自己啓発が出てきたのは、歴史の中で人間は自分で自分のことを変えることができることに気づいてからです。
現代人の認知・感覚と、過去の先人の認知・感覚が同じととらえるならば、それはひどい勘違いです。多くの人々が自分で自分のことを変えることができることに気づいたのは、歴史の中ではつい最近のことです。
それに先に気づいた少数の人々が大多数を差し置いて実践し大成果を占めてきた!というのが引き寄せの法則ですね。
世に広まるきっかけとなったのは、1900年代はじめにニワトリを観察した行動学の論文などではないかと考えています。
先日、子供と一緒に鳩にえさをあげていて、この論文の存在が頭に浮かびました。
米菓を一握りパラパラと放り投げると、我先にと鳩が群をなして集まってきます。
そこには序列があります。
体格の大きい個体が先頭をきり、中くらいのが中間を占め、痩せ細った小柄な個体は最後尾でウロウロしています。小柄な鳩は、やっとのことでえさにたどり着いたかと思えば、不慣れなのか可哀想に啄ばむのも下手糞でポロポロ落として横取りされたりで、なかなか口にすることができません。
それならばと考え、まず大きな鳩をえさでひきつけ、それを見計らって小さい鳩の目の前にえさを落とすと、それに気づいた中くらいの鳩と競いながらも、なんとか一粒口にすることができます。
えさをとるのが下手な小さな鳩にも行き渡るようにするのは一苦労です。
生まれつきの得手不得手か、もしくは偶然にもえさのとり方に早く気づいたのか、それだけのことで体格には大きな格差が生まれます。そして時間の経過とともに、より大きな鳩はより肥え、より小さな鳩はより貧弱になってゆくと考えられます。
自然には、体格の違いからくる優劣なんぞの良し悪しはないのでしょうが、人間にとっては良し悪しがあります。
人間にとっては、こういう格差の比較が、矮小な優越感や安心感からくる目暗ましの喜びだの、劣等感や嫉妬心や復讐心からの悲しみや怒りの根になっていると考えられます。
あまりよいものとは思えません。
いままでから現在までの境遇から自分自身のパワーで抜け出してやろうと将来を志向するのが自己啓発です。
先に紹介した行動学の論文で、次のような観察から、どうやら人間は意志の力で自分自身を変えることができるのだろうと考えられるようになりました。
ある研究者が、ニワトリの体格とえさの選び方に注目しました。量ではなく、質の問題です。体格の良いニワトリは、えさの選び方がうまく、体格の悪いニワトリは、えさの選び方が下手。
次に、研究者は、それならば体格の良いニワトリが選んだえさを、体格の悪いニワトリに与えてみよう!!と閃きます。
その結果は、おそらく皆様の予想通りで、体格の悪いニワトリの体格が改善されました
生まれながらの動物的カンのような、感覚的なものだけを頼りにしながら生きていると、行動パターンが同じだから、境遇はあまり変わらない。幸運なニワトリの境遇に生まれ、満足しきっている人は変わらくても結構なのだろうけれども、不満を持っているもう一方はずっと辛さを味わうことになってしまう。
ニワトリは研究者の介入によって、(人間の価値観では)より良く変わることができたわけですが、人間は自分自身でそれができます。
これが、自己啓発のパワーです。
そのパワーが矮小な野心が動機であったり、達成が歪んだ優越感や安心感と結びつくと、碌なことにはならないのですけれどもね。また物質や有限の世界では、そのパワーを利用して皆が同じようなものを欲しがると、これまた碌なことになりません。
変えなければならないような境遇が動機でもあることから、不満に強くスポットライトが当たることによる心理的オーバーロードも起こるかもしれません。未来の理想に恋焦がれると、現状とゴールとの距離感が強調されるためです。
そのため、そのようなときには忍耐の一文字が要求されます。
自己啓発はこころに働きかけるがゆえ、こころが鍛えられるのです。
自己啓発に出会うことや、動機までもが予定されていたという予定論、運命論もありますが、それはまたいずれ・・
これらが自己啓発の批判の理由になっているのかもしれません。
しかしながら、こころを耕すのは無限であり、こころの成長と開放を味わうのもとても心地よいもので、誰の迷惑にもならないように思えます。成功者に向けられる、他人に起こる幸運を妬む気持ちまで含めて考えれば迷惑が及ぶかもしれませんが、こういう気持ちも自己啓発の妨げになり克服してゆかなければならないものです。
最後に自分で自分を変えるなんてことに縁がなかったとしてもチャンスが全くないわけではありません。世知辛い世の中にあっても、苦しい境遇を何とかしてあげたいという目に見えない応援などの、愛や慈悲のような救済の後押しがあることも決してお忘れなく。
なぜそんなことがいえるのかという理由は、自身の振る舞いが野暮ったく下手糞な鳩ですのでよくわかるのです。
実りある心の花
2014年01月07日
人生無駄なし!
勿論、皆さんにとっても「紆余曲折」という経験をしていると思う。
自分だってまさにその人生:)
でもそれってポジティブに考ると、それがあったから今の「自分」がある。
楽しい事は人生を素直に謳歌して、つらい時は、いつかこの経験は自分の力になると心のどこか片隅で信じる。そう思うようにしている。
ハッキリ言って自分の今までしたいと思った事は実行してきたし、それが今の自分というものを構成し、支えている。
「自信」を持つって本当に大事な事だと思う。
自分にはそれが無いと思っている人はそれを一つ創り上げる事をしてみたら、人生楽しくなるのではないでしょうか:)
新年ってある意味、心のリセットをして再出発出来るいいチャンス。
皆さんにとってこの一年が「実りある心の花」が咲くように、そして「挑戦する心」が芽吹く事を祈っています。
いつかそれが花咲く日まで!ガンバりましょう!!
こころの中の激しい戦争
2014年01月07日
心医術をはじめると、こころの中で面白い変化が起こります!
理性に押し殺されていた情動が息を吹き返したり、情動の言いなりになっていた理性が勇気を取り戻すからです。
心医術では理性や意思の力をエンジンに用いていますが、理性を使うメリットは、理性を使うと処世がとても楽だということです。
常に理性で物事に気を配り、堅実であるならばあまり大きな問題が起こらないように社会がデザインされているからです。
ところが厄介なことに、人にも獣にも情動が備わっているのですが、情動は理性に従うことをひどく嫌います。
理性を引き立てると、しばらくは焼餅を焼いた情動と、上から目線の理性の激しい戦いが起こりますが、そう長くは続きません。
理性の徳の一つは自己反省。理性が理性でもって限界を自己反省できるようになると、理性があまりでしゃばらなくなってきます。
一方で我侭な情動も、理性にあまり逆らい痛い目に合うことが繰り返されると、情動自身の情動的経験によって控えめになってきます。
こころの中で、激しく自己主張をしてぶつかり合っていた理性と情動が、お互い同士で長所を認め合い、それぞれの短所を補い合い調和を取るようになってきます。
心医術をはじめると、間もなくこころの中でこのような激しい戦争が起こりますのでご注意を。
理性と情動は、なあなあで冷戦を続けているよりも一度大喧嘩をさせてみるといい。
喧嘩を乗り超えて分かり合えた仲間同士は、一生仲良く寄り添うことができることでしょう。
そして、こころの中に理性と情動の喧嘩を冷静に眺める目があることにもまた、気づくようになるでしょう。
タージマハルとマイアート
2014年01月06日
2006年、インド旅行で撮影したタージマハルの壁。
本物にはペイントが不可能なので写真の上に自分の代表作「Coral Spawning」を描いてみました。
色彩も添えたかったのでアクセントに色のバランスと構図を考えながら配置してみました。
構図は「感覚」で考えます。
写真はリバーサルフィルムと言ってカラー色の付いたフィルムを使用。
今ではデジタル化の波におされて完全にすたれていますが、最近写真を引っ張り出して眺めるとやっぱりこのフィルム仕上げはいい雰囲気出しています。
当時はプリント代だけで40万程使った事もあり、今のデジタルには大変感謝していますが、古きものにもそれなりの価値はありますね、結構気に入っています☆
今年一発目の完成画です!
楽しきかな新年!
2014年01月04日
愛と恋
2014年01月01日
明けましておめでとうございます。
本年のテーマのひとつは言語的認知の歪みを徹底的に直そう!と思い、約1500ページの国語辞典を一日5ページづつ目を通してゆくことにしました。
一年弱で一通り完了です。
さて、スピリチュアルの領域で良く使われる言葉が「愛」。
国語辞典の最初のページに出てきます。
最近のスピリチュアルに触れると、愛がどうも歪んでいて、本当にこれでいいのかなぁと感じることがあります。
愛は明治時代に入ってきた概念で、それまで日本人の情緒表現で最高のものは「恋」でした。
愛は辞書では、胸がいっぱいになるほど切なく、好きで、大事にしたいと思う気持ちと記載されています。
一方、恋は男女の間で、相手のことが好きになり、いつも一緒にいたい、独り占めにしたいと激しく思う気持ちとあります。
ニュアンスの違いがわかりますか?
最高の愛は、キリスト教的であり、無境界で無限に広がってゆく指向性を持ちますが、最高の恋はただ一人の異性に収束してゆく正反対の性質を持つ印象です。
世間では、愛と恋がごちゃごちゃ混同していて、恋が愛にすりかえられ、愛が窮屈に閉じ込められているのを感じます。
独占は愛ではなく恋。そして、恋もまた愛に負けず劣らず激しい。
しかしながら、愛をずれたフィーリングでいってみたり、恋は愛と誤解され、愛ほどに認知されなくなってきているような・・・
そして、相手を独占しようとする恋が、今の社会では悪であるかのような・・・
大切にしたいという気持ちがないのに(少し極端ですが)、「僕はあなたを愛しています」といったら嘘。
嘘ですから決して伝わらないでしょう。
正確には「僕はあなたに恋をしています」こう伝えれば正しく伝わる。
受け入れられるか拒絶されるかは時の運ですが、後腐れは少ないでしょう。
心医術はプラグマティズムなので、肯定的な感情として愛情を取り上げています。
例を挙げると、自分の子供が切ないほどに大切だから、他の子供たちも同じ。この末広がりが愛の働きです。
そして、こういうこころが健康を作るのだと、脳科学、心理学、精神免疫学領域の論文を組み立ててゆくと道筋が見えてきます。
プラグマティズム的な、健康のために愛を利用するというのも、もはや愛ではありませんが、微妙なニュアンスをわかっていただけるでしょうか。
そして、外来思想は安っぽいと判断されがちですが、日本の風土で愛は根付いてゆくでしょうか。
言葉を正確に使うようになると、認知が言葉に固定されてしまうリスクはありますが、無意識の意識化がすすんで、モヤモヤが取れてスッキリしますよ。
跳ね馬の2014年!
2013年12月31日
2013年は自分にとって色々な意味で「変革」の年でしたが、今になって考えてみると色々と「覚悟」を決めさせてくれた一年でした。感謝です!
2014年はこの「跳ね馬」のように“自分の情熱”を進むべき方向へ集中して躍動していくのみです!!皆さんにとっても飛躍の一年でありますように☆
2014年もどうぞよろしくお願い致します!!!
ポジティブに考える力
2013年12月30日
先日MINIと交換した絵。
浜松市佐鳴台にあるベーカリー「ブーランジェリーランプ」に飾られたので見に行ってきました。
色彩がこのお店に馴染んでいていい感じです☆
この絵の墨で描いた部分は、実は「寿」の字の一部分でこの時期にもピッタリだし縁起がいい(^^)。
下から上に伸びる白線はポジティブ指向を表現しています。
人生には色々な出来事が起きますが、それをいかにして前向きに捉え、有意義なものに捉えるかが「幸福のカギ」だと思っています。
皆さんには結構「幸せ者」だと思われているこの僕も、皆さんと平等に色々な事を経験していますが、つらい事でもポジティブに考える力には自信があります。
勿論、僕は「幸せ者」だと思っていますが(笑)。
来年も色々と素敵な事が皆さんに訪れる事を祈っています!!
では皆さん、よいお年をお迎え下さい☆
デザインコンペティション ゲスト出演決定
2013年12月28日
一所懸命という言葉
2013年12月16日
今年もあとわずかですね。
厄年ということもあり、あまり外には出ず、無理をせず、歪みを整える年にしようという方針で過ごしてきました。
一番どうにかしなきゃならんなぁと感じていたのが、畑。
もともとは大荒地野菊なんてのが勝手に生えるほどの原野でしたが、その大荒地を昨年はエノコロ草に占領され白旗をあげて(そのわらを有効利用する戦略でもあった)、1時間とか2時間の時間有給を取りながら、今年はなんとかここまで整地しました。
無農薬、無施肥で収穫も増えています。収穫しても増えているということは、大地に無理をさせていないということなので、嬉しいです。
こういうことをやっていると、不思議と日本語の本当の意味もわかってきます。
日本語は土地と生活と感性が結びつき、一つ一つの言葉が情緒に溢れていて、本当に美しいですね。
一所懸命という言葉がありますけれども、懸命っていうのは、命(≒命令)を懸けるという意味で、もともとは領主から託された一所というでした。
その託された一所を原野から開拓して生活の基盤として守りながら、それが同時に国造りにもつながる。祖先は武士でもあり、開拓農民でもあったわけです。
自分の手で、雨で固まり根で絞まった大地に鍬を跳ね返されて苦労してみないと、こういう感覚はなかなかわからないですね。
それがいつしか、一生懸命になって、一生を懸命された。どなたから???って思うわけです。
そして、スカスカになってただ漠然と一生頑張るになってしまいます。
子供たちも楽しく一所懸命、落ち葉集めをしてくれます。こんなに小さいのにもう一所を支えてくれています。
この落ち葉は、腐葉土になり、畑に循環し、野菜や果物として頂きます。
言葉が理解できるようになったから、祖先の営みの積み重ねや今の日本という国土に敬意も湧き出てくる。
日本の生活は、土地や草木といった自然と、食事や教育や療養や娯楽といった生活と深く関わってきたことがわかります。
そのスムーズな気の流れが、健康ということと確信しています。
言葉っていうのは大切にしなければならないとしみじみ感じます。
こんな感じで今年は自分に託された場所で一所懸命やっておりました。
来年は後厄。
引き続き、一所で頑張りたいと思います。
皆様、良いお年を!
小学校の時の作品 発見
2013年12月14日
この牛は近くの酪農家までクラスで出向いて写生した絵。
当時は筆ペンというものを作成して描くという授業をしていました。
小学校の時には沢山の賞状を頂いていたのもあり、図工の授業が大好きだったし、自分の絵に自信があったのを覚えています。
その中でも現在手元にあるのはごくわずか。
この絵は小学校にしばらく保管されていましたが、卒業と同時に帰ってきました。
当時の写生大会は金賞をいつも貰っていたけれど、この前の時に牛の全体像を構図に入れ、被写体が小さくなってしまい初めての落選。
その次の年に同じ“牛の絵”だったので、リベンジとばかりに息巻いていました。
前回の落選がよっぽど悔しかったんでしょう、顔のみの構図で挑んでいます。
おかげで県展で賞を頂き、とても嬉しかった事を覚えています。
これは小6の時の彫刻作品。オルゴールを制作し、それの蓋の部分を彫刻刀で仕上げました。
今見るとどれも懐かしく、その時の心境まで浮彫りにされます。
昔の作品から色々と学ぶ事があると実感しています。
生まれる前と本当の自分
2013年12月13日
3歳の息子と二人で山小屋に向かう車中は本当に幸せな時間ですが、以前に息子が楽しかったときの事をバックミラー越しに話していたら、かなり前のことまで本当に良く覚えていました。
どこまで遡ることができるのか、退行催眠をやってみました。
・・・・・・・
「ところで、ママのお腹の中のことは覚えてる?」
「うん、えいくん一人で寂しかった・・・」
「他には誰もいないの?」
「うん一人」
「お腹の中はどうだった?」
「暗かった」
「声は聞こえた?」
「ママの声は聞こえたよ」
「パパの声は?」
「聞こえなかった」
「ママの声だけ?」
「うん」
「そうか、ママのお腹の中に入ったときのことを覚えてる?」
「うん、明るかったので入ってみたの」
「お腹の中は暗いのに、何で明るいの?」
「・・・・・・わかんない」
「どうして入ろうと思ったの?」
「・・・・・・・」(特に理由はないらしい)
「お腹の中は苦しかった?それともいい気持ちだった?」
「いい気持ち(^^)」
「生まれてくるときはどうだった?」(←安産だった)
「痛かった」
「すごく痛かった?我慢できないほど?」
「ちょっと痛かった」
「どこが痛かったの?」
「頭と肩と、あと足が痛かった」
「生まれたときは苦しかった?」
「気持ちよかった。でもえいくんえーんって泣いたの」(本当に覚えているのか?)
「生まれたらどうなった」
「明るくなった」
「そうそう、お腹の中に入ったときのことはどうだった?」(再現性があるかもう一度聞いてみた)
「さっき言ったじゃん」
「もう一回教えて」
「明るかったから入ったの」
・・・・・・・
息子はまだ嘘をつくことをあまり覚えていないので、誕生のイメージを表現するとこうなるのでしょうか。
息子と話していると本当に色々なことに気づきます。
最近は、おもちゃの線路をうまく接続できず四苦八苦していると、「線路がえいくんの言うことを聞いてくれないの」と助けを求めてきます。
思い通りにならないのではなく、言うことを聞いてくれないなのですね。線路にも意思があるような言い方です。主客の区別がまだはっきりしていないのでしょうか。
他には、「くっせーーーー(~o~)」とかよろしくない言葉を使い始めたので、「どこでそういうことを覚えたの?」とたずねると、「神様がえいくんにCDを入れたの」と答えます。
善悪の判断がないので、神様というよりも、隠れ身様とか、霊のほうがより感覚に近いのでしょうか。
本当の自分と、外部からの影響の区別もまだよくついているようです。
心医術を開発したときに、情動とは生まれたときから(ある意味では先祖から)の総決算であることから、成長過程において魂を大切することの大切さを理解しました。
そして、アボリジニはこういう魂を大切にする子育てをしているんですね。
だから、いろいろなものと結びつくことができるのだろうと考えています。
日本でも江戸時代にはそういう子育てをしているのですね。アボリジニと昔の日本の子育ては少し似ています。
ツュンベリーの『江戸参府随行記』よると、
「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった。まったく嘆かわしいことに、もっと教養があって洗練されているはずの民族に、そうした行為がよく見られる。」
子供にかけるべき言葉は「ダメ」ではなく「いいよ」。
子供たちには、ずっと本当の自分を見失うことなく成長してほしいものです。
アボリジニの文化で懐かしい気分になるのが不思議でした
2013年12月11日
今回の旅行では、ジャプカイ・アボリジニカルチャーパークに行って参りました。
(いつも写真が少なくて申し訳ございません。整理しましたら少しづつアップします。)
入り口から入るとオーストラリアの赤です。新婚旅行で訪れたエアーズロックが懐かしくなります。
通路を過ぎると、広いホールにアボリジニの絵が飾られています。
アボリジニの絵や文化に触れると、何か懐かしい気分になります。
最近、エピジェネティクスの領域で、親が生まれた後に経験した後天的な情動も遺伝することがわかってきているので、先祖から引き継がれてきた心の奥底にある何かに響くのでしょうね。
最初のショーではディジュリドゥの演奏で歓迎してくれます。
音を耳で聞くもんだと思っている方は是非この演奏を聴いてみてください。
音波によって身体全体が振動しているのがわかります。
もちろん鼓膜が一番良く振動していますけれども。
音は耳で聞いているのではありません。全身で感じているのです。
次のシアターでは、ジャプカイ族の天地開闢の物語、ドリーミングに触れることができます。
キリスト教の創世記、科学のビックバンと同じようにジャプカイ族にも天地開闢の言い伝えがあるというナレーションからストーリーがはじまります。
われわれはどこから来たのかという哲学での大命題ですね。
タルムードは、こういうことを考える者は生まれてこないほうがよかったと説いていたり、釈尊は、毒矢のたとえの方便で、どうせ考えたってわからないんだから、そんなことに貴重な一生の時間を使うなと説いています。
こういうことが説かれているということは、それだけ自分の故郷を知りたいという人間の欲求は相当に強く、時代や人種に関係なく共通しているのでしょうね。
現在でも数千億円もかけて粒子加速器などが造られ、おそらく自分の故郷を知りたいという強い欲求からくるものでしょう。
人類の起源説は、アフリカ起源説や、オーストラリア起源説もありますけれども、アボリジニの文化に懐かしさを感じるということは、自分はアボリジニにも起源を持つのかもしれないし、日本の天地開闢を記した古事記ともとても似ていますので、似ている故郷に共鳴しているのかもしれないなぁなどと感じていました。
次は屋外ステージで、歌とダンスのショーです。子供たちも大喜び。
日本に帰ってからも突然思い出すのか「う~~~~~~~~~~~~ふぅ」と歌っています。
アボリジニが使うブーメランやハーブのレクチャー、ボディーペイント、槍投げとブーメラン投げ、ストーンペイントなども楽しめ、とても楽しく良かったです。
何よりもアボリジニの絵は本当にいいですね。
心にスッと入ってきて、治療的な働きを持つように感じます。
2時間ほどで一周して、色々なイベントを楽しめますので、開始時間をチェックして訪れてください。
ナイトショーもあり、翌日はこちらも体験して来ましたが、子供もとても楽しんでいました。昼とはまた違った雰囲気でとても良かったです。
異文化にこんなに簡単に触れることができるっていうのは、本当に幸せで有難いですね。
ネルソン・マンデラ
2013年12月08日
「ビジョンのみで行動しない事は時間が流れるだけです。それはただ夢をみているだけで終わってしまいます。しかし、ビジョンのある行動はこの世の中を変える事ができるのです。」
自己犠牲の精神、そして底なしに寛大な素晴らしい考えを実行に移した、一人の偉大な賢者がこの世を去りましたが、彼は本当に沢山の素晴らしい人間の根本からの精神ともいえる「足跡」をこの世に残してくれました。
マンデラ。。どうぞ安らかに。。言葉では表現出来ないほどの「感謝」と尊敬の念を心より送ります。
「私の成功をジャッジしないで下さい。私がどれだけ失敗し、転げ落ちても立ち上がったかをジャッジして下さい。」
このメッセージは偉大なボクサー、モハメド・アリがマンデラに捧げたメッセージです。
マンデラ。一つの名前。一人の男。一つの使命。それは危機から国家を救うこと。
人類史上、国家にこれほどの影響を与え、世界に勇気を与えた人間はほとんどいない。
マンデラ。
彼は、自分の国をアパルトヘイトという悪から多民族の民主主義という栄光へと平和的に導いた。
一人の人間がかつてこれほど国家の形成を、そして理念の形成をもたらしたことがあっただろうか。まさに自らの人生を犠牲にした人物だけができたことだ。
ミスター・マンデラは27年間も監獄島に幽閉された。彼がそのとき収監を逃れようと思ったならば、他国に亡命し、安全な場所から不正義に対する抗議を続けることも容易だったであろう。しかし、ミスター・マンデラはそれを選択しなかった。彼はそのような人間ではなかった。仲間が苦しみを味わい続ける限り、彼も共に苦しみを背負うことを選択したのだ。
私は抗議することの意味を知っている。私は体制に逆らい、理想にまい進する人たちの心に通底する感情や疑問を十分知っている。個々の犠牲は尊いものだ。しかし、もっとも偉大な人物は、大義のために忍耐し続けた。今日の南アフリカはミスター・マンデラの犠牲の上に築かれた。今でも驚かされるのは、一人の男が己の人生の25年以上を捧げ、刑務所から出所し、自らを投獄した人間に赦しを与えたことだ。
ズールー(訳注・南アフリカ最大の民族)の言葉「ンドゥグ」(ndugu/「同志」「兄弟」の意味)は、彼を言い表すにのもっともふさわしい。つまり、「私の人間らしさは、あらゆる人の中にある」ということだ。ミスター・マンデラは、あらゆる不正義が降りかかろうとも、彼を罰する人から人間らしさを見い出すことができた。これは世界が学ぶべき教訓である。我々のもっとも醜悪な部分にさえ、人間らしさは宿る。国の指導者たちが彼の流儀を受け入れてくれれば、世界中が平和になるだろう。彼は違いを超えて融和するための方法があることを証明した。
ミスター・マンデラが自由への道を歩んだとき、私は監獄の中にいる彼について考えた。彼の勇気、誇り、不屈の精神――それらは彼が昔から持ち続けた信念の力によって支えられたものだ。彼の固い決意は南アフリカを照らす灯火となった。そして彼が自由の身となった偉大なる日(1990年2月11日)に、南アフリカの人々は、束縛から解放された崇高で強力な指導者に付き従っていった。
その後、ミスター・マンデラがロベン島刑務所の監獄の中で私のファイトをラジオで聞いていたことを知り驚いた。ささいなことかもしれないが、わたしは感涙にむせんだ。わたしの戦いぶりがあのとき監獄にいた彼の、流刑の身の王として冷たく孤独な日々を過ごしていた彼の不屈の精神を支える一助になっていたとは。もしあの夜行われたモハメド・アリ対ジョー・フレージャー戦(1971年3月8日。アリが初めて敗北した)で、彼がラジオの向こう側でわたしの勝利を心から希求しわたしを見守ってくれていたと知っていたら、わたしはジョーを打ち負かすことができたであろう。何かのために戦うときにこそ、わたしは強くなれるからだ。
ミスター・マンデラは彼の部族の長として崇められている(名字はマンディバ)。しかし彼が束ねていたのはそれだけではない。彼が束ねていたのは人類の勇気そのものであり、彼は人類の良心を導くリーダーだった。ミスター・マンデラほど強く、尊く、意義深いリーダーシップをもって世界に語りかけた人は今世紀には存在しないだろう。
今日から100年経ったとき、誰かが彼の名を口にするだろう。そしてこの世界のどこかで少年が、マンデラという男が生きた「生き様」に胸を打たれ、その足跡を辿るようにまた偉業を成し遂げることであろう。ミスター・マンデラが私たちに遺してくれた最大の「遺産」とはこれだ。我々の進むべき道を幾年も幾年も照らし続けてくれる一筋の光。ひとりの人間が来る未来に遺すことのできる「遺産」として、この光ほど尊いものは存在しうるだろうか。
ミスター・マンデラは彼の祖国では「タタ」、父とも呼ばれている。彼の成し遂げた偉業を見れば彼が南アフリカの父と呼ばれる理由も大いに理解できるだろう。しかし彼はその生涯を他者への献身、自由への闘争、そして類い稀な自己犠牲の精神で貫き通した人だ。だからこそ、ミスター・マンデラは「祖国の父」ではない。彼は「世界の父」なのだ。
最後に最も偉大な男に敬礼を捧げ、マンデラの時代に生きたことを誇りに思う。
ヨガって何?
2013年12月05日
厄落としも終わった?ことだし、そろそろまたがんばって記事にも復帰していこう!と思っております。
ケアンズ滞在中は、ほとんど毎日ヨガをやっていましたが、ハタヨガをやると、飛行機の移動や不適切な飲食物で固くなったからだがほぐれて行くのがわかります。
特に飛行機はすごいですね。数時間おきにアルコールを勧められ、チーズ、デザート、チョコレート三昧で、早々に限界を超えて客室乗務員に「水だけでall right」と繰り返していたら、「あなた楽ですね」と喜ばれました。
最近、世ではヨガが一人歩きしてわけがわからなくなってしまっているので、少し解説したいと思います。
ヨガはパタンジャリによるヨーガ・スートラが根本経典になっています。
ヨーガ・スートラの最初から2番目にヨガの定義が書かれています。
YOGAS CHITTA VRITTI NIRODHAH.(心の作用を滅却することがヨガである)
そうするとどうなるのかは3番目。
TADA DRASHTUH SVARUPE VASTHANAM.(そのとき、見る者は、本来の状態にとどまる)
見る者というのは、スピリチュアルの方々が仰る、本当の自分と同義でしょう。
ここから先は、瞑想や体操、日常の行動規範や心構えなど、ここに至る方法が多岐に解説されているわけです。
科学はその一部を取り出して検証して、学力の向上や美容、ダイエットの成功、病気の克服といった目的に役立てようとするわけです。こういう世俗的な欲求を滅却しなければならないとも思うのですが、ヨガは懐が深いのでよくわかりません。
心医術では、ありとあらゆる刺激が心に作用することがわかっているため(そのため本文中で雑念を止めることは無理だと表現しています。本当にヨガはすごいですね)、科学を力を借りて、出来る限り最小の努力で安定させることをコンセプトにしています。そのため実践していると、ヨガの上達に役に立っているように感じます。
ヨガもまた科学なので、心の作用を滅却しようと思わなくても、行法を実行すれば心の滅却に近づくように感じるのですが、ゴールを知っていたほうが上達が早いように思いましたので、書いてみました。
SEIJIの旅日記
2013年12月04日
自分の「旅の物語」を読んでもらう事で、自分の「心のモノサシ」を変えてくれた出来事を共有出来ればと思い書き始めました。時間があれば是非どうぞ(^^)。
旅の始めはオーストラリア ハギスタン島から!これから徐々に増殖させていきます☆
http://fusionofpassions.jimdo.com/seijiの旅日記/
ピエロと楽器 企業看板制作
2013年12月03日
楽器制作会社からの依頼された作品。
3m四方の看板になりました。
あるモチーフのピエロの顔を元にと依頼を受け制作開始しました。
サックス、トランペットとチューバはこの会社の看板商品、「ピエロと管楽器」のコラボはここから生まれました。
楽器の持つピエロの手の形は、実際この楽器を演奏している人達の手を基に制作。
上と左側の音符も、僕の好きなアーティストのサビの部分を描き、正しい音色を奏でています。
それぞれ白人と黒人のミュージシャンで、ちょうどピアノの黒鍵と白鍵の「音楽のハーモニー」を表現し、同時に僕の作品に出てくるコンセプト「陰と陽」も表しています。
今までこのような作品は描いた事が無かったけれど、お陰様で今回結構楽しく描けました。
厄落とし?
2013年12月02日
先週ケアンズに行ってまいりましたが、今回はケアンズに辿り着くまでが一苦労でした。
予定時間に出発したものの、忘れ物を取りに戻ったり、事故渋滞に巻き込まれ・・・
遅刻しそうなため、渋滞の中からジェットスターに電話したところ、
「間に合わなければ無理ですね」と予想通りのお返事。
けじめなので仕方ありません。
ナビの渋滞情報と時計とにらめっこしながらノロノロ運転の首都高を抜けると、わずかな希望も残っていました。
しばらくするとジェットスターから電話がかかってきました。
「ビジネスでしたので予約変更はできますよ」と。
前回の旅行では、娘と息子が飛行機のシートで横になったときに、やれ足が触れたのどうだので喧嘩して大騒ぎで周りの皆様にご迷惑をおかけしてしまったこともあり、今回はキャンペーン価格で申し込むことが出来たため、偶然にもビジネスで予約していました。
しかし、その変更金額17万円也。
「変更しますか?」と尋ねられましたが、そのとき富里IC付近で10分前くらい。
「間に合うかもしれないので取り合えず向かってみます」と答え、2分遅れで乗降場に到着。妻をカウンターに急がせ事情を説明することに。
しばらく待つこと、妻より「荷物と人が揃っていないのでだめだった」との電話。
戻ってくるよう伝え、覚悟は決めていたので、子供たちに「沼津に帰ろう」というと、「お友達に会いたいよー。ケアンズに行きたいよー」と娘、息子号泣。
車中で問答の末、翌日に変更しなければ収拾がつかない修羅場に。仕方がないので翌日に変更しようという結論になりました。
妻が手続きから戻ってくると、なんだか満足気。不憫に思ってくださったのか、2万円で変更できたとのことです。
ジェットスター、担当者様、ありがとうございました!そして、色々とご面倒をおかけしてしまいまして誠に申し訳ございませんでした。
空港近くのホテルで一晩過ごそうとも考えたのですが、チェックアウトの時間や子供の世話のことを考えて、東京の妻の実家に泊まらせていただくことに。
そして、楽しく宴会。
無理に流れに逆らおうとしななければ、なんとか丸く収まるものだなぁなどと考えながら、なんとなく厄落としのお祝いのような雰囲気でした。
おかげさまで、ゆっくり休ませていただき、次回からのケアンズ旅行は妻の実家に前泊してお世話になって、また宴会をすることに決めました!
トラブルは続き、翌日の高速でも分岐を間違えてしまいましたが、余裕を持って出発していたため、ハラハラしましたが、なんとか無事空港に到着。
今回は成田空港までがトラブルの連続で、本当に四苦八苦でした。今までこんなことはなかったのに、夫婦揃って大厄のためなのか色々起こるものですね。
次回はケアンズ滞在の様子を書こうと思います。
プロフィール
- seiji_yamauchi
- 1997年オーストラリアから旅を始め、約一年半、撮影旅行をしながらオーストラリア、東南アジアを旅する。その旅行中に南オーストラリアのアデレードのメインストリートで見た世界中のストリートパフォーマー達に刺激を受け、一緒に絵を描き始めた。 それが初めてのパフォーマンスアートとなった。 一度日本に帰国し、そこから中国の北京に渡り、ロンドンまでの約15,000kmを陸海路で3ヶ月間、8ヶ国を撮影旅行しながら横断を達成する。 その後、オーストラリアの永住権を取得。ケアンズで4年留まり、写真展、絵画展、オリジナルパフォーマンスアートを展開。 ダンスパフォーマンス、ミュージカルなどにも出演し、自己表現の研鑽に努める。 2006年2月から5ヶ月かけてインド陸路10,000kmを撮影旅行する。 その後、モルディブ、パリに滞在後、中国を横断した。 日本に帰国後、“芸術の融合”を企画、プロデュース。オペラ歌手、ピアニスト、日本舞踊とのコラボレーションを行った。 現在、東京都に在住。日本の美の再認識、“芸術の融合”を意欲的に展開していく決心をする。
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