ホテルの経営は、人生そのもの。 だからハートが入っている。
Paul Kamsler Jr.
パシフィック・インターナショナルホテル
総支配人
Profile
Paul Kamsler Jr. ぽーる・かむずらー・じゅにあ
ケアンズ生まれ。シドニーの寄宿学校で教育を受けた後、両親のビジネスを手伝うため帰省。カムズラーファミリーとして、ケアンズ初の国際級ホテルを1982年に創設。当地の観光業の重要な役割を担い続ける。地域へ様々な貢献した一家としても著名で、数々の賞を受賞。’08年6月に、ケアンズ初のブラジル風バーベキューレストランをホテル内にオープン予定。老舗ながら、常にケアンズに新風を吹き込んでいる。
土地の名士。ケアンズに長く住む人なら知らない人はいない、カムズラー一家。多くの人の尊敬を受けるこの一家を代表して語ってくれた、ポール氏のビジョンは…。
「1978年。一家で訪れたハワイのビーチで、ケアンズにホテルを 建てる夢が始まった」
ケアンズシティの中心、そして海岸通りという最高のロケーションにあるパシフィック・インターナショナルホテルが、家族経営のホテルと聞いて驚く方がいるかもしれない。
「家族で経営するホテルというのは、ヨーロッパではよくあるけどね。ヒルトンなども最初は家族経営だったけれど、アメリカでグローバリゼーションの波が押し寄せて来てから、ほとんどがよく似たブランドホテルになってしまった。
でも、ゲストは、温かみや個性のあるスモールホテルを望む時代になってきていると思う」と語るポール・カムズラーJr.さん。
パシフィック・インターナショナルホテルが長く愛され続けているのは、支配人であるカムズラー一家の思想が隅々まで行き届いているからに違いない。
「ホテルが自分たちのホーム。だから、ゲストの皆さんは我が家に遊びに来てくれた大切なお客様。
そうだね、ホテル経営というのは僕らにとって、仕事じゃないんだ。"a way of life"〜人生そのもの。だから経営にハートが入っているんだよ」
実は、パシフィック・インターナショナルホテルはケアンズ初の国際級ホテル。
それまで高層ビルなど1つもない、のんびりとした田舎町ケアンズでは11階建てホテルの出現は大きな出来事だった。
当時は「カムズラーは熱病にかかったんじゃないか」と言った批判の声がうずまく。
が、一家には「観光が今後ケアンズの大きな産業になる。大型ホテルが必要とされる時代が必ず来る」と言う確固たる信念があった。
折しも、時を同じくしてケアンズに国際空港が開港。パシフィック・インターナショナルホテルは、町の発展に大きな役割を果たすようになっていく。
「そもそもは、両親が1950年にケアンズにホリデーに来て気に入って、小さなモーテルを運営し始めたのが始まり。
1978年に家族旅行でハワイに行った時、ケアンズもここと似ているじゃないか。ケアンズには観光地としての可能性がある。ホテルを建てよう、と言う夢が始まったんだ」
そして土地探し。1875年に、初めてヨーロッパ人が船から降り立った土地、と言う歴史的な場所〜現在ホテルが立つ場所〜に決めた。
1980年に着工、1982年にホテルはオープンし、一家の夢が現実のものとなった。
「一番大切なのはスタッフ。 そしてゲストに温かく、
きめ細かなもてなしをすること」
唯一の国際ホテルとあって、オープン後は国内外の様々なセレブが滞在したと言う。
ウィーン生まれで、在ケアンズ・ウィーン領事も勤めたお父上、ポール・カムズラーSnr.のヨーロッパ的な趣向も手伝ってか、作家など文化人にも好まれた。
同氏は、85才の今も、ホテルで指揮を取る。
(ちなみに、木曜島の真珠養殖産業、そして何とクロコダイルハンターをしていたというユニークな経歴を持ち、"特筆すべき貢献をした人"と言う賞を受賞するなど、コミュニティから尊敬を受けている人物。)
真ん中がお父様のポール・カムズラーSnrさん、右が弟のマークさん。創設以来、一家で経営している事を誇りにしている。
オープン以降26年経った今、周りにはホテルが多く立ち並び、ケアンズの様相も様変わりしたが、パシフィック・インターナショナルホテルの哲学は変わっていない。
「一番大切なのはスタッフ。そしてもちろん、ゲストがお金を払うに値する温かく、きめ細かなもてなしをすること」
ただし、老舗という看板に甘えず、常に前を見据える。石焼ステーキも、釜焼きピッツアも、ケアンズで初めて導入したのは当ホテルのレストランだった。
「同じことをするレストランが増えたから」と、今は、これもまたケアンズで初のコンセプト、ブラジル風バーベキューレストランを開業準備中だ。
「大変競争が激しいケアンズのレストラン業界で、他と同じことをしていても成功しない。上質なビーフ、そしてエキサイティングという、人々が好きな2つのキーワードを満たすコンセプトを探して行き着いたのが、ブラジリアンスタイルだった」。
大型の串焼きを、シェフがテーブルでサーブしてくれると言うエンターテイメント性の高いシアタースタイルのレストラン。
横には、地元の食材をできる限り使ったスペイン風小皿料理と、独創性あふれるカクテルを出すバーが設えられる予定だ。現代的なインテリアの中に、当地の歴史的な写真を飾ったりと、あくまで「ローカル」にこだわるところが、パシフィック・インターナショナルらしい。
「人生はチャレンジ。 困難に乗り越えた時、強くなれる」
豪ドルが強い為替、株式市場の暴落、グローバル、クレジットクライシス、燃料費の高騰など、現在多くの困難に立ち向かっているケアンズ。
これらの要素が相まって、観光客の数自体が減り、更に、訪れた人々も以前よりお金を使わなくなった。
誰も目を向けなかった時代に、観光地としてのケアンズの可能性を確信し、ビジョンを持って進み続けたカムズラー一家は、今の停滞気味のケアンズの観光業界にどのような考えを持っているのだろうか。
ケアンズ初の国際級ホテル、パシフィック・インターナショナルホテルは、海沿いの最高のロケーション。この26年間、ケアンズの様々な変遷を見守って来た。
「僕らがホテルを建ててからこれまでも、ライバルの出現はもとより、SARSや不景気など、多くの大変な時期があった。
でも、これらの出来事が僕らを一層強くしてくれたと思う。
人生って、チャレンジすることではないかな。今、事業にとってはタフな時だけれど、この時期を乗り越えた後に、ケアンズは一層強く、そしてより多くの人が訪れる町になっていると思う。」
経営を楽しく行い、ハッピーでいたいと言うポールさん。町に根付き、ハートのあるホテルをカムズラー一家が運営していることは、”ケアンズにとってのハッピー”と言えよう。
編集後記:
インタビューのリクエストに、個人でなく一家としてフィーチャーしてほしいとの第一声。家族経営って簡単なことではないと思うのですが、26年間経った今でもその絆は強い!
「口論もよくするし、普通の家族」とおっしゃっていましたが、お互いを尊敬している様子が撮影時に自然とあふれて。
時代の一歩先を読む先見性を持ちながら、足が地についている。
ハッピーでいたい、と言い切るいい意味でのリラックス感が、生粋のケアンズっ子であることを感じさせる方でした。Keiko
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