自分の価値観を変えた異文化体験を市の活動を通して実現 Deevah Melendez
Profile
ディーバ・メレンデズ プエルトリコ生まれ。1982年より約10年間ニューヨークのスポーツブランドで、ファッションデザイナーとして活躍。工場見学で訪れたインドで自分の人生を考え直し、世界旅行に出る。TAFEでスペイン語の教師、アフリカでのボランティア教師などを経て、1997年よりケアンズ市のマルチカルチャー・コミュニティアートフォフィサーに。2000年から現在までは、同市のマルチカルチャー・プランニング&デベロップメント・オフィサーとして、数々のイベントを企画、実施。社会科学の学士も持つ。 自分の心に素直に…。言うのは簡単だけれど、成功していたキャリアを捨てて新しい世界に身を投じるのは、かなりの勇気が必要だ。 「良いと思うことを心から信じていれば何等かの形になるはず」
ディーバさんは、ケアンズで唯一のプエルトリコ人。彼女の最初のキャリアは、ニューヨークのファッション業界で培われた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、会社の工場を訪ねるために行ったインドでの体験がきっかけ。
「アメリカを出たことのなかった私にとっては大大ショック。物質社会にどっぷり浸かっていた今までの価値観に、大きな疑問がわいてきました。インドへ行って、初めて本当の自分が頭をもたげ始めたのです」
この後の行動が並ではない。人が羨む年収を捨てて、ニューヨークの会社を辞めてしまったのだ。
その後シンプルな暮らしに憧れて、母親のいたハワイでブティックの経営を始めるも、4年後には、大型台風、母親の死によってその生活も終わりを告げ、傷心のまま旅に出る。 「母親は若くで亡くなってしまったけど、生きがいを持って人生を全うした人なのね。そんな彼女の側にいて、私は生きる目標が見つかってないなって感じていた」
そんなある日、ディーバさんの目に留ったのは、新聞の小さな広告。アフリカで英語を教えるボランティア募集というものだった。
アフリカでは、貧しさ、死がいつも周りにあった。流水はないから、水がめで必要な水を運び、数週間に1回ホテルでシャワーを貸してもらうような暮らし。けれど、貧しくても、人々がお互いいたわりあう姿が日常にあふれていた。
「学校では、前の先生がよくムチで子ども達を打ったのだそうです。彼等はいつも怯えていました。私は罰を与える代わりにほめてあげようとしたのね。ある時、ご褒美に生徒の1人に鉛筆をあげたの。本当に喜んでいたのに、数日後は半分以下の長さになっていた。理由を聞いても恐がって言わなかったのだけれど、友達に切って分け与えていたことがわかって…。他の人とシェアする、という人生の大切なことを、この子たちから学びました」
個人主義の国からやってきた自分。隣の人の苦しみも判らなかった自分。将来するべきことは何だろう?次のアクションは何?と自分に真摯に問い続けながら、アフリカでの任期を終えて、再び旅に出たのだと言う。
「本当に好きな事を仕事にしようと心に誓いました」
長いバックパッカー生活を経て、昔出会った人との縁でケアンズに腰を落ち着けることに。
「デザイナーとして成功して、当時の願いは叶ったわけだし、”何を願うか”は気をつけて選ばなきゃ、と思いましたね」
これからは、本当に好きな事を仕事にしたい。どんな仕事であっても、コミュニティ、カルチャー、アートに関係すること。 断られ続ける中、マイグレーション・リソースセンターのマネージャーの紹介で、グラフトンアーツ(ケアンズ市の管轄する芸術団体)へ。待てど暮らせど返答がなかったのだが、突然、プロジェクト進行係が必要という募集があり、自分が適任!と応募。見事ここでのポジションを得た。
「今が、変わる時!と思うと、その思いが自分を突き動かしてしまうのよね(笑)。常に夢を見ているし、諦めない強い意志を授けてもらって感謝しているわ」
「何かを仕掛けて、小さなものを大きく育てるのが好き」
精力的に、様々なイベントを企画したり、内外の人を巻き込もうと懸命な努力を続けるが、マルチカルチャー、文化活動、アートなどと言うと、周りの人々の反応は”ヒッピー的な活動?” ”自分とは無関係”、 ”必要な時だけ参加する”といったものだった。
「狭い考え方の人と一緒に仕事をしなければならない時は、怒りを覚えてました!長い時間を費やして、人間関係を作って行って、本当にちょっとづつ土台が変わってきたんですよ」
情熱を持って、市や移民のリーダー的な人々と交渉を続ける中で、多様な文化背景を持つ市民のためのサポートサービスとポリシーを作成したり、15カ国のグループからなる会議を設定して、彼等が地域に貢献できる場を作ったり、地元の高校と組んで島民やアジアからの人々が直面する問題を演劇にしたりと、多くのことを達成してきた。
ピースウィークの一環で行われた、地元の子ども達のアート展にて。最近の仕事では、ユネスコの世界平和年にちなんだケアンズでのピースウィーク 〜多様な文化、ヒューマンライツ、社会的正義、女性、先住民、差別、と言ったテーマを掲げたイベント〜 が印象深い。
加えて、アフリカからの避難民の子どものドキュメンタリー制作、ケアンズに暮す他民族の人たちの写真を使ったカレンダーの制作、国際発展スタディの学位の取得、社会科学の学位取得…ととにかく多忙。一貫したテーマの元で、まさに寝る間も惜しんで多岐に渡る活動を続けている。
「かなり保守的だった市議会も、ピースウィークを誇りにしてくれたり、最初は相手にもしてくれなかったメディアが私たちの活動を取り上げてくれたり。市がこうした活動に対してポジティブに変わって来たこと、そして0から始めて自分も貢献できたことが本当に嬉しいですね」と。
「自由も家も車もある。そんな国に生まれたからには責任があるように感じているんです。優しさが他の人を救うはず。今後も、他の人をサポートしながら、自分が持っているものを捧げて、人々が幸せになる機会を作っていく生き方を目指します」と爽やかな笑顔で結んでくれた。
インタビューを終えて
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