歌を通して環境保護を呼びかける

Anja Light
シンガーソングライター/環境活動家


Profile

Anja Light(あんにゃ・らいと) シンガ−・ソングライター、環境活動家。スウェーデンに生まれ、オーストラリアに育つ。10代より環境・反核活動家として、オーストラリア、マレーシア、 日本などを中心に活躍。「ディープエコロジー」哲学にもとづく環境教育の実践でも知られる。1999年日本の仲間たちとNGO「ナマケモノ倶楽部」を結 成、以来その世話人をつとめる。現在はエクアドルを拠点に、夫の環境活動家マルセロ・ルーケとともに、生態系の保全と持続可能な地域づくりにとり組んでい る。2001年春長女パチャ、2003年夏長男ヤニを出産。CD「Voices for the Forest」、「PACHA MAMA」、「Slow Mother love」などをリリース。2003年春、オーストラリアでの州議会議員選挙に緑の党から出馬するなど、今後は政治活動も注目される。

 

 

 

インタビュー前記

2006年6月18日にケアンズ美術館でのキャンドルづくりをはじめとするワークショップに多くの日本人ボランティアの方に参加していただき、大変感謝しております。  
そもそもこのイベントは、私が深く賛同しているムーブメント「100万人のキャンドルナイト」を海外の方に紹介したいと思いつき、前年の中国・上海に続き、豪州・ケアンズでの実施を立案しました。

 

2001年米国ブッシュ大統領は、原発増のエネルギー政策を発表しました。これに対し米国内、そしてオーストラリアでも自主停電という形の抗議がなされ、同年6月21日、日本でも環境NGOナマケモノ倶楽部が、“暗闇カフェ”として行動を起こしました。
このナマケモノ倶楽部は、環境活動か&シンガーソングライター、アンニャ・ライトさん、スロービジネススクール校長の中村隆市氏、そして辻信一氏(明治学院大学教授)のお三方が結成したNGOです。

 

2002年には、無農薬有機栽培の普及活動で知られる「大地を守る会」(代表:原田和芳氏)のプロジェクトが立ち上がると、NPOだけでなく環境省や自治体、そして企業も呼応して、100万人のキャンドルナイトは今日の大きなムーブメントへと広がりを見せます。
「人口の光で明るくなってしまった地球の夜に、暗い帯が自転とともに移動していく。これは地球代のアートだ」…この坂本龍一氏のメッセージを聞いて、私もアートのフィールドからキャンドルナイトに参加したいと思うようになりました。

 

私がケアンズでささやかな「呼びかけ」を行ったこの夏、日本ではおよそ700万人の方が、何らかの形でキャンドルナイトに加わったそうです。
12月22 日のキャンドルナイトは、さらにその数を上回る人数が参加されているはずですので、1000万人規模のイベントになる日もそう遠くはありません。

 

私は、当日キャンドルナイトの原点、暗闇カフェで、アンニャ・ライトさんの歌声に耳を傾けていました。  
アンニャさんはスウェーデンから3歳のとき、オーストラリアのゴールドコーストに移り、現在はクイ−ンズランド州の田舎町、エヤーを拠点に世界各地で活動されています。
環境活動、アーティスト、そして母親として…  アンニャさんから貴重なお話をうかがいました。

 

 

シンガーソングライター

私は高校時代に、歌いはじめると同時に、地球環境に強い興味を抱き、既に活動家になろうと決意していました。
大学の選択時、環境科学を選ぶこともできましたが、私は演劇コースを選択しました。
環境の啓発活動において、コミュニケーションが最も大切なツールだと考たからです。その当時は、まだインターネットなども普及されておらず、大学で知り得る書籍などの情報は、古いものしかありませでした。

 

大学なかばで現場を知るためにマレーシアへ。マレーシアのサラワクの奥地でペナン族という先住民族との話し合いが難航したとき、問題をメッセージにして私が唄うと彼らの表情が一変しました。
私にとって、唄うことは、キャンペーンのためのひとつの道具(ツール)、手段なのです。オーストラリア熱帯雨林情報センターの活動をしていた当時の「歌」は、森林保護に関わっていた気がします。

 

 

2006年11月11日に行われたライフスタイルフォーラムのステージにて

家族(子供達)と暮らしはじめた頃から、音楽の幅も拡がり、スローライフやシンプルな生活でも生きていること、ユニバーサルな内容に変化しています。  
しかし核となる部分は変わっていません。環境破壊の根源は、私達の生き方や文化であり、カルチャーを変えていこうと呼びかけ続けています。それは今後も変わりません。

 

両親がスウェーデンから移住したのは、豪州の自然に魅せられたからのようです。NGOのミーティングにも一緒に行きました。また理由もなく葉っぱをちぎったりしてはいけないと、しつけられました。但し私を活動家にするつもりではなかったはずです。
母親は、芸術家(画家)でしたので、今も華やかなドレスを着たりします。母から学んだことは自分の思いをおそれず、伝える表現すること。母は、ゴールドコーストで、緑の党の初期の組織メンバーでしたし、父親も新聞に投書するなど「よくない」と思った事をきちんと行動に起こす人でした。

 

若い頃、血気盛んな私たちは、マレーシアでクレーン車に乗って伐採阻止をアピールしたことで、警察に逮捕され拘置されたことがあります。
豪州にいた母、スウェーデンの父は、共にスポークスパーソンとして弁明し、国際的なメディアに対して森林伐採の現況を語ってくれたことを、私は感謝していますし、尊敬しています。」

 

 

エヤーでの生活

 

「私は世界中旅をしていたので、初めてきた土地に住むことに、抵抗はありませんでした。  
グレートバリアリーフを子供達に見せたくて、この街に来ました。
この世界(自然)遺産は、地球温暖化の影響で海面水位が上昇しているため、将来消滅することが危惧されています。

 

砂漠の国オーストラリアにあって、エヤーは水の豊富な、子供二人と過ごすには快適な場所です。
緑の党のメンバーもいませんが、地域の方たちと違いを見出すのではなく、共通点を探すことに楽しさを感じています。
庭の種を交換するなど、ささやかなことからでもコミュニケーションが拡がります。  

田舎だから何もできないとは思いません。スローライフはどこでもできます。
例えば学校から種を持ち帰り自宅の庭で植物を育てるプロジェクトもあります。  
エクアドルでは電気のない生活に慣れていますので、自分たちでエヤーでもスローライフを楽しんでいます。 

 

 

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2006年12月22日 府中カフェスロー 暗闇カフェ会場

 

地球温暖化のキャンペーンのため、映画の上映、政治的な環境活動にも力を注いでいます。
昨年の5月ナマケモノ倶楽部主催のスローツアーでは、17人の日本人と、私がお勧めするオーストラリア東部のエコロジカルなスポットを訪問しました。
クイーンズランド州では、マレーニー近郊の"クリスタル・ウォーターズ"。ニューサウスウェールズ州ではニンビン村の"ジャランバー"。そしてビーチの美しい最東端の町"バイロン・ベイ"。ここは、地元住民の反対でファーストフードのチェーン店がないのも特徴です。

 

ケアンズも、東京などの大都市と比べて、家族で暮らすには大変住みやすい環境ですよね。
次回のツアーは、ケアンズとグレートパリアリーフを入れたコースを計画したら素敵ではないかと思っています」

 

インタビュアー

横澤悦孝 氏

横澤悦孝(よこざわ・よしたか)
1964年生まれ旅行代理店→商社→NPO法人職員を経て、2005年よりエコロジー・アース・アート21で奮闘中。2006年6月、ケアンズで地元の子どもを対象に環境意識を促すイベントを開催し、共感を呼んだ。 www.japandesign.ne.jp/HTM/EEA21/に、アートと環境を軸とするレポートを執筆中。 エコロジー・アース・アート21(EEA21) : http://www.eea21.jp/

 

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