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美しい仮説
2009年08月18日
先週は地震ではじまりあわただしかったので、週末、気分転換にイギリス人の友人と、行きつけのレストランで少し酔っ払うことにしました。
満月の日につくられたビールの話題になり、面白い話を聞かせてもらいました。
ヨーロッパでは月はとても大切にされているようです。満月の日に髪を切るとヘアスタイルがまとまる、若い女性や妊婦は満月を見てはいけない、満月とは逆の、新月の日に切り出された材木が特別な価値を持つというような習慣があるそうです。
グレートバリアリーフのサンゴ礁はいうまでもなくすばらしいですが、サンゴの産卵は満月と関係しているといわれていることを思い出しました。
このようなリズムは概リズムと呼ばれていますが、今回は野暮な科学の話は無しにします。
私は、「こころ」に響く美しい仮説は必ず真理を含んでおり、現在は証明されていなくても、将来的には、正しいことが証明されると信じています。
月と人間がクロストークを行っているとしたら、とても神秘的です。
これからは、月にもっと注意を払ってみようと思いました。
今日も酒井法子のニュース
2009年08月17日
毎日、酒井法子のニュースが続いている。なんとも、情けないニュースって思う。
私は、酒井法子とは仕事をしたことがないけれど、サンミュージックとは何度も仕事をしてきたから、特に気になってしまうのかもしれないけれど…。
同じサンミュージックの岡田有希子が、自ら命を絶ったのは1986年だった。 彼女の曲、「くちびるNetwork」は、カネボウ化粧品の86年の春のイメージCMソングで、オリコンチャート1位をGetしたはず。 その当時、私は、カネボウ化粧品のキャンペーンのMCをしていたから、うん・・・・、すっごく覚えている。
重ねてその頃、私は仕事で巨大な“懐疑心”を抱えながら、仕事の“選択”を迫られていたんだよね。 そう、最悪の『芸能界詐欺師』に出会ってしまった頃で、会う人会う人…、「誰が言っていることがホント???」と、“人間不信”に陥っていっていて、そう…、なんだか生きてる事自体、虚しいじゃん…みたいな状態。
そんな時だったから、彼女の『死』には、かなり衝撃を与えられたんだ。 『死んでしまったら、真実は永遠に解き明かされない』って、彼女に教えてもらったと、今でも思っている。
しかし、“現実逃避”としたって…、マリファナや覚醒剤は、すべてがボロボロになっちゃうんでしょ!? ありえないじゃん、使用なんて。 『アイツ、カスカスの体になって、死んでいったんだよ!』って言われている30代、40代の人を何人か知っているけれど、情けないなぁ~って思うわ。
酒井法子がねぇ。。。。 結婚相手となってしまった男と出会わなければ、彼女には全く違う人生が広がっていたのかなぁ~?!って思うと、“出会い”って怖いものでもあるよね。 私も、あんな詐欺師と出会わなければ…って、何度、思ったことか(笑)。
カジノの効能
2009年08月17日
不安や怒りなどの、いやな気分を切り替えたいと願っても、ずっと引きずってしまうことはないでしょうか?このような気分のときは、あまり心地よいものではありません。
以前、家族でケアンズに滞在したときに、現地に住む知人を招き、バーベキューをしたときのことです。
私たち家族は、カジノのスロットマシンで損をしてばかりという話題になりました。
そうすると知人は、「そんなこと無いわよ。掛け率を変えたり、デポジットを出したり、色々、機械をだませばいいのよ。昨日も勝ちましたし、私の家族はみんな何度も1万ドル以上のジャックポットを当てているわよ」といいました。
「やり方が悪かったのか!」
それを聞いたわれわれは一様にそわそわしはじめました。食事も終わり彼女を見送るやいなや、一家4人はレンタカーに飛び乗り、一路キャプテンクックハイウェイをカジノ目指して突き進みました。それぞれがジャックポットを当てた自分の姿を想像しながら・・・。
そして、妻は300ドルを手にしました。(他は散々でした)
妻は婚前、タバコとギャンブルをやる人とは絶対に結婚しないというほどに、われわれ家族は特別にギャンブルが好きなわけではありませんが、カジノにはわれわれの脳を乗っ取ってしまうほどの何かがありそうです。
もし、現在感じている気分があまり良い気分でなければ、早目に気分を切り替えることをお勧めします。
なぜなら、感情には増強作用があるからです。些細ないざこざが、怒鳴りあいの喧嘩に発展したり、心配事を思い出したが最後、不安になることしか思い出せず、どんどん悲観的になって行くことがあるのはそのためです。
そして、それらはストレスとなり、長時間続くと「こころ」と「からだ」にさまざまな悪影響を与えます。
このようなとき、カジノに行って一喜一憂することは、この流れをリセットするのに役立つかもしれません。
ただし、ギャンブルを勧めているわけではないので念のため。
カジノに行かなくても、熱中するあまり、時間があっという間に過ぎてしまったと感じるような、わくわくする行動(趣味でも仕事でもリラクゼーションでも)に没頭して、気分転換をすることもよいでしょう。
日本は夏休みも後半です
2009年08月16日
「残暑お見舞い申し上げます。」 という時期になりました。
今日は帰省の車のUターンラッシュで、『夕方から高速が渋滞する』って予測が出ています。でも、なんだか予測のような大渋滞は下りの時には、おきなかったんだよね。 『高速道路、乗り放題1000円~!』なんていう景気対策(?)もやってるっていうのに…
なんだかヘンな気候の夏なんだけれど、それでも昨日今日は暑い。やっぱり夏か…。
真夏の空の写真を撮ろうって思って外を見たら、 ↑ 初台の“オペラシテイ”の横を、UFOが・・・!なんてね。 気球が飛んでいました。
大也の夏休みは、中3とは言え、中高一貫校に通っているので受験生ではなく、のんび~~りしたモンです。
「みんなそんなモンなの?」って聞けば、「いやいや、同じサッカー部の中にも、塾の夏期講習に通って、家庭教師を付けている!なんていう子もいるぞ。」と大也。
えええっ???そんな仲間もいるっていうのに、大也は、ゲームとサッカー三昧ですか…(読書だけは、まぁ、好きでよく読んでるみたいだけれど)。
ケアンズから東京に戻って2年半。「英語」だけは…、忘れないで欲しいもの。 で…・、『9月に3年ぶりにTOEICを受けてみよう~!』ってなった。いやいや、大也だけだよ、私はもう受けない!!!懲りたわ。。。
「海外暮らし、またしたいモンだなぁ~」と、空を見上げて思う夏の午後です。
ハンドメイド・オーダーメイド
2009年08月14日
最近、依頼を受けて創作した2つのペンダント。
オリジナルデザイン。
最小の装飾でGA(ギャラクシーアート)の部分を引き立たせた
Pink&Blue Wave
こちらは赤と黒のコンセプト
Red&Black
どちらも気に入ってもらえて嬉しい。
浜松へ
2009年08月13日
今、浜松に来ています。
そう、ヴァイオリン、ピアノ、ライヴアートのFusion of Passions-情熱の融合-コンサートの件です。
出発の前日はヴァイオリンのみかちゃん、ピアノのチハルちゃん、東京公演担当プロデューサーHIDEと音合わせ打ち合わせ。
ミーガンのとびきりの手料理とともに。
(料理の写真はみんなのブログに掲載されています)
最近ヘアカットされたサニーも初公開(^v^)。
あまりの変貌にまるで違う子がいるようです(笑)。
そのサニーも浜松に。
東名高速道路、部分通行止めで7時間!よく頑張って来ました。
今はファミリーみんなで集合、楽しんでます。
地震と空の関係
2009年08月11日
今日、私の住む静岡県で震度6弱の地震がありました。免震構造の建物の中にいたので、あまり大きな揺れは感じませんでした。地震後すぐに勤務先の病院に向かいましたが、病院も被害はなくホッとしました。建築分野の知恵というのはすごいものです。
地震の後、雷光が連続して光りました。
地震の揺れにより、大地と大気との摩擦により電気が帯電し、放電する現象が見られることがあるというのをどこかで聞いたのを思い出しました。
冬場に化繊のセーターを脱ぐときにパリパリ鳴る例の現象と同じ原理で起こるものです。
普通の雷と違って最初はとても間隔が短く、徐々に間隔が長くなってゆくという、今までに経験したことの無いものでした。
少し興味があったので、論文を検索してみると、地震と雷の関係性を示唆する論文がありました。
寺田寅彦 (1931) Earthquake and Thunderstorm 東京帝国大学地震研究所彙報 9 387-397
このような複雑な現象は、関係性を証明することが難しく、常識というまでには認められていないようです。
芸術への羨望
2009年08月09日
私の父は、アボリジニ絵画の柄のネクタイを愛用しています。どこに行っても「素敵なネクタイですね」と褒められるのだそうです。褒めた方々は、アボリジニの芸術ということは知りません。
自然と「こころ」に響くのでしょう。
アボリジニは記録やコミュニケーションに、言葉だけでなく絵や音楽や踊りを使います。
前回、言語は世界認識の手段としては、わずかな欠陥がある可能性を述べました。
絵や音楽や踊りはアナログ(連続体)であり、デジタル(非連続体)である言語よりも多くの情報が含まれています。そのため、アボリジニは、コミュニケーションのために主に言語だけを使用するわれわれとは、違う世界を感じていたのかもしれません。
実際、アボリジニは、われわれが感じることのできないエネルギー場を、感じることができていたという見解もあります。
残念なことに、現代西洋医学を信仰する、われわれ医師の多くが最も尊重しているのは、科学的根拠を示すためのデータを構成する、記号や文字であるように感じています。
しかも、「こころ」に響く美しさは大切ではなく、客観的と考えられる事実の伝達が最も大切な目的です。
科学はきわめて強い説得力を持つ反面、「こころ」を記号や文字の限界に縛りつけてしまうのではないかと常々感じています。
私が尊敬し羨むのは、絵画や写真、音楽やダンスといった芸術に携わる方々の意識構造です。
私の感覚では感じ取ることのできない領域まで、より深く「世界」を観察し、感じとることができているのではないかと考えるからです。
このようなことに気づくことができたのも、ケアンズやエアーズロックで、アボリジニの芸術に触れ、「こころ」に強く響いたからだと感じています。
Flower Petal Earrings
2009年08月08日
赤ちゃんとドリーミング
2009年08月05日
アボリジニの言い伝えに、ドリーミングやドリームタイムがあります。
祖先たちのドリーミング(夢で見たこと)が現実になり、それが集まって現在の世界が造られたというものです。そして、祖先たちは、地球や宇宙といった「世界」をひととおり造り終えると疲れ果て、「世界」と一体になり眠ることにしました。この、「世界」が造られた期間は、ドリームタイムといわれています。
このような祖先の力はわれわれに残されているのでしょうか?
精神分析医のウィニコットによると、生まれたばかりの赤ちゃんは、お腹がすいて泣いたときに母親の乳房が現れるのは、赤ちゃん自身が乳房を造り出したと考えるのだそうです。
唯我論的ですが、ドリーミングと似ているように感じます。
そして、自分と乳房が一体になったり離れたりすることが何度も何度も繰り返されると、いつも存在する自分の肉体と、母親の乳房とは性質が違うことに気づくようになります。
その結果、自分の肉体という想像上の殻を造り、「個」が意識されるようになります。
われわれは、自己という「個」である主体と、自己とは別の「世界」という客体が存在すると信じていますが、このような「こころ」の持ち方をするようになるには、生後数ヶ月かかるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんの世界認識は未熟で、大人の世界認識が正しいのでしょうか?
言語は世界認識と大きく関わっています。例えば、二ヶ国語を話すバイリンガルは、使う言語によって、価値観、行動、世界観、自己認識などが異なるという研究結果が存在します。同じ人物が、英語とスペイン語を使うときで別人のようになるのです。
生まれたばかりの赤ちゃんは、様々な言語を吸収する能力を持ちますが、生後10ヶ月を過ぎるとこの能力は退化するといわれています。
「百聞は一見にしかず」「一枚の写真は一万の言葉に値する」という日本や中国のことわざからもわかるように、言語による世界認識には本来が持つ情報が欠けています。
完全な世界認識ができる可能性を秘めた赤ちゃんは、ウィニコットの考えを一般化すると、「個」=「世界」と認識していると考えられます。これは、ヨーガやアボリジニの世界認識と似ています。
われわれにも、この名残りは残されているのかもしれません。
自分自身を痛めつけることは普通はありません。苦痛を感じるからです。
不注意で怪我をしてしまったときには「からだ」に苦痛を感じます。
しかし、他者や自然環境といった「世界」を痛めつけてしまったときにも「こころ」に苦痛を感じます。
「個」と「世界」の境界はどこにあるのでしょうか?
そして、われわれの世界認識は生まれてから進歩してゆくのでしょうか?
それとも退化してゆくのでしょうか?
感性の川まかせ
2009年08月04日
初めの線がいくつもの支線と交わり、やがて形が形成される。
川の始まりが小さな小川のように、
そしてそれが大河になるように。
久しぶりに馬を描いてみた。
初めのイメージが再構築され続け、このようなタッチに
絵には「こうでなければいけない」という制限がない。
雲が絶えず形を変えていくように
川の流れのように
自分の感性の川まかせ
行き着くところまで流れていけばいい。
そう思って今描いている。
夏なの???
2009年08月04日
もう~~、空はいつも曇っていて、コレって夏なの??? 東京は一応、梅雨明けしてるんだけど、「真夏!」を感じたのは7月中旬の何日間かだけだよ…。 あの時は、暑かった。。。
世の中の学校は「夏休み」。 大也は、サッカー部の合宿で茨城の方に行っている。 「ラジオ体操」のお知らせが、町内会の告知板に貼ってある。 花火大会やお祭りもしっかり開催されていて、浴衣姿の人も見かける。 でも。。。 「The 夏!」って感じがいま一つなんだよね~~
蝉も鳴き始めていて、なんか夏の終わりのころのような…感じもする…
ケアンズは、今はまだ冬だよね。でも、だんだん、夏に向かうよね。 9~11月のケアンズが私は一番気候的に好きだから、その頃に、行きたいなぁ~。
新しい仕事の動きがあるんだけれど、今、ここには書けない~。 さぁ、いい仕事をしよう!
ケアンズとヨーガ(YOGA)
2009年08月04日
ケアンズではヨーガ(YOGA)がとてもさかんです。
ヨーガは、古代インド語で「軛をつなぐ」、つまり「結合する」という意味を持ちます。
細胞と細胞、臓器と臓器、身体と心、自己と他者、自己と宇宙、これら全てを様々な手段で軛につなぎ、葛藤することなく調和して一つに結合するのがヨーガです。
ヨーガの最終目標は、自己と宇宙とが一体となって、完全に調和することであり、健康はその結果として、二次的にもたらされるものです。
多くの方がヨーガと聞いて想像する、ビーチサイドやスタジオなどで行われるおなじみの体操は「ハタヨーガ」(体操のヨーガ)とよばれています。
脳科学分野の研究によって、筋肉の動きや呼吸の調節によって「こころ」にアプローチすることが可能であることがわかっています。「ハタヨーガ」のポーズと自律神経機能との関連を示唆する医学研究も数多く報告されており、「ハタヨーガ」による健康は、「からだ」⇒「こころ」⇒「からだ」というアプローチによってもたらされるのでしょう。
ヨーガには「ハタヨーガ」以外にも、「ラージャヨーガ」(瞑想のヨーガ)、「バクティヨーガ」(献身のヨーガ)、「カルマヨーガ」(行為のヨーガ)などがあります。
また、以前に述べた、私がココナッツビーチで感じたような、「個」と「世界」が一体であることに気づき、考察によってより深く探求することもヨーガに含まれ、この手段は「ジュニヤーナヨーガ」(思索のヨーガ)と呼ばれています。
もしかしたら、ケアンズでヨーガがさかんなのは、ケアンズが与えてくれるエネルギーのためなのかもしれません。
自然の中でヨーガを行うことはとても心地よいものです。ケアンズを訪れたら是非チャレンジしてみてください。
非日常の抗ストレス作用
2009年08月03日
現代社会で生活をしていると、日常的に様々なルールによって拘束されています。
自宅という、社会から占有することを認められた空間で生活を営んでいます。
毎朝、仕事の時間に合わせて目覚め、駐車することを認められたスペースに駐めてある、所有を認められた愛車に乗り、交通規則にしたがって運転し、職場に向かいます。
職場に到着したら、契約により決められた始業時間に仕事をはじめます。
仕事は、様々な社会常識や職場の規則、法規法令に沿って行われます。
昼休みの時間も決められており、昼食を食べ終えたら、空き容器を、燃えるごみ、燃えないごみ、資源ごみに分別して捨てます。
仕事が終わって、同僚と一杯飲みに行けば、価値を認められた紙や金属を渡すかわりに、食事やお酒が提供されます。
また、時計や携帯電話といった、社会集団の中で個人個人を同期させる道具を、一日中、身につけて行動しています。
多くの人にとっての日常とは、社会の中で生活することです。社会は規則の集まりであり、慣れて忘れてしまっているだけで、本来自由を奪うものです。しかし、必要なものです。
一方、拘束されたり自由にならないことが、ストレスの原因になることは、心理学上同意が得られています。
そのため、時には日常を忘れ、非日常に身を置くことは、「こころ」にとってとても良いことだと考えています。
日本での日常と比較すると、ケアンズは非日常にあふれています。
人工的な音が少ない静かな夜と、動物の鳴き声で目覚める心地よい朝。
大気汚染物質の臭いのかわりに、草木の心地よい香り。
普段と違う言葉、道行く人々、街並み。
日常を感じさせないホスピタリティあふれた宿泊施設。
熱帯雨林やグレートバリアリーフを散策し、見慣れない動植物と触れあうこと。
ヨガやスパ、気球やラフティング、バンジージャンプなどのわくわくするアクティビティ。
カジノやピストルを撃つことのような日本では非合法とされていること。(これらは、逆にストレスになることもあるため注意が必要です。)
時計や携帯電話を必要としない、自分のためだけの時間。
などなど・・・。
ケアンズに着いたら、日常を忘れ、非日常を楽しみましょう!
そしてまた花が咲く
2009年07月31日
「個」の範囲
2009年07月30日
ケアンズの北に、ココナッツビーチがあります。
裸足になり、細かな砂の感触に癒されながら、この場所にたった一人で立つと、自分と海と空と大地とが一体になったような感覚を覚えます。
自己という「個」の境界はどこにあるのでしょうか?
デカルトは「われ、思うゆえに、われあり」といい、確実に存在するといえるものは、考えている自分しかないと説きました。
少し極端な考え方ですが、全ての事柄が夢ではないという確証は何も無いわけです。つまり、意識できる範囲が「個」であるといえます。
現代社会では一般的に、「個」とは肉体によって境界された範囲と考えられているでしょう。わかりやすく言いかえれば、「自分」と言ったときに意味するのがこの範囲です。
この範囲には無意識も含まれるため、少し範囲が広がりました。
「個」をより広い範囲としてとらえる考え方も存在します。
スピノザは「個」を含めた「世界」全体が「神」であると説き、アボリジニの文化では「個」とオーストラリアという母なる大地が限りなく一致しています。
現代社会でも、国なくして個人なしといわれるほどまでに、社会や文化、人間関係と個人との間には、深い関係があるのです。
これでも「個」の境界は肉体といえるでしょうか?
そのため、私は、「個」が健康であるためには、「世界」も健康でなければならないと考えています
ココナッツビーチは、自分という「個」と「世界」には深い関係があり、自分自身を大切にしたいと考えたときには、他者や社会、地球や宇宙を大切にしなければならないこと。そして、「世界」を大切にしたときには、これらを構成する「個」も大切にされなければならないことを教えてくれているように思います。
今、日本の文化体験のガイドです。
2009年07月29日
この時期の日本語教師は、東京のガイド兼…でもあります。欧米から来ている中高生の留学生に日本語を教えつつ、「文化体験」と称して、都内のあっちこっちに連れて行くんですよ。
浅草、ジブリ美術館、秋葉原、原宿、東京タワー、ポケモンセンター、江戸博物館、都庁、明治神宮、大江戸温泉……。さらに、「茶道」や「書道」、「紙すき」の体験などなど…。これって…、「短期留学」と称した、まぁ、『The 日本体験ツアー』なんですね。
この夏、もう、都庁は3回行ったよ。
さて、都庁…。展望室は北と南に2つあります。45階、直通エレベーターで55秒。乗る前に、荷物検査があるから、バッグを開けて~。 って感じで、なんでも聞いて~!
で、展望室から、「北に~~が、見えます。」「南に~~が、見えます。」というような、日本語の言い方の勉強をするわけ…
この日、都庁の東の窓からは、 ↑ 「東に、工事の人が見えます。」 なんて感じでした。 学生には、おおうけでしたァ~!
しかし、45階の窓の外で仕事なんて・・・・・・、ありえない・・・・・。イケメンの男性でした。下、向いちゃってるけれど…。
私も、暑いけれど、がんばろうっと。
チケットぴあメール版に掲載!
2009年07月25日
ヴァイオリン・ピアノ・ライブアートのFusion of Passions -情熱の融合-コンサートが
チケットぴあのメール版に掲載されました(^v^)。
8月5日(水)10:00からチケットぴあで発売開始です!
クラシックとARTの新しいスタイルのコンサートです。
是非、見に来て下さいね!
先駆者
2009年07月24日
人のやらないことを先駆けて行う。
パイオニア“先駆者”
勿論、それには努力が必要だし、“運命”というものも背中を推しているような気がする。
中目黒にある野菜を主にしたケーキ屋「Potager-ポタジエ-」。
ここのオーナーも“ここまでの軌跡”をTVで見た。
このパイオ二ア的野菜を使ったカロリー控えめのヘルシーケーキ。
これを買うのには長い列に並ぶ必要があった。
日本に帰ってきて学んだこの「待つ」という手段は、いつも思うのだけど、山登り的な心境を覚える。
そのプロセスを経て、辿り着いた御褒美達。
生トマトショート、ごぼうショコラ。
アボカドチーズケーキ、ズッキーニロール、トマトモンブラン。
どれも食べやすいように工夫されているその努力が味わえる。
美味しく頂いた。
パイオニア。
僕の目指すべき道でもある。
カンガルーから学ぶ愛情たっぷりの子育て
2009年07月24日
現在の自分の個性は、持って生まれた遺伝情報によるものでしょうか?それとも、両親や教師から与えられたしつけや教育、社会活動での人間関係のような、外部環境から影響を受けたものでしょうか?
このような、「生まれか育ちか」という議論は、はっきりとした結論が出ていないものです。
植物に目を移すと、違う遺伝子を持つ種子から生長した花は、当然違う性質を持ちます。しかし、同じ花から発生した、同じ遺伝子を持つ種子でも、播いた場所が違えば、気温や日照の影響を受けて生長に違いが出るでしょう。この現象は、花の個性には生まれと育ちの両方が大きく影響していることを表しています。
私には、人間の場合でも同じではないかと思えます。そのため、子供の将来を考えたときに、子育ての方法が適切であることは、とても大切なことだと考えています。
思いっきり甘やかすことと、厳格に社会のルールをしつけること。
これらは両方とも大切なことです。しかし、この相矛盾によって子育ては複雑で難しいものになるのでしょう。
私は、子供の可能性を最大限に引き出そうと考えたとき、様々な発達心理学の研究を考慮して、少なくとも赤ちゃんの時期には思いっきり甘やかす方針を選択します。
科学に基づいた意思決定は、しばしば他律的な冷たさを感じさせますが、この方針を実行することは愛情と一致していて、とても心地よく感じられます。
甘やかすことは、過保護とは違います。
赤ちゃんからの愛情や興味に対する要求にはできる限り応え、ぐずっているときには愛情たっぷりで接し、危険がない限り興味を持つものに対しては、満足するまで手を出さずに探求を見届けるということです。
具体的には、大切な作業をしていても、ぐずったらすぐに抱きかかえてなだめ、母乳やアタッチメントの望みを読み取ること。不機嫌な態度を大目に見ること。本棚からすべての本を引き出したり、食べ物を手づかみで遊んだり、大切な花を引きちぎるというようなことを飽きるまで笑顔で見届けるということです。携帯電話をいじられたり、ティッシュを全て引き出されるのがいやなら、はじめから赤ちゃんの目につくところにこれらを置かないことなどです。
赤ちゃんに必要がなくなれば、これらの行動は自然となくなるものです。
これらは完璧(perfect)ではなくても、ほどよく良ければ(good enough)よいと考えられています。
しかし、このような少し手間のかかる子育てを実践するためには周囲の協力は必要でしょう。
一方、あまりに厳しいしつけは危険でもあります。
赤ちゃんは2歳くらいになるまでは、状況の詳しい理解ができず、記憶のシステムも完成していません。そのため怒られて感じた不安や恐怖は不完全に記憶され、大人になってから、なぜだかわからないのに不安や恐怖が起こる、不安症や恐怖症の原因となることも考えられます。
愛情たっぷりに子育てを行う方針は、アボリジニの子育てと似ています。
私が驚かされたのは、アボリジニは心理学的にとても適切な方法で、子供の精神にストレスを与えず、自立を促す子育てを行っていたということです。
アボリジニの子育ては、カンガルーの子育てと関係しているともいわれています。
カンガルーの母親は、胎盤がないために、ポケットの中で赤ちゃんを愛情たっぷりに育てます。
人間でも母親と赤ちゃんの肌のふれあいが大切だという研究結果は広く知られています。
例えば、未熟児に対するカンガルーのような密着型のケアは、カンガルーケアと名づけられ、未熟児の生存率を上げ、母子の愛情の絆を強めることがわかっています。
子育てに関して、カンガルーやアボリジニから学ぶことはたくさんあるように感じます。
赤ちゃんは子宮という心地よい環境から、ある日突然厳しい環境に放り出され、強い不安や恐怖を感じているのです。どうか、叱ったり、興味を奪ったりすることなく、愛情たっぷりで接してあげてください。
ケアンズでは動物園でのほか、野生のカンガルーにも出会うことができます。
日本男児とアロママッサージ
2009年07月22日
ケアンズに到着したら、はじめに何をするのがよいでしょうか?
ケアンズにはわくわくするアクティビティーが色々とありますが、もし興味があるならば、長旅の疲れを癒し、以後の滞在を活動的に楽しむために、スパでアロママッサージを受けることをお勧めします。
「こんな至福が世の中に存在したのか!!!」
私がはじめてアロママッサージを受けたときの感想です。
アボリジニの文化では、霊性は、生まれる前、生きている間、死んだ後の三つにわけられ、生きている間の「生」の霊性が満たされることも大切に考えられています。また、ニーチェは生きる喜びが大切であることを説き、理性の力で毒杯をあおったソクラテスを強く批判しました。
私は、ソクラテス同様、理性の力に強い魅力を感じていますが、ニーチェの説く純粋な「生」の喜びも大切だと考えています。
「生」は死ぬまで続くものなので、生きることそれ自体に喜びや幸福を感じることができれば、ずっと幸福でいることができるからです。
アロママッサージは、この「生」の喜びと強く結びついているように感じます。
さて。施術を受けるにあたって、女性は抵抗がないのでしょうが、男性には大きな心理的障壁が存在します。芳香按摩などという名称だったならば少しは受けやすいのかもしれません。
私は、戦後教育を受けながらも、幼少時には太平洋戦争を戦い抜いた祖父も健在。おそらく、日本男児たるものという教えは無意識の領域に記憶されているのでしょう。
三島由紀夫は、日本男児の前身であるサムライの精神の源を、「羞恥心」であると説きましたが、このような精神性とアロママッサージは相容れず、施術を受けることが恥ずかしかったのです。
しかし、結婚式でケアンズを訪れた4年前、すでにその至福を知っていた家族から勧められ、「こころ」と「からだ」の関係に気づきはじめていたときでもあったため、興味本位で受けてみました。
部屋のしつらえ、心地よい波の音、アロマオイルの香り、施術者のホスピタリティ、最高に適切な皮膚や筋肉への刺激、これらの調和はおそらく、「こころ」と「からだ」という二元論の次元ではなく、全人間的に作用し、人間の根源的な「生」の喜びを引き起こすのだろうと考えます。
アロマテラピーの領域では様々な医学的成果も報告されており、その効果を考えれば、健康増進の一環として受けることは日本男児の精神と抵触することはないのかもしれません。
そして、「羞恥心」とは、このようなステレオタイプな固定観念にとらわれることではなく、恥を知り、品位を保つことだと、後に考えるようになりました。
ケアンズには素晴らしいスパがたくさんありますので、ぜひ一度お試しください。
思い出の来訪
2009年07月21日
子供の頃、友達と一緒にこの季節に夢中になったもの。
その“思い出”が虹の出た夜にビーチサンダルの上に飛来した。
妙になつかしかった。
僕の実家には高さ10m程の木がありその真ん中頃、ちょうど子供の頭の位置に3cm程の穴があった。
その穴には毎日クワガタが潜んでいて、よくピンセットで採集していた。
ちょうどその大きさ程のクワガタ。
妙に嬉しくなった。
嬉しかったので、そのゲストに白鳳桃の種をプレゼントすると美味しそうに吸っていた。
庭にそれを置き、そのままにしておいた。
夜中までクワガタは、果肉のついた桃の種にいて、どうやら夜明けとともに飛び去ったようだ。
吸い尽くしたその種だけがコロリと転がっていた。
小さな来訪者が童心をふと思い出させてくれた。
もうすっかり夏なんだな。
太陽と雨の重なる時間
2009年07月20日
ひぐらしの鳴くこの僕の好きな時間帯。
そして太陽と雨がかさなりあったこの時。
雨上がりの空に
それが現れた。
久しぶりに見ておもわず感動。
おもわず写真を撮った。
よく見ると二重の虹。
しばらく空を見上げていた。
ミーガンとサニーと僕とで。
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