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太陽のオチンチン

2012年04月17日

追伸です。

 

ついでに、私が前世があるかもしれないという理由も念のため書いておきたいと思います。

 

太陽のオチンチンというのは、ユングの大発見です。

 

ユングは、ある精神病患者が、じっと太陽を見ていたときに、「太陽にペニス」が見えるといったことを?????と思い続け、後日、雑誌に太陽のペニスを祭る古代文明が発見されたことを知りました。

つまり、この精神病患者はこの古代文明の存在は知りえなかったのに同じ感受性を持っていたわけです。(普通の人は太陽にオチンチンを見る感受性はないと思います。私はありません。)

 

ここから、人類には集団的無意識が存在するかもしれないという、心理学上の大発見と形而上学的議論が沸き起こるわけです。

 

こういう目で見ると、離れたところで、同じような文化が芽生えるということは多く目にするのです。

 

集団的無意識を支持するならば、広い意味で前世はあるわけです。

 

ヨガでも行を進めると自分でわかるようになってくるようなのですが、興味が先立ってしまいました。

 

ま、論より証拠。

 

後日、結果をご報告いたします。

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明日ヒプノセラピー(前世療法)を体験してきます!

2012年04月17日

以前、前世について小論文にも書いたのですが、投稿規定で1000字にまとめようとしたため(オーバーしても大目に見てくれるかと期待していたら、しっかり掲載料を請求された)、哲学に馴染みがないと、相当わかりにくいと思います。

 

そのため、前の論文に補うような形で前世について一考察を。

 

前世は自我のあり方と強く結びついています。

 

前世を考えるとき、自分自身を何か他の存在に投射していることになります。

 

自分は現在の肉体を持った自分以外にはないという認識構造を持てば、死んだらそれきり。

 

しかし、こういう人は多分おらず、普通の人は、気づいていようがいまいが、他の人の立場に立って考えることができるような思いやりを持ちます。

つまり、自分を他人に置き換えて考えている、投射しているわけです。

だから、前世を受け入れることができるかどうかということは一旦傍らに置いて、前世というものを考えることはできます。

 

自分自身の肉体も不思議なもので、自分の肉体は常に変化していて、たとえば、床屋さんに行って髪の毛を切れば、切った髪の毛は自分の肉体だったと感じることはあっても、自分の肉体だとは思わないわけです。

一方で、自分という感じ方は一生の間同じです。

そうすると、常に変化しているものに、常に変化しないものを投射しているわけで、著しい混沌に陥るわけです。

 

中途半端にやるからいけないわけで、肉体への自分の投射も、極限的になると、自分自身を構成する、最小の構成因子(素粒子)にまで投射できる。

 

そうすると、自分は前世も来世もない、宇宙の始まりから存在し続けている、永遠の存在なのだということがわかります。

過去も未来もない永遠の今ということになります。

 

ヘルマン・ヘッセも「庭仕事の愉しみ」の中で、「万物が不滅であることだけでは満足できず、自分たちのために、個人の、自分だけの、特別なものを持ちたがるというのはなんと不思議なことであろうかと、思うことがある。」と述べています。

 

多分、庭仕事で植物と接して、植物単体のみならず、大地や天体の運行という宇宙のつながり、芽が出て枯死するまでのライフサイクル、植物と人の繋がり、に意識が向くようになると、このような感受性が芽生え、成長してくるのだと思います。

 

ここまで自我をぶっ壊してしまうと、じゃあ何で自分があるんだ?時間はどうする?という話になってくるので、自分の記憶が死後も保存されて魂に乗っかり、そっくりそのまま他者に受け継がれているのかもしれない、そしてその記憶にアプローチしようというのが、前世療法での前世の捉え方です。

 

果たして、想像や願望を超えたものを体験できるのか?とてもワクワクしています。

 

参考文献)ヘルマン・ヘッセ V・ミヒェルス編 岡田朝雄(訳) (1996) 庭仕事の愉しみ pp.16 草思社 東京

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こころとからだ Ver2.x

2012年04月10日

こころとからだという結びつき、脳をソフトウエアで書き換え可能のフリーアーキテクチャと考えた場合、人間には3つのバージョンがあるように思います。

Ver1.0はこころとからだが結びついているのにそれにまだ気づいていない状態。

Ver2.0はこころとからだの結びつきに気づいた状態。「心医術」を数ヶ月続けていただくと、Ver1.0からVer2.3位へのなかなかよいアップデートパッチとして機能すると思います。Ver2.5ぐらいになってくると、ある程度、こころでからだをコントロールしたり、からだでこころをコントロールすることができるようになってきます。Ver.2.9になると、ヨガの達人のように、食事が必要なくなったり、心臓や呼吸をとめることができるようになるのだと思います。

Ver3.0はこころとからだの結びつきを断つことができる状態。つまり、肉体と霊魂を分離できる状態です。私はまだできないので、実際にできるのかどうかはわかりませんが、どうもできるような気がしています。というのは、常々、軽快で自由な魂が、重くて不自由な肉体を引きずっているような感覚を感じているからです。

ケアンズは、五感からのアプローチで、こころへ心地よい刺激を送ってくれるのですが、まだVer1.0で、つまり、こころがからだに対して意識を向けていない状態でも、さまざまな医学研究の結果から、ストレスと関連の深い、心臓病、脳血管疾患、うつ病などの精神疾患のリスクを50%程度減らしてくれるように思います。

Ver2.xになり、ケアンズに心を開いて、ケアンズのエネルギーをいただき、こころを通じてからだをコントロールするようになると、より病気の予防につながってゆくように思います。

ケアンズに心を開くというのはどういうことかというと、ケアンズの歴史(地球が生まれてから大陸が移動していないということはとてつもない安定的パワーです。オーストラリアは母なる大地という表現がぴったりです。)を深く意識したり、雄大さ(人間は偉大なものの前に立ったとき自己が消えるほど小さくなったり、少しうまくいき調子に乗ると宇宙の創造主であるかのように高慢に振舞うようになったりもします)を利用して、自我と一緒に自尊感情を弱めたり、ケアンズの美しさや気候のさわやかさで心を満たすような感受性などを開発するということです。

Ver.2.xの初期の段階では、ひとつ副作用もあります。このような感受性が開発されてくると、悪い気も受けやすくなります。なるべく、悪い気から遠ざかり、具体的には近寄るのが憂鬱になる存在や場所、必要以上に不安を煽る可能性のあるテレビや新聞やインターネットから離れて、美しい音楽や絵画や文学、自然の景色に触れ、心静かに過ごすことも大切だと思います。

なお、3年くらい前に、こちらで同じようなテーマの記事を書いていました。

「こころ」⇔「からだ」

石の上にも三年。ひとつの道を進み続けると、それなりに進歩もするものですね。

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お礼

2012年04月10日

娘の春休みに合わせて、9日間ケアンズに行ってきました。

今回は、多くの方とお話をさせていただいたり、遠出させていただいたり、会食させていただいたりで楽しく過ごさせていただき、子供もラグーンがお気に入りで毎日のように通い、あっという間に滞在期間が過ぎてしまいました。

いままで、ケアンズ療法が主にこころを通して作用するので、求道のような内容を全力で書いていたこともあり、不確実な部分にさしかかってきたのでしばらくはやめようかと思っていたのですが、リビング・イン・ケアンズの壮大なビジョンや、日本人でうつの方が増えていることを伺い、居ても立ってもいられなくなりました。

しばらくは全力の30%くらいのまずまず確実な範囲で、今一度、ケアンズの健康上の良さを考察、紹介して、ケアンズに関心を持っていただいたり、うつの助けになりそうなケアンズへの心の開き方を書いてゆこうかと思います。

その前に、ケアンズ滞在中のお礼を。

空家の管理をしてくれている、イワムラさんご一家、クリスタルプールソリューションズのワードさんご一家(お風邪はその後大丈夫でしょうか?どうかお大事になさってください。)、スーパーカットのスティーブンさんご一家、バーベキューでは子供たちも大はしゃぎで、あまりの楽しい雰囲気に久々に記憶を失うほど飲んでしまいました。楽しい時間をありがとうございました。

コアランド・バイザシーのEddyさん、リツコさん。ランチをご一緒させていただきケアンズの興味深い話をいろいろ聞かせてくださりありがとうございました。また、いつも色々お心遣いくださりありがとうございます。以前、ご紹介くださったホホバオイルはとてもよく、続けて使わせていただいています。

リビング・イン・ケアンズの前オーナーのkeikoさん。アサートン高原をご案内くださりありがとうございました。keikoさんの仰る、異文化へのトビラ、子供の笑顔を大切にすること、ケアンズの良いものを伝えてゆこうという、これからやってゆくお店のこと、その延長にあるアサートン高原でのリトリートセンターなどの壮大なビジョンはとても共感できました。実現に向けて進むことを心よりお祈りしています。また、私のやりたいこととも同じ方向を向いていますので、一緒に汗を流せることがありましたらお声かけください。

リビング・イン・ケアンズのジュンさん、シズカさん、チヒロさん。地元の情報という枠を超えて、日本にケアンズの良さを紹介、発信してゆくというビジョンもまた壮大です。旅行先を選ぶときは、少ない休暇の中で、それなりにお金もかかるし、時間もかかるし、移動も大変なので、慎重になります。ケアンズといってもまだまだ日本ではどんなところか知らない方が多く、こういう楽園みたいなところがあることを知れば、喜ぶ方も多くいらっしゃるのではないかと思います。人生の大切なことに気づく方もいらっしゃるかもしれません。そのような方が、一人でもいらっしゃれば掛け替えの無いことだと思います。私もこちらを通じて一翼を担えればと思います。

また、私ども家族、子供たちに暖かい言葉や親切をかけてくださった現地の方々と、最後にケアンズに。

今回も、ケアンズから癒され、いくつかの内面的な体験を深化することができました。ケアンズに対して、私なんぞが感謝なんて言葉を使うのは、おこがましくて、ケアンズにとってはどうでもいいことだろうけれども、やはり感謝を感じます。

皆様に深くお礼申し上げます。

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この先のこと

2012年03月22日

現在、私の研究は超感覚の獲得に入っています。

 

多分、ケアンズが与えてくれる癒しの効果はこの超感覚の感受性によって強さが決まるのだろうと確信を持っています。

つまり、人によって、効果を得ることができるできない、そしてその効果の強さに差があるということです。

 

この領域の奥行きは、私のような凡人にはあるかないかすらわからない領域です。

日々それなりの進歩を感じているものの、多分まだまだ先は長そうです。

また、このような道の途中経過を記載することは、あまり望ましいことではないため、しばらくの間ブログの更新はお休みさせていただきたく存じます。

 

一応このような霊的な能力についての経験が記載されている書籍がありますので、引用したいと思います。

 

まず、こちら。

金井省蒼 野口生体 病むことは力 春秋社 p.227より

「先生が私の目をじっと見つめ、『気をあつめると、わかるんだよ』と言葉を発せられたのです。」と考えを読み取られた、経験でびっくり仰天したことを報告しています。

私自身もこのことは、とある霊能者のセッションを受けたときに経験がありますので、事実と判断しています。

 

ついでにもう一冊。

本山博 本山博著作集8神秘体験の種々相 宗教心理出版 p.373

三菱重工の技術者が、霊能者である著者の母親に紳言を求めたことにより、国産旅客機YS-11の機体開発の問題が解決した過程が記載されています。

アボリジニや数々の世界の神秘現象から、人間には、このような状況や場の全体から情報を得る超感覚が存在し、科学や理性の限界を超える答えを導き出す能力が備わっていると確信しています。

 

私のような凡人にも、心を開いて努力すれば、現在ではどうやら道が開けているようです。

 

多くの人々がいろいろなことがわかるようになれば、世界はもっと良くなると信じています。

 

確かなものをつかみました時点で、改めて皆様のお役に立てるような情報を提供してゆけたらと思っています。

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宇宙と農業

2012年03月19日

花を育てるのと野菜を育てるのとでは少し勝手が違うようなので、現在野菜作りの勉強をしています。

 

昔の記事にも書いたのですが、現在ガーデンを、その場の落ち葉のサイクルで(多分いずれミミズコンポストを作る必要がある。妻もいずれ慣れるだろう)、手をあまり加えずに数十年単位で循環する小宇宙のようなガーデンを作りたいと願っているのですが、シュタイナーの先生に畑の話をしたところ、シュタイナー農法という農法があることを教えてくださいました。

 

私が理想に描いている農法が行われていました。すでにヨーロッパでは広く行われており、この農法で作られたワインはBIOワインとして流通しているのは有名なようです。

 

早速BIOワインを注文してみました。

 

シュタイナー農法の何がすごいかというと、天体の動きと農法が結びついていることです。しかしながら、現在主流の農法では太陽と雨のことしか考えていないように感じます。

 

たとえば、満月の日に種をまくと、その後の雨により月の力が植物に伝わるそうです。サンゴが満月の下で産卵することや、新月になると木は引き締まり、良い材になることを考えると関係があるのだろうなとも思いますし、このように満月の光を浴びた野菜と、最低限必要な光と栄養だけ与えられた野菜工場の野菜のどちらを選びたいかときかれたら、やはり月の光を浴びた野菜を食べたいので、魂はどちらかがより良いのかを知っているのでしょう。

 

さらに調べてみると、日本の旧暦も月暦で、以前は日本でも旧暦に沿って農事が行われていたようです。

 

いつから日本人は宇宙とのつながりを失ってしまったのでしょうか。

 

単なる食料生産という農業ではなくて、こころとからだに優しく、癒しにつながる農事を含めたライフスタイルとして、よいものが出来上がればと願っています。

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本の経過について

2012年03月14日

以前こちらで告知いたしました本の件。

忘れているわけでもなく、サボっているわけでもないのですが、苦しんでいます。

同じようなアプローチのものがないかを調べてみると同じような本がすでにあり、さらに相当な精緻さで説明されているため、より深くより広く探っているところです。

自分だとか日本だとか狭い視野にとらわれず、起こった出来事にいちいち右往左往されずに、宇宙的な視点から物事をとらえる感受性を開発しようというコンセプトです。

 

最初、人間の器官の発達と関連しながらそれがどうスピリチュアルの発達と結びついていくかを考えたのですが、すでに、こちらの書で私ができるよりも深く追求されていました。

E.H.エリクソン,J.M.エリクソン ライフサイクル、その完結 みすず書房

このアプローチを含み、更なる進歩を遂げているものもあるはずだと探してみると、時代的には先には無く後戻り。

ルドルフ シュタイナーが人智学、霊智学、心智学という学問分野を追求しています。

日本では、本山博が霊能を使いながら、やはり同じような道を説いています。

このあたりになると、心は道徳や宗教へと広がり、心とモノの結びつきも、哲学で何かが存在しそうなことはわかるのですが、理論でありそうだというのと、実際に存在するのはやはり違う。理論でありそうだからといって探してないものもたくさんある。だから盲信というのもある。(予断ですが、現在の私たちの普通の認識方法を使うと、必ずキリスト教的な創造神が必要になります。そのため、それを否定するとひどいアンバランスに陥るのです)

 

実際に自分で在ることが確信できないことには、在るとはいえない。そうなると、やはり五感では駄目で、超感覚を開発しなければならない。

ならばと思い、仕方なく、スピリチュアルの世界も探求しないとならないのですが、それはそれはまぁ、野狐みたいなのがたくさんいる酷いところです。

 

気を集めることができると他人の考えていることがわかるようになってくるのですが、そういう一見神秘的なものを見せて人を縛り付けて、気を奪い取る霊能者もいれば、どうなるのかわからんことをいいことに好き勝手に遠い未来のことをいうインチキもいれば、石ころを金やダイヤモンドや極楽駅行き切符のように見せて(本当に人は簡単に落ちる、しかも自力で這い出せない)、布施やら喜捨やらドネーションやらをしたい気分にさせるような宗教家にも

出会いました。

 

このような方々に操られている方々は同じような目を持つようになるので、なんとなくわかります。

 

このような見破りも愛から離れてしまうので、これ以上は書きませんが、どうかスピリチュアルにはくれぐれもご注意ください。

 

きちんとした正道の宗教に触れ(望んだわけではなくたまたま中高がカトリック校だった)、西洋哲学で精神を鍛え、真理探究という純粋な動機が芽生えれば、こういう救済欲のような自己愛から魔境に陥ることから守ってくれるような気がします。

 

ただ、宗教はあくまで、信じることで、わかることとは違う。だから信じろと宗教家は言うけれども、実は逆で、信じるふりはできても、人は理解するか経験しなければ心のそこから信じることができないのです。ところが、困ったことに理性には限界がある。そのため、ヨガなどの行が必要になってきます。

 

あらゆる苦悩を取り除くことが心の最終目標であるというヨガの目標があります。

 

心医術はこの方向を向いていますし、現在の科学もこれを支持しています。

 

とりあえず、いままで進んできた道の延長ですので、しばらくはヨガの道を進んでみようかと思っています。

 

そして、日本なんぞ境界を設定するのは、ゲシュタルトというか単純な認知機能であったり、宗教家と同じようにこういう心理を利用するアジテイターがたくさんいるのもまた気分を害するところなのですが、自分が属しているアイデンティティだからとか、そういう狭小な利得ではなく、純粋に地に敬意を払うということから、自分と結びつきのある地のよさも見出していかないとならないと感じています。

 

アボリジニが持っていたような、ソングラインもそれに近いのかなぁと思っています。

 

もうすぐケアンズ旅行なので楽しみです。

 

最後に、本について声をかけさせていただきました皆様に、大幅な遅れにつきまして深くお詫び申し上げます。

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実証実験開始

2012年03月13日

先日40歳になりました。よい区切りなので、ここら辺で、今後の10年は今までの技術を統合、総括して、すべてが最適化されたシステムを具現化して、そのノウハウを提供してゆきたいと思います。

現代の人々の不安の根を探ってゆくと、自分で食料を調達できない不安からも来ていると思う。

目標食糧自給率150%。農業技術を最適化すれば、普段仕事をしながらでも10アールくらいの土地でできると思う。

知らない人が多いのですが、現在の農業技術の向上によって、世界の食料生産量の増加は、人口増加を上回っています。だから、飢餓は分配の問題。自然はいつでも人間に十分な富を与えてくれているのです。

話がそれましたが、ユンボを一度だけ使えば荒地の開墾は数日でできてしまうし、その後はガソリン動力の管理機を使えば、耕運や畝たても仕事帰りで可能。仕事が終わって月明かりの下で畑仕事なんていうのもいいですね。野菜工場みたいな水耕と人工照明の栽培は、味は最初おいしく感じても、変わりばえせず飽きてくると思うので、有機農法か有機肥料と化成肥料のハイブリッドで。農薬は口に入れても大丈夫なもの、ハチやテントウムシをはじめ、ツバメ、こうもり、トンボといった生物農薬(呼び名が悪いですね)を使う。

家は寝るだけで、あとは畑や木陰、パーゴラなどで食事をしたり、勉強したりして過ごす。4人家族で50平米くらいあれば大丈夫でしょう。

電気、ガス、水道のうち、絶対になくてはならないのは水道。しかし、井戸で代用可能。

ガスはプロパンでどうにでもなるし、プロパンも難しければ、火力だけならチェンソーがあれば、何かに利用した木屑を燃料にできる。炭も作れます。このようなライフスタイルに電気は実はあまり必要ない。電気が引けなければ発電機やもう少し待てば技術の進歩で太陽光発電で何とかなりそう。インフラへの依存から自由になれます。

こちらは、昨年のガーデニンワールドカップでのお庭です。

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畑も単なる食糧生産装置という機能ではなく美しく。野菜の花や色もきれいです。

私が考えるに、人間にとって一番適している食べ物は果物。唾液のような消化液がたくさん出てくるし、糖分などの比率は人乳に近いし、乳汁IgAという免疫グロブリンの代わりに、ビタミンが豊富。果物を切らさないようにして、のどが渇いたらそこらへんの果物を取って食べる。

そうなると果樹の配置も大切。ラズベリーのような柔らかい実にはスズメバチが寄ってくるので、子供が危険。その代わり、スズメバチは芋虫を除いてくれる。だから動線から離して、芋虫の食害が多い葉物の野菜の近くにラズベリーやブルーベリーを植えて呼び寄せ、スズメバチがいなくなった時期に葉物の野菜を収穫する。ラズベリーはスズメバチが巣に戻り、実にエネルギーが満ちて、辺りも明るい、満月の夜にでも収穫。こんな小さな工夫を積み重ねていこうと思います。

自己意識の転換も大切。高級車だの、財産だの、名誉だの、勝った負けた、取った取られたなんぞのゲームに現を抜かして大切なエネルギーと時間を浪費するのはやめ。ヒッピーのような、現代社会に受け入れられない不満を持った単なる反動形成からの反体制、自然回帰ではなくて、自然と人間の対立から融和に。

このようなライフスタイルはおそらく病気を減らします。最終目標は病気の発生ゼロ。

教育も大切。家の中だとおもちゃの取りあいだなんだで、姉弟の間で摩擦も起きますが、自然の中ではリソースが豊富で摩擦もあまり起きません。ストレスも少なく、自然環境は脳を発達させますから、それに加えて最適化された学習ストラテジー、学習システムによって、子供(だけでなく自己も)の可能性を最大限に引き出す。

10年後くらいに、このあたりを、必要な物資、手順、方法をマニュアル化して、お伝えできればと考えています。

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メッセージカード

2012年03月05日

40歳の誕生日まであと数日ですが、バースデーカードをいただきました。

そこに、ダーウィンの面白い言葉が書かれていました。

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化に対応できる生き物だ」

身体の外も内も諸行無常。

変化し続けていますから、間違いなく変化し続けなければなりません。

しかし、心医術でも説明しているように、生物にとって変化はストレスです。

恒常性を保つために、身体は日々刻々どれほど注意を払っていることか。

心医術流に言葉を付け足すと

「この世に生き残る生き物は、最も力の強いものか。そうではない。最も頭のいいものか。そうでもない。それは、変化しなくてもよい方法で、変化に対応できる生き物だ」

ベストは常に逆説の昇華にあると思います。

玄ですね。

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スピリチュアルとマインドコントロール

2012年03月02日

最近、マインドコントロールというものが騒がれています。

スピリチュアルの分野で悪い人もいますので、今回は少し注意を。

 

マインドコントロールなんてかかるわけないと思ったら、それは危ないです。

さまざまな心理学的なテクニックを使うと、人はいもと簡単に落ちてしまいます。

そして、霊能者という人もこの世にはいます。

神通力とも呼ばれますが、こういう能力も人間にはあります。

私はこういう力もいずれ科学的に解明されると思っているのですが。

 

超常的な現象を伴いますから、こういう力を見せつけられると、これまた人はいとも簡単に相手を万能であったり、絶対であったりと思ってしまうわけです。

 

その力を善いことにことに使ってくれれば結構なのだけれども、スピリチュアルの分野になると、霊能者本人も、何が善いか何が悪いかすらもわからなくなってしまっていることがあります。

良かれと思っていることが本当に善いか悪いか、正邪の区別はとても難しいものです。

 

マインドコントロールという言葉は、心を意図的に操ることです。

霊能者が意思を持って、コントロールしているのか、結果的にそうなっているのかはわかりませんが、いずれにしてもあまりよいものではありません。

 

なぜ、マインドコントロールを解くことが難しいかというと、強力なマインドコントロールは、魂を、死や死んだ後に対する恐怖や不安を使ってコントロールするからです。

これは、魂を持つ、モノではない人間にとって、もっとも強い恐怖です。

こういうのは、私には野狐の仕業としか思えません。野狐はよく神や仏になりたがります。

 

神通力を見せられて、すごい力を持っていそうな霊能者から、こうしなければ死ぬ、こうしなければ死んだ後永遠に苦痛に閉じ込められるなどといわれたら(霊能者自身もそう信じ込んでいることもよくある)、普通の人はイチコロです。

 

理詰めで考えた場合、これから完全に離れる方法は一つだけ。

現在のところ人間の能力は不完全です。未知があります。ですから、未来のことなんぞは誰にもわかりません。

できることは精一杯やって、あとは自分のすべてを天にゆだねてしまうことです。

 

一度マインドコントロールにかかると、霊能者から離れることは簡単ではありません。

 

死ぬかもしれないという恐怖や、未来永劫にわたって苦痛を与えられ続けるかも知れないという恐怖を乗り越えなければならないからです。

 

これをできなさそうな場合は、スピリチュアルにはあまり深入りしないほうが安心かと思われます。

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いつもと違う春の迎え方

2012年02月26日

今年の冬は、なるべくひっそり過ごし、エネルギーを蓄えるという方法をテストしてみました。

その結果は大当たり。

春が近づき、自然とエネルギーが湧いてきます。

昨年までは西洋医学的なアプローチで、いろいろなことを技術で捻じ伏せて生活しよう、という感じでやってきたのですが、ひょっとしたら抵抗するよりも、自然に逆らわないほうが長い目で見たら結果的に良くなるかもしれないのではないかという疑問が湧きました。

そうしたところ、今年はじめ、偶然、古代中国の養生法「素門」に出会いました。

こちらの「素門」。

月や太陽といった、天体の運行と人間の生命活動の関係までを含めた、壮大なスケールの医学書です。

2000年以上前のものながら、昔の人は元気に100歳以上生きたのに、最近のものときたら・・・という感じで始まります。

季節ごとの養生法が記されていて、冬は、できるだけ気持ちを消極的にして、あれこれやろうとせず、太陽が昇るまでゆっくり寝ていなさいと記されています。

冬は季節性感情障害といい、自然に気分が落ちるもの。

わざわざこのようにしようとしなくても、自然とこうなりますので、素直にしていればいいわけです。

西洋医学では、これを異常ととらえて光を当てて光線療法をしたり、場合によっては抗うつ薬を使い、気持ちを奮い立たせようとするのですが、無理にこれをすると、春に成長の力が湧かず病気になると書かれています。

確かに、成長と収蔵のサイクルに従っていて理にかなっています。

さらに、もうひとつ面白いことが。

不思議と自然との結びつきも強くなったようで、立春から春の陽気を実際に感じるようになったり、先日はそろそろ畑を耕したほうがいいかなと思い、牧場で牛の堆肥2000kgを購入(完熟なので無臭)。

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その直後に雨が降り、堆肥を馴染ませてくれます。

畑を耕し始める時期や雨が降り始める時期がドンピシャです。

自然に対する感受性が深まったようで、自然の中に身を置くだけで、とてもわくわくします。

たまには、いつもと違った方法を選択するのもよいですね。

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心のコントロール方法

2012年01月30日

昨年のこの時期、引き寄せの法則について書いたのを思い出しましたので、今年も思いついたことを書きたいと思います。

引き寄せの法則というものは、法則自体は簡単ですが、それを実行することは大変難しいのです。

固定観念が、アホ臭いとか、あるわけ無いとか、脳天気という想念を引き起こしますし、実際試してみても、常識が邪魔をするので、望まないものまで引き寄せられてきます。ですから起こりうるリスクには全て対応策をしっかりしておかなければ安心できません。

また、何でも手に入ると思うと、実際に欲しいものはそれほど多くなく、また、苦労なく(信じること自体が大変な苦労なのですが)何かを手に入れることへの罪悪感まで感じます。

そのため、心をコントロールできることが必要になります。

心医術は、私がヨガを本格的にはじめる前に、一定以上の客観性を持つ様々な科学研究の結果を組み立てた西洋的な方法です。

多分、現在を生きる多くの人に当てはまる法則だと思うのですが、ヨガをはじめると心の構造が少し変わってきます。

私自身の心の内部観察から、今回は、ヨガのテクニックを使った心のコントロール方法について説明したいと思います。(心医術では足りない部分の探求をつづけて、考え続けることとヨガの行を同時に行い3年程度かかりましたので、少し根気が必要だと思います)

ヨガで特別な行法を行う以前には、心はとても速く動きました。

科学では、通常こころは神経伝達速度、1/1000秒単位のレベルで働くことがわかっています。哲学のレベルで考えれば、こころは簡単に未来に行きますから、光の速度を超えていそうです。

ですから、働き始めたときは手遅れで、なすすべがありません。一つのことに心がとらわれると、それから離れるのも一苦労です。

皆様はいかがでしょうか?

ところが、ヨガの呼吸法をはじめると、心の動きが少し緩やかになりました。おそらく、1/10秒単位のレベルだと思います。

その呼吸方法は、丹田呼吸といい、息を吸うときに臍の下を膨らませる呼吸方法を続けていると、その部分が気で満たされ、熱感を感じるようになってきます。

ネガティブな感情(情動)が起こったときに、丹田に気を下ろすと、以前よりは簡単に止めることが出来ます。

一方、脳だけを使った場合は、意思の力によって常に情動を監視下に置かなければならないので、油断をすると情動が動きます。

また、情動は思考によって抑えられるのを好まないようで、そのエネルギーはくすぶり続け、一時的には押さえ込むことが出来ても、やはり油断すると前よりも強くなり勢いづきます。

ところが、丹田にその気を下ろしたときには、燃やされたように消えてなくなってしまいます。燃やされるというのは、そのような想念を丹田に下ろすと、丹田がとても熱くなるからです。

そうすると、ポジティブな感情を引きよることが楽にできるようになります。

では、全て丹田で考えるのがよいかというとそうではなくて、全てを丹田で考えるのは現代には会わないように感じます。頭で考える利点は、そのスピードにあるからです。両方とも利点がありそうです。

丹田呼吸自体は、上に記した方法で簡単です。

ご興味がありましたらお試しください。

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遅くなりましたが新年のご挨拶を

2012年01月19日

かなり遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

今年はパソコンからできるだけ離れようと思っていましたら、気がつくとかなり時間がたち、寒中見舞いの時期になってしまいました。

本年も自然とケアンズとの交流で健康に役立つ方法を考えてゆきたいと思います。

 

私自身もなるべく山小屋で過ごし、自然と触れ合う時間を増やそうと考えています。

(シークワーサー収穫中です。後先考えずに植えるとこうなります。)

  

こちらは先週末体験したシュタイナーの水彩画です。

自然と触れ合いながら、人間的な美も追求してゆくという、矛盾の内包を突き詰めてゆきたいと思います。

  

本年もよろしくお願いいたします。

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2011年12月13日

本年も残りあとわずか

今年も毎日心医術を心がけて過ごしました。

心医術を行い困ることは、心医術では恒常性を保つことが重要ということを説いているのですが、脳がリフレッシュされると、どんどん新しいことが理解できるようになり、新しい知識や体験が入ってきます。

新しいことは恒常性を崩すのでストレスになるのですが、努力をしても起こってしまうことは仕方がないですね。

本年はここまで到達しました。哲学を使うと、無と有は、幻想ということがわかるのですが、これらを超えた玄という世界が存在するらしいです。

来年はこちらを探求してゆきたいと思います。

皆様、どうぞよいお年を!

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紅葉

2011年12月04日

土曜日は少し空いた時間ができたのでレンガを敷く予定だったのですが、そんなつまらないことは後にしなよといわんばかりに雨。紅葉を楽しみました。

 

ケアンズの雨はバンザイして飛び出したくなるくらいパワフルだけど、日本の秋雨はしとしと遠慮がち。

 

 

落ち葉や花びらをごみという人もいるけれども、落ち葉や花びらも大切な景色だと思う。

 

 

 

 

最近雨を嫌がる人が多いけれども、雨のときにしか美しさを見ることが出来ない、しっとり濡れた飛び石などが、生活の場から少なくなって、雨が退屈になったからだと思う。

 

 

 

環境保全(社会の営みに都合のよいように自然を機能的にコントロールする)か環境保護(自然をありのままに保つ)かという議論もあるけれど、人はパンのみに生きるにあらず、神の言葉で生きる。日本の神様は「隠(か)れ身(み)」。自然を人間のいいように変えてしまったら、まだまだ人間に隠されて発見されていないすばらしいものを壊してしまうと思う。成長できなくなってしまう。だから、環境保護が大切だと思う。

 

 

 

 

だからといって、和と洋、自然と人工が極端に対立するわけでもなく、馴染むことも出来ると思う。

 

 

 

 

紅葉を楽しませてくれた秋雨に感謝です。

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ココロのコントロール法・一瞬で幸せになる方法

2011年11月21日

心医術はレーサーがレーシングカーを自在に操るように、「自分」という意志の力、魂ないしクオリアによる、心身自在を目指しています。

前回、成功は幸せな状態のときに起こりやすいという、幸せの大切さを述べたので、今回は幸せを引き起こす方法を説明します。

人には「一瞬で幸せになる方法」があるということに気づいたのは、次のようなことが出来るようになったためです。

心医術p.295。

「夜に目を閉じて、あらゆる刺激を遮断しても、幸福であると思うだけで幸福を感じることが出来るからです。そして、このことは、一切の外界からの刺激を必要とせず、私自身という一つの独立した有機体の中で起こりうるものであることを示しています。」

つまり、幸せの状態を、意志の力で簡単に再現し、その気分でココロを満たすことができるのです。

理論上一つだけ条件があり、幸せを知っていることが必須ですが、幸せは人にとっての原体験であり、全ての人が、いかなるものかを知っていると考えられているので、誰でも出来ると思います。

では、早速その方法です。

それは、前述した「幸福であると思う」ことです。一度できるようになると簡単なのですが、できるようななるまではなかなか難しいようです。

そのため、ヨガのテクニックをかります。

「幸せになりたい」、「絶対に幸せになる」ということばは逆効果になることがあります。

今の時点で幸せでないことが、強く再確認され、かえってみじめになってくるからです。

ではどうすればよいのか。

「私は幸せになった」というマントラをつかいます。

これを、何度もココロに刻み込み、同時に、幸せの情動記憶(幸せの状態)を呼び起こすことです。最も幸せだった過去の経験を思い出すと、情動記憶を呼び起こしやすいです。

もう一点重要なのは、相対論にはまり、不幸があるからこそ幸せを感じることが出来るという、不幸がなくてはならないものだと思い込んでいると、なかなか不幸を止めることが出来ません。

間違ってはいませんが、不幸がなくても幸せを感じることが出来ます。

なぜなら、認識は、差から生まれます。

たとえば、現在と過去を認識できるのは、過去は現在と比べると記憶の鮮明さが劣るという差から生じるという、哲学上の仮説があります。つまり、過去を同じ強さで再現できれば、過去は認識上存在しなくなり、永遠の今が生じます。

これも個人的な考え方ですが、心医術p.301。

「最終的な目標は、毎日幸福でありながら、翌日はより幸福になり、最後に息を引き取るときには最も幸福になっていることです」

つまり、不幸を必要とせず、浅く弱い幸福を基準にして、より深く強い幸福を感じることが出来るのです。

幸せには、強さ深さがあります。

風の中のローソクのように一瞬で吹き消えてしまう、弱く浅い幸せもあれば、その場に泣き崩れてしまうような強く深い幸せもあります。

どのようなときに最も強い幸せが経験されるのかも、哲学の領域である程度わかっており、それは、いまのところおそらく被造物感情だといわれています。つまり、自分を創ってくれ、生かしてくれる愛に満ちた存在に対する感謝です。(個人的にはいまのところ、神秘体験が起こり、それを捨て去り乗り越えることが大切であると考えています)

意志の力で情動を動かすことには、最初は心理的抵抗があるのですが(このタブー感がどこから来るのかも探求してみたいと思っています)、たとえば、脳がお花畑などと思われるかもしれませんが、脳が荒地よりもずっと素敵です。

習慣になると特に良いも悪いもなくなってくるので、ご興味のある方はお試しください。

あと、一点大切なことなのですが、最初はストレスが無く、体調が良い状態のほうが、出来やすいと考えられます。

そのため、ケアンズは最適だと考えています。

最後に、幸せにより、慢心が起こると足をすくわれますのでご注意を。

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心医術と引き寄せの法則

2011年11月15日

心医術がどうして引き寄せの法則なのか。

心医術を執筆した当初、私は引き寄せの法則というものがあることを知りませんでした。(しかもどちらかというと、こういうニューエイジ系は好きではなかった)

しかし、健康に良いとされる、質が高く、科学者の間で尊重されている医学調査の結果を集めてゆくと、次のことが見えてくるからです。

心医術の9ページ。

「幸福とは単なる目的ではなく、幸福であることが、健康や生活の質全体の向上にも役立ち、それがまた、さらなる幸福の実現にも役立つという好ましい循環を明らかにしていきます。」

不幸の中で頑張っても、いつまでたっても幸福にはなれないということです。

この気づきは、なんとしても人に伝えなければならないというほどまでに、強いインパクトがありました。

また、最近発売されたジョーン・エイカー氏によるベストセラー書、幸福優位7つの法則でも同じことが書かれています。

「幸せは、成功の結果ではなく、幸せでポジティブな気分の時に成功する」

したがって、幸せになることは、ゴール(目的)ではなく、スタートラインなのです。

そこで、次回はもう一度、瞬時に幸福になるための方法をおさらいします。

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危機のときのココロの働き

2011年11月10日

ここのところ、世界中で地震、洪水の災害、経済システムの破綻傾向など危機が多発。

日本でも、最近の医学調査で、震災に対する心理的影響が、血圧などへの悪影響という形で現れています。

危機の時には動物はこのような行動を取ります。

たとえば、最も原始的な生物である線虫。

危険がないときには、単独行動で自由に動き回るけれども、有害物質などを感じて危険が迫ると、集団で行動するようになります。

こういう危機のときには、皆で協力しあうのが、ココロにはやさしいと思われます。

もう一つの動物の行動の特徴は、自分で出来ることは自分で。

なかには、自分で簡単に出来ることを、あれをやって、これをやってと人を使いたがる人もいるけれども、これは協力ではなく従事。

こういうときにはみんな大忙し。ご注意を。

人はもう一歩高度なことが出来て、ケアンズの自然の中で人工物が何もないところに一人ぼっちになってみると、究極的には観念の上で、社会との関係が断たれます。そうすると、人によって作られた経済からくる不安は和らぎます。

不安は良いアイデアの発想を妨げます。

そして、危機を乗り越えるためには良いアイデアが必要。

こういうときには、色々な方法で、積極的に不安の解消を。

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木の気持ち

2011年10月11日

ヨガスタジオの建設を計画している、昨年購入した土地があるのですが、数十年放置され原野状態になっています。庭木は野生化して、花や実がなるのははるか頭上、巨木になっています。(しかし、栗・柿・梅・木蓮・もみじ・金木犀・百日紅・椿・薔薇など貴重)

自然が一番といいたいところですが、色々な木々の枝が押し合い圧し合いで、風通しも悪く、窮屈そうなので、少し枝をはずしました。

観賞に耐えるようにするための枝のはずし方には、いくつかの先人たちの知恵とルールがあります。

忌み枝といって、嫌われ者の枝があります。

なんだか木も人も似ています。

 

まずは、徒長枝、立ち枝。

 

まっすぐ上に勢いよく伸びる枝。出る杭は打たれ、正論や義を振りかざすと嫌われたりします。しかし、他の木の陰になるようなときには、いち早く陰を突き抜けて、木の生長を助けます。危機の際には重宝されます。

 

逆さ枝。

 

幹の反対側に伸びてゆく枝です。樹形が乱れるので剪定されます。アマノジャクのようにも見えますが、人の行く裏に道あり花の道。なぜか成長して太くなると見事です。日比谷公園に、すごく見事な逆さ枝の木があり、圧倒されます。わが道を突き通し続けるのも立派。

 

胴吹き。

 

忘れた頃に主幹から生えてくる枝。昔は良かったと、ノスタルジックな懐古主義者。または幼児退行? 気持ちはわかります。あまり成長しないので、目立たず、はずすのも面倒なのであってもいいかという気分になる。当たらず触らず。

 

ヒコ生え。

 

地際から伸びる枝です。これも栄養を取るために剪定されます。しかし、主幹が倒れたときにはこのヒコ生えが成長することによって、木の生命が保たれます。新しい思想の源流のようです。また、ヒコ生えが主幹と同じくらいに成長すると、株立ち、武者立ちになります。色々な思想が調和しているようにも見えます。先駆者。

 

斜めに外側に向かってでる枝。

 

調和が取れています。これを全て切ると枝がなくなる大衆。庭の主人の気分しだいで、込み入ってきたときなどに剪定されます。

 

その中でも、たとえば平行枝。同じものは二つもいらない。まねっこ。

 

交差枝。人にちょっかいを出すと嫌われる。寂しがり屋?

 

折れ枝。燃え尽き症候群?

 

枯れ枝。

 

日陰に生え、葉もなく、何ものにも塩しない枝。しかし、どの枝もゆくゆくは枯れ枝になります。

 

枯れ枝以外はどの枝も、木の成長に役立つので、個性を尊重するのか、それとも全体のバランスを保つのか、難しい問題です。

 

枝だけでなく主幹も、直立していたり、倒れても生きつづけていたり、流枝になっていたりで、いままでの成長を物語っています。

 

環境に恵まれたんだなぁとか、厳しい環境で生き抜いてきたんだなぁとか。周りと仲良くやってきたんだなぁとか。

 

ケアンズは広い場所でのびのび自由に育っている木も多いです。(つる植物に絞められて苦しそうな観光名物の木もある)

 

ケアンズで木々をみるとき、どのように光を求めて成長してきたのかを見るのも楽しいですよ。

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見とれる壁紙

2011年09月24日

芸術の秋ということで、急にパソコンのデスクトップを名画にしようと思い立ちサーチエンジンで検索するとたくさんのサイトがヒットしました。

  

サイトの開設者の方々に感謝です。

 

色々見比べて、ラファエロのアテナイの学堂にしました。

(こちらからダウンロードさせていただきました)http://matome.naver.jp/odai/2129792289098372501/2129792382798444103

  

デスクトップにすると、額縁がなく全部を見渡せるためか、不思議とウフィツィ美術館でラファエロを見たときよりも、臨場感がとてつもなく、話し声のざわめきが聞こえてきそうで、その場にいるような気がしてきます。

  

写真が発明されてから、いくらリアルに写実しても写真にはかわないという理由で、近代から現代美術はアボリジニ絵画のような抽象画に向かっていますが、ラファエロはリアルでありながら写真を超えていると感じました。

  

見とれてしまい、吐く息とともにストレスが抜けていきます。

  

芸術の持つ癒しを治療に使おうという動きもあり、治療効果があるのかないのかは主観的な評価になってきますが、美しいものには治療的な効果があると私は信じています。

  

ケアンズでもアートテラピーなどをされている先生もいらっしゃるようです。

  

ぜひ、芸術の癒しに触れてみてください。

 

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ケアンズ療法実践編・チャクラバランシング

2011年07月20日

チャクラというのはヨガでいう、体内にある7つのエネルギーセンターのことです。

 

pubmedでキーワード「chakra」で検索してみると、論文は一件もヒットしません。

というわけで、西洋医学では未知の領域になります。

  

しかし、ヨガで瞑想の行を行っていると、だんだん自分の中にチャクラがあることがわかってきます。

  

眉間の内側にアジナチャクラというチャクラがありますが、瞑想をしているときに、ここに色々と鮮明な像を結ぶようになります。

しかし、なかなか精神集中が大変で、期待したり、見ようとする意志が出ると見ることができないという厄介な性質を持つため(見えたからなんだという気もするのですが)、もっと楽にできないものかと、Shirodharaを受けてきました。

  

Shirodharaというのは、オイルポットからアジナチャクラの表面に向けて、オイルを数十分たらして、深い瞑想状態に誘導するアーユルヴェーダのテクニックです。

Shirodhara」をpubmedで検索すると4件の論文がヒットします。いずれも確定的な論文ではありませんが、神経免疫学的に良い作用を及ぼす可能性が示唆されています。

  

スパを訪れ、ベッドにあおむけに横たわり、期待に胸を膨らませ、始めてもらいました。

暖かく、心地よいオイルが額をゆっくりと流れていきます。

  

が。。。。。

  

ちがう。アジナはそこではない。。。もっと下なのだが。。。あーそうそう。下がってきた。。あともうちょっと下。えっ????どうして上にもどる???しかもぐるぐる回してはいかん。誰からそんな方法教わったのですか????

  

というわけで、深い瞑想状態ではなく、思考の迷走状態を体験し、スイートスポットに一度も当たらず、やや不満。

  

チャクラバランシングのマッサージを受けた妻は、爽快な表情で、気持ちよかったと満足げに出てきて、こちらにすればよかったと後悔。

  

しかし、その夜瞑想をすると、間違いなく今までよりも簡単にアジナチャクラを意識できるようになりました。(翌日には元の木阿弥になっていました。継続したほうがいいのかもしれません。)

  

スイートスポットに当たらなくてもいいのか????もしかしたら私が間違っているのだろうか???もし、スイートスポットに当たったらどうなるのだろう???とさらに混乱。

  

そして、アジナだけでなく、他のチャクラに当ててみたらどうなるかというイタズラごごろも。

  

帰国後すぐに、Shirodharaセット一式を購入してしまいました。

  

ケアンズでは、色々なスパでチャクラバランシングのマッサージを受けることができます。

効果が実感できるスパを探してみてください。

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ケアンズ療法実践編・愛情について

2011年07月07日

友人の結婚式に出席してきましたので、愛情について考えてみました。

 

愛情は人間にとってアプリオリに貴く、謎が解けると魅力が薄れると心配されるかもしれませんが、形而上のため捉え難く、探求しつくされる性質のものではありません。

むしろ、愛情という美を突き詰めてゆく美学は、わくわくする楽しいものです。

  

愛は、多種多様でバラエティに富んでいます。

キリスト教的な全人類に対する普遍的な博愛もあれば、友人や家族のような限定を対象にした友愛もあります。

自己を大切にする自己愛もあります。

自己の中にも、たとえば身体を犠牲にして信念を愛するというような、自己の中のより小さな対象に向かう愛情もあります。

 

その表現も様々で、成長を望み試練を与えたり、無干渉に徹する父性愛もあれば、苦の試練を取り去り和らげる慈愛もあります。

 

心理学者のマズローの研究が治療的ですので、今回はマズローの愛情に表現をかります。1)

 

マズローは愛情を二つに分けています。

 

ひとつは、B愛情(他人の生命のための愛情、求めない愛情、無我の愛情)。

もうひとつは、D愛情(欠乏の愛情、愛情要求、利己的愛情)です。

 

B愛情は他人に与え、D愛情は人から与えられるプロセスにより、こころに引き起こされるという正反対の性質を持ちます。

B愛情は深く長く続き、飽きられず、消滅せずに逆に大きく成長してゆきますが、D愛情は無意識的な欠乏と欲求を引き起こし、与えられてもすぐに消滅し、求められ続け、手に入らない時には欲求不満を引き起こし、しばしばトラブルの原因になります。

 

ピンとこない方も多いかもしれませんが、マズローは、B愛情を与えることによって、与えた愛情よりも大きな愛情が、無限に与えられるという大変な発見をしたのです。

つまり、自分のこころのありかたひとつで、こころが愛情で際限なくどんどん満たされてゆくのです。(引き寄せの法則が当てはまるように見えます)

 

B愛情を実践するようになると、もはやD愛情は色褪せ魅力を失い、求められなくなります。

つまり高次へのワンウェイであることから、人格の成長と解釈することができます。

 

欠乏は病気を生み出します。

したがって、必ず欠乏を必須とするD愛情以外に、B愛情があることを知り、こころが愛情で満たされるようになると、人はより健康になると期待されます。

  

ケアンズはいつも惜しみなく愛情を与えてくれているように感じます。

何も恩返しをしなくても、ただ与え続けてくれています。

  

そして、愛情を与えるときには、ケアンズをお手本にすればよいように思われます。

  

来週はケアンズ旅行です。

しっかりケアンズと向き合って来ようと思います。

  

参考文献)1)アブラハム.H.マズロー 上田吉一訳 (1998) 完全なる人間 魂のめざすもの 第2版 pp.52 誠信書房

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武道は戦いを無くす?

2011年07月04日

週末は高校の同級生の結婚式で東京へ。

 

そこで、心医術でご著書から引用させていただいている、山本哲士先生とお話をさせていただきました。

 

先生はホスピタリティ学の重鎮でおられ、結婚式会場のペニンシュラホテルのホスピタリティにも携わったとのことです。

 

ホスピタリティには利他のエッセンスがありますから、このような話に。

 

最近、先生は剣術のマスターとやりとりをする機会があって、それによると、技術だけでは到達できないある一定のレベルに達すると、刀を交えた瞬間に、どちらが切られるのかがわかる。

 

それは、西洋の剣術が絶えず剣を振り回すのとは違って、刀を合わせた静で完全に相手と自分が一体になるからわかる。ということでした。

 

そうなると、無駄に争う必要が無くなる。

未熟だから戦ってみないとわからないんだよ、と言っておられました。

 

私も最近、ヨガのマスターと対面で瞑想をしていた時に、鼻炎で鼻がむずむずし始め、良くなったと思った瞬間に、マスターが鼻をずるずるさせ、「鼻炎がひどいねぇ」といわれ、私の鼻炎をうつしとられたという経験をしました。

 

この経験を山本先生に話すと、おそらく人間には、自分と他人を統一させる何らかの方法があるんだろうねぇと話されました。

  

多分これは、日本人に備わった特別な感覚で、つねに分離が根底にある、他の人種にはできないだろうと。

 

日本の武道には、相手を倒すという要素よりも、お互いに成長することにより、お互いを生かすという精神があるのかもしれません。

 

勉強になりました。

 

心医術は完全なプラグマティズム(アメリカ哲学のひとつ)、現在力を入れているヨガはインド哲学、普段の思考方法はヨーロッパ哲学の力を借りているので、妙にヨーロッパの友人と話があったり、また、こころはすぐにケアンズに向かってしまったりするのですが、少し、地に足をつけて、日本人の感覚を磨いて、日本のためにも仕事をしなければならないのかもしれないなぁと感じました。

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不思議な体験

2011年06月20日

従来科学や五感は一貫性は提供してくれますが、完全を提供してくれません。

  

進化心理学のような前衛的な科学や哲学は完全のまどろみを見せてくれますが、やはり完全には手が届きません。

  

人間には、ある種の条件がそろうと引き起こる、不思議な感覚があるようです。

  

以前、神秘体験について書きましたが、高嶋さんもそれを経験された一人です。

ご自身のブログで心医術の記事を書いてくださいました。

http://bwalpha.blog122.fc2.com/

  

以前にも書きましたが、河原道三氏が「参りました」といいたくなるくらい、神秘体験について、詳細かつ正確に分析されています。

http://www.lcv.ne.jp/~kohnoshg/site1/cover.htm

  

神秘体験は、より良い健康を実現するための、重要なエッセンスになるのではないかと考えています。

不思議な体験を経験されて、それがどう考えても大きな意味があるように思えて、あれはなんだったのか?と不思議に思われている方は、ぜひ意見交換をお願いいたします。

lep-wellness@hotmail.co.jpまでメールください。

  

なお、これが起こる条件の一つには、自身の体験から、アボリジニの通過儀礼のひとつに、そのヒントがあると思っています。

  

アボリジニ・ツアーでも通過儀礼を説明してくれますので、ぜひ、ツアーに参加してみてください。

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十年経つと・・・

2011年06月17日

朝出勤をして掲示板を見ると、勤続10年の表彰があるとのこと。

 

対象者に私の名前がありました。

 

ああ、もうここにきて10年経ったんだと思いました。

 

最初に勤務した病院は、皆、すぐに対立しあい、イヤイヤ文句を言いながら仕事をしており、私にとってはあまり良い環境と感じることはできませんでした。

イヤなら他に行けばよいのに、なぜ居続けるのだろう???という単純な疑問を胸に、ここに居てはいけない、というこころの奥の警鐘を感じ、希望を出して早期出向。

 

いまでこそ、大学病院以外で研修することが普通になりましたが、当時は一匹狼と呼ばれるほどの本当にごく一部の例外でしたので、多くの方から反対をされました。

 

出向先は、前身が明治時代からのかつての日本海軍の関連病院。

尊敬できる上司のもと、歴史と伝統のある病院で、沢山の経験を積み、勉強をさせていただきました。

 

その後、出向元へ戻るようにという人事がありましたが、戻らないことを決意しての出向でしたので、退職。

 

人手が足りないので手伝ってほしいという要望があり、母の従兄弟が院長をしていた現在の病院に勤務することとなりました。

 

勤務したばかりの時は、専門職というのはそういう方が多いのですが、協力し合おうという風潮はあまりなく、効率的ではありませんでした。

その後分業を提案し続け、現在では以前よりは効率的になりました。休日の出勤も減りました。

  

そして、医師不足で多くの病院で医者が減り続ける中、現在、高校の同級生2名が常勤になってくれ一緒に仕事をしています。

  

話を聞くと、今までいた病院は、喧嘩腰の人が多く、拘束時間が異常に長く、離婚をしてしまったり、子供に会う時間がなかったりと、過労で士気もなくなり、うつに罹ってしまっている先生もいらっしゃるそうです。私が最初にいた勤務先と似ています。

  

もう少し、人を信頼して、お互いに相手を大切にすることを学べば、協力をしあえるのになと思ったりもします。

  

そして、相手を大切にすることは、自分を大切にすることと同じだということにも気づきました。

  

仕事場なんてどこも一緒と思われている方も多いですが、ひとが近づく環境、遠ざかる環境というものも、やはり、あるのではないかと思います。

  

そして、こころの奥からの声に注意深く耳を傾け、一日一日、昨日よりも少しでも良くなるように努力していれば、自然と収まるところに収まってくるのだろうと思います。

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プロフィール

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三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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