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ケアンズのよいお土産
2012年10月16日
先週、一週間ケアンズに滞在してきました。
今回は、こちらでもブログを書かれています、Keikoさんのお店、パウチに行ってきました。
最初に断っておきますが、仲良くしていただいているので提灯記事を書くということは一切ございません。
Keikoさんのお店は、カジノの裏の横断歩道を渡り、とても雰囲気の良いプロムナードの一角にあります。
Keikoさんいわく、旅行者の通りが少なくて・・・とのことです。良い雰囲気なのにどうしてでしょうかね?と思いましたが、確かにそういわれてみるとはじめて通りました。
息子は家族の買い物中に、店内で日傘を広げて駄々をこねる始末で、やっとのことで通りに連れ出しました。車が通らないので本当に安心です。
お店に置いてあるものは、すべてが当たりで、無駄なし、はずれなし。
綺麗な写真が飾られていて、お店の雰囲気もとても心地よいです。
私のお気に入りはこのジャムとチャツネで、試食させていただいたところ、あまりのおいしさに買い占めてしまいました。他の旅行者の皆様。大変申し訳ございませんでした。
ほんの少しつけただけで、フルーツの爽やかな甘みが広がり満足。娘も大喜び。
ユーカリ林や、レインフォーレストの蜂蜜も、ケアンズのエネルギーに満ち溢れています。こちらも、爪楊枝一すくい位の少しの量で大満足。目を放した隙に、娘は試食コーナーから離れず。
娘は、綺麗な石鹸のレリーフがお気に入りで、幼稚園の先生のお土産に。
Keikoさんのお友達が作られているというソフトキャンディーは、舌に触れただけでフルーツやコーヒーの香りが広がり、すごいです。
おまけにいただいたチョコレート。小さいのに1$。日本の板チョコと同じ値段なのはなぜ?(←辛党なので甘いものの相場がわからない)
と思いましたが、食べてみて、カカオの豆感がずっしり。ああそうか。ああそうかと、納得。変な思いを感じたことを反省し楽しませていただきました。
こういうエネルギーに満ち溢れている食べ物なら少しの量で満足できるので、甘くても砂糖をとりすぎず良いのではないかと思います。
今度お伺いしたときは少しづつ、また色々なものを試してみたいと思います。
こういう手作りのものは、作ってくださる方の労力も大変だと思います。
Keikoさんのケアンズの良いものを集めてくださっている労力もまた大変だと思います。
感謝です。
ビヨンド心医術:条件が揃えば病気は無くなる
2012年09月26日
アレルギーや腰痛が治ったのだから、近眼も治す方法があるのだろうといろいろ探索していたところ、沖正弘というヨガの指導家が近所にいらしたようです。もう少し早く生まれていればお会いすることができたかもしれないと思うと残念です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%96%E6%AD%A3%E5%BC%98
さらに探してみると、沖先生の養生法にたどり着きました。
http://www.yo-ga.com/houwa_1.htm
プラグマティズムベースの心医術とほとんど一致していているので、私はこれが科学や理性をベースに判断しても、正しいと確信を持って言えます。
一部を抜粋すると、
「病気の治し方」
姿勢を正しくすること、栄養のバランスをとること。完全な呼吸、心を清らかにし、 欲望をコントロールし、感情を整えること、仕事を楽しむこと、対人関係をうまくすること、 こういうことが正しくおこなわれれば病気など治ってしまいます。
病気が本当に治るというのは、病的原因が心身、生活、環境、すべての中から一掃されている状態であって、変化したり、おさえたりしたことは治ったとはいわない。病的原因は自分の生活の中にある。すなわち、病気になるような生活を自分が自分にさせ、病気になるような性格を持っているから病気になるのである。
健康を維持する力も発病する力も同じ力である。体力がないから、栄養が足りないから発病するのでなく、余っている体力やエネルギーを身についた悪い癖の方に使って、自分で自分の心身を傷つけているのが異常状態である。だから、生活を正し、人間性を高めることが予防医学であり、生活の中に原因を発見することが早期発見になるのである。
今の日本の医療や社会は、こういう心や人間のあり方の問題に踏み込むことを酷く怖がるし、踏み込んだら踏み込んだで多分修羅場になりそうです。
そんなだから、病院受付の日常光景は、やれ対応が気に食わない、言い方が悪いだの、それが病気を悪化させているということに早く多くの患者さんに気づいて欲しいものです。
そして、医者の側も、現在の医療のアプローチは病気を治すのではなく、とりあえず目の前の厄介事に蓋をしているだけだということに、多くの先生方に気づいてほしいものです。
かといって病気を治すためには、積年の不養生に応じた苦労が必要になるので、心の底からのやる気が起こらなければ、いくら外から言ってもだめ。医者と薬の助けよりも、患者さんのやる気。
凡人が急に聖者にはなれないから、目指すにしても薄皮を剥ぐような注意深い投薬管理なども必要そうです。
ああもうじれったい。
もっと簡単に患者さんの病気を一掃する方法は無いものですかね?
ご存知のかたがいらっしゃいましたら教えてくださいませ。
価格弾力性
2012年09月18日
数年前まで稼働率100%を誇っていた不動産事業に閑古鳥が鳴きはじめ、5月からテコ入れをはじめた空室0計画。
手ごわかった相模原地区での空室が2室までになりました。
パンフレットも作っていただきました。
物事を見るときには、大きな視点からも見てみると、その性質をつかむことができます。
日本の商習慣で、現在何がもっとも大切かを考えたとき、成功している会社に目を向けてみます。
年間1億人のユーザーが利用するハンバーガーチェーンは、価格。牛丼チェーンも価格。カジュアル洋品店も価格。電化製品はもうほとんどがダンピングではないかと思うほど。安くて酷いものも増えましたから、さらにクオリティも要求されます。
価格を制すれば、ビジネスを制すというような勢いです。
値下げにどのくらい反応するかというのは価格弾力性です。
少し前までは、不動産賃貸は比較的価格弾力性が小さく、不動産店を訪れるお客様の何人かに、部屋の綺麗さとか雰囲気などで評価していただける余地がありました。
しかし、最近はもう、真心を理解していただいて、というのはなかなか通用しないのでしょうね。
今では、周りの空室が増えて、不動産店ではなく、インターネットの価格順で部屋を探すので、とにかくアクセスしてもらえません。
そこで、あらゆる可能性を見直し、クオリティを保ちながら最低価格帯でも持続できるよう方針転換しました。
結果は、稼働率が上がるため、収入自体はあまり変わりませんでした。何とかなるもんですね。
不動産店から、ご入居された方がとても喜んでいましたと、ご報告をいただけるようにもなってきました。価格以上の価値を評価してくださっているのだと思います。こちらの収入も変わらないのなら、多くの方に喜んでご利用いただけたほうが嬉しいです。
申込書に記載されている今の若い人たち(知らない間にこんな言葉を使うような年齢になったものです)の収入をみると、本当に厳しい。お部屋でささやかなハッピーを提供できるのなら、こちらもハッピーです。
お互いにハッピーになれる仕事というのはワクワクしますね。
(Webも少し更新しました)
これから、経済はどうなっていくんだろうなんていう大きなことも考えてみました。お釈迦様がそうだったように、みんなモノがあふれる中で生活して、もうモノの贅沢には飽き飽きして、プレミアやら贅やらそういうものがどんどんそぎ落とされていっているような気がします。だからといって、ただ用を足せればよいのかというとそうではなくて、エモーションを満たしてくれないといけないと思います。うまくバランスが取れてくるのでしょうね。
ビヨンド心医術:引き寄せの法則
2012年09月14日
疑って疑って徹底的に疑っても疑うことができないもの、疑うや信じるを超えたもの、発見することができたでしょうか?
信じることも大切ですが、盲信して、牛に引かれて善光寺なんてついていったら、酷いところに引かれていったなんてことも起こりえますから、安全にスピリチュアル道を進むためには疑う力も必要です。
引き寄せの法則は、哲学をするときとは正反対の信じることが必要と、巷では言われているような気がします。
厳密に言えば、日本語の信じるは、文字から推測すると、人の言うことですから、引き寄せの法則の場合の信じるとは少しニュアンスが異なります。
そうなることを期待して心待ちにするという希望という日本語が一番近いように感じます。
言葉と潜在意識は強く結びついていることがありますから、引き寄せの法則を使えるようになるためには、このくらい微細な違いを厳密にする必要があるのではないかと感じています。
私の解釈では、引き寄せの法則とは、信じるのではなく、希望が実現すると強く予感する精神により、事象が具現化する心理学的なプロセスです。
まあ、これくらいやったんだから大丈夫だろうと感じて希望を持つことができると、たいてい実現します。
引き寄せの法則を使うにも、努力することは必要なのでしょう。
無理だと思うことなら、希望をもてるようになるまで対策や努力することです。
たとえば、知識が無いのに試験を通そうなんて、潜在意識は絶対に無理だと知っていますから、まず実現しません。
引き寄せの法則が起こらずに胡散臭いと思われる方は、実現しないことを知っているのに、実現すると思い込んでいるだけです。
引き寄せの法則を疑う方は、試しに信じるのではなく希望を持ってみてください。
希望のエネルギーは絶大です。
今よりも少し、物事が実現しやすくなるかもしれません。
そして、過去に成功したときのことを思い出すと、すでに何度も引き寄せの法則を使っていたことに気づくかもしれません。
秋
2012年09月13日
日本はだんだんと秋めいてきました。
畑は・・・
エノコログサに占領されました!
来シーズンはきちんとマルチしよう。
ちなみに聞いたところによると、普通の土地で1メートル四方に雑草の種は2億個以上あるそうです。
彼らと戦おうなんて無理無理。
エノコログサと共生しながら、野菜もなんとかがんばっています。
これだけ雑草に肥料を吸い取られているのに、とてもおいしい野菜ができています。
無農薬ですが害虫の被害も余りありません。
なぜ???
ガーデニングの経験上、多肥だと虫がつきやすく病気にもなりやすいです。
肥料が無いほうが野菜はおいしくなるのでは?と思い調べてみると、やはりありました。
無肥料・無農薬栽培を勧めていらっしゃる方々へのリンクです。
http://www.h3.dion.ne.jp/~muhi/
http://www.naturalharmony.co.jp/trust/
動物糞の堆肥もあまり使わないほうがよさそうですね。理にかなっています。
お米もあともう少しでできそうです。
一番ハードルが高かったので嬉しいです。
雑草から現実逃避して、整地中の丘の上でボーっとひととき。
ここに、小屋を建てて、だれか腕のよい施術者にお越しいただいて、アーユルヴェーダやアロママッサージを提供できたらいいなぁとイメージしています。
ビヨンド心医術:哲学のやりかた
2012年09月04日
そろそろ心医術を宗教的と誤解される方もいらっしゃると思います。
この点を誤ると、有効に心医術を利用できなくなるので、今回はこちらを解説したいと思います。
心医術と宗教は、実は正反対の性質を持ちます。
宗教の大切なエッセンスは信じること、心医術が大切にしている論理的アプローチのエッセンスは疑うことです。
本当に今の西洋医学のあり方は正しいのだろうか?
製薬メーカーから提供されるデータの解釈は正しいのだろうか?
有名な雑誌に掲載される論文は本当に正しいのだろうか?
このような常識に対する問いかけが根底にあります。
心医術を行うときには一切のものを信じてはいけません。
自分の目で見て、耳で聴いて、頭で考えて、それをこころに問いかけて、一切の疑いの無いものだけを受け入れるか、わずかな疑いがあっても、世で生きてゆくために、または、何かを改善するためには仕方が無いので、とりあえずありのまま、蓋然性として受け入れるという立場をとってください。心医術の本では、このようなこころでも同調できるように記してあります。
では、なぜ宗教的になってくるかというと、私の好きな言葉。
Opposite is very close.
光が強くなると、影が濃くなるように、正反対のものはとても近いのです。
ある一つの道を突き進んでゆくと、不思議と正反対のことがわかるようになります。
ありとあらゆるものを疑うこと。
これは哲学のやりかたです。
本当に幼稚園、小学校、中学校、高校、大学で教わったことは正しいのだろうか?
自分の考えは正しいのだろうか?
自分の五感は正しいものを映しているのだろうか?
自分だけでなく親や教師、法律、神様すらも一律に疑いの対象になります。
この哲学行法は強烈な精神的ストレスをもたらします。
一切のこころの拠り所を失うからです。
人は無意識のうちに、ファミリー、出身校や会社、職業、国、宗教などに、アイデンティティを投射して、こころの拠り所にするものです。
最近は優良企業とうたわれる会社でも一瞬のうちに崩壊することがあるので、そんな不完全なものに大切なアイデンティティを投射するのはあまり好ましくないと思うのですが。
しかし、この疑いの道を突き進むと、必ず一つの答えにたどりつきます。
答えは簡単です。しかし、大切なのは、それを自分の力で掴むことです。
そのため、ここではその答えは書きません。
自分の中に、たった一つだけ揺るがない真理があること。外界にではなく自分の内にそれがあること。
これを発見したとき、三日三晩の間、涙を流し続けることになるでしょう。
そして、Ver2.xへの扉が開かれます。
もう一つ注意をしておきます。
疑いの対象は、法律にも向けられます。
法律を絶対と考える立場はドグマティズムで、不完全であることは簡単にわかりますから、下手をすると何が善で、何が悪かもわからなくなります。
スピリチュアルの方で、澄んだ水も、濁った水も、水は水、といわんがごとくに、善も悪も無いなんていうヒッピーみたいな方にも出会い、それを広めているので気になっています。
そのため、自分がやりたいことをやっても人様に迷惑がかからない状態になっていることが必要です。
規則正しい生活をして、からだを快調に保っておけば、自然にこのようになるような気がしていますので、この哲学行法をやるときには、心医術が助けになると考えています。
そして、快適で摩擦の少ない環境も大切。
ケアンズは、この行法を行うのにうってつけの場所です。
ビヨンド心医術:チャネリング
2012年08月27日
スピリチュアルの人たちが良く使う、チャネリングという言葉。
日本語の棚からぼたもち、心理学でいう期待の自己実現という言葉ととても似ているように感じます。
チャネリングというのは、高次の存在や宇宙と波長を合わせることのように解釈しています。
棚からぼたもちは、隠れ身(神様)が、天から何か良いもの(ぼたもち)を落としてくれるということでしょう。
期待の自己実現は、自分の中にある無意識が、自分でもわからない方法で(意識できないため)、最も良いことをアレンジしてくれるというメカニズムです。
今思えば、心医術も当時の実力で、よくまああんなものを作り上げることができたもんだと思います。
(実際のところ、下の方法で書いたので、自分で書いたという自覚がない)
どういう風な方法をとったかといえば、勉強してきた医学の知識や常識では、解決できない問題だったわけですから、どこかに答えを求めなければなりません。
そこで、無意識に問いかけるようにしました。
無意識ですから意識が邪魔をしてはいけないので、自分の存在は忘れてしまいます。
その方法は、ある問いが白か黒かわからないときは、天にポーンと質問を投げかける。
そうすると、大体、数時間から3日以内に答えが落ちてくるわけです(その間はかなり苦しい)。
しかし、自分ではその答えがしっくりきても、なかなかそれだけでは他の人は信用してくれませんし、客観性がなく勧めることはできませんから、その答えを支持してくれる論文を探すと、サイエンスやニューイングランドジャーナルといった非常に信頼されている雑誌に掲載された論文が見つかるわけです。
素直な気持ちで行わないとだめで、邪念が入るとノイズが入るのでなかなか難しいのですが、慣れてくると、降ってくるまでの時間が短くなってきます。
(この慣れたいう驕りも邪念なのでとても難しい)
一度、自分の存在を忘れて、高次の存在、宇宙、隠れ身、無意識、何でも良いので、自分以上のものにこころを開いてみてください。
きっと良い答えが降ってくることでしょう。
オーストラリアの自殺者数は日本の1/3
2012年08月22日
なぜ、ケアンズは自殺から人を救ってくれるのでしょうか?
WHOの調査によると、日本の自殺者数は105カ国中8位、オーストラリアは自殺者数で日本の約1/3、51位です。
ケアンズにはオーストラリアの中でも、さらに人を自殺に導く刺激が少ないと感じています。(最近少しづつ増えてきているのが少し心配です)
自殺はひとつの行動ですから、ある刺激に対する反応であるということもできます。
刺激に対する反応の仕方は人それぞれさまざまですが、死生学は、いくつかの刺激が、自殺という反応と強く結びついていることを明らかにしています。
両親から愛されないこと、恋人、配偶者の問題、職場の問題、いわれのない中傷、経済的に行き詰ることなどなどの様々な刺激です。
残念なことに、このような人間関係の破綻は、現在の日本ではそこかしこでも見ることができます。
日本人は大和魂という大きな和をつくる魂を失ってしまったのでしょうか。
そして、これらの刺激にどのように反応すると危ないか、ということも明らかにしています。
自殺に向かうようになると、著しい視野狭窄が起こります。
精神的には、どんどん選択肢がないように思われ、最後に自殺という選択肢のみに絞られます。
このようなハイウェイに乗ってしまったら、到着するところは自殺ですから、すぐに降りることを考えてください。
ピンチに陥ったときに望ましい反応は、視野狭窄ではなく、視野拡大です。
ところで、日本の需要不足は20兆円。
20兆円分供給過多。働きすぎています。
夜中まで働いて、過労で精神と身体を病んで健康を害したり、イライラして他人につらく当たっていたら自殺も増えるでしょう。
もうすこし、アクセルだけでなくブレーキを使うことを覚えてくれたらと切に願います。
年間20兆円分も余計に働いているのですから、少しくらい休んでケアンズに行ったところで、何の問題も起こりません。
問題が起こらないばかりか、私にはこちらが正しく問題を解決するように思えてなりません。
手に入れるべきは、あの世行きの切符ではなく、ケアンズへのジェットスターのエアチケットです。
離れることができるのに糞食らえな環境に身を置き続けることは、自分を粗末にしているということです。
自分が好きではなく、平気で自分を痛めつけるというのも、自殺をする人に共通に見られます。
自分をもっと大切にしましょう。
ビヨンド心医術:哲学で目の針を取り除く
2012年08月18日
心医術を出版したときには、まだ医学や理性の限界についてのフォーカスがぼやけていました。
医学原理主義から完全に目が覚めておらず、ぼやけていたのでしょうね。
ところで、よくテレビ放送や新聞で見聞きする、国民の皆さまという言葉。民という漢字です。
漢字は象形文字がベースですから、民が何をベースにしているかというと、奴隷の目に針を刺した絵がベースになっています。
「目」+「↑」で「民」です。針で目が潰されていますね。
つまり、奴隷が主人から針で目を潰され、盲目的に服従する人々というエッセンスを持ちます。
眠るが、なぜこういう形になっているのかも、簡単に推測できるでしょう。
目に針が刺さっていると、目先の狭い勘定だけが気になり仕方がなくなってしまうのかもしれません。
私は医師ですから、目に針なんぞが刺さっていたらそれを抜く治療をしなければなりません。
針を抜いて、もう一度、クリアな目を取り戻しましょう。
西洋の方々の、自分の力で物事を成し遂げてゆこうという力強さには、心底惚れています。
西洋哲学は、自分の幼さや未熟さ、無知、無能力に情け容赦なく光を当てます。
ノイローゼに陥るほどの、徹底的な内面探求、自己反省があります。
その成果は、1700-1800年代にすでに、自力で目の針を抜いたように思います。
(すでに紀元前300年にプラトンがプラトンの洞窟という概念で気づいていた気もしますが・・・)
まず、カントが、理性批判で理性の限界設定をし、つまり、目に針が刺さっていることに気づき、ヘーゲルが現象学で、盲目を暴いてゆきます。
東洋ではどうかというと、釈尊が「色即是空、空即是色」と説明しているのですが、これだけでは全くチンプンカンプンです。
さらにこれを一言で説明すると「玄」になり、ますますチンプンカンプンです。
これを、西洋哲学と照らし合わせて行きたいと思います。
色は、光の反射によって発生するものですから、光によって見える外界のことをさしていると考えて差し支えないでしょう。
そして、色は色情などにも使われ、内面の景色もしばしば表しますので、私たちが普通に認識できる外界と内面を合わせた世界全体のことを言うのでしょう。
ここで、カントやヘーゲルが説くように、人間の認識力には限界がありますから、データの取りこぼしがあることがわかります。
空はなにかというと、このデータの取りこぼし部分を含めた領域と似ているように思います。
認識能力の限界を超えていますから、見ることも聞くことも触ることもできず、このような領域はまさに掴みどころがありません。
しかし、こころで感じることはできますから無ではありません。
掴みどころがないけれども、掴みどころがないものを掴んでいるのはどう表現できるかといえば、やはり空が最も合うように思います。
さて、ここから先、西洋は混乱に陥ります。
西洋の力強さは、空が何かをも明らかにすることに向かいました。
ヘーゲルは人間の能力の前には、いずれ空はすべて認識しつくされると説きました。「色即是空」はなくなり、「色」だけになるということでしょう。
一方で、ゲーテはいつまでたっても人間にはわからないこともあるという考えです。「色即是空」の釈尊と似ていますが、若干弱く、紙一重違うように感じます。
針は目から抜いたけれども、「空とはなにか」というさらなる厄介事が・・・という感じでしょうか。
これはこれでスッキリせず、ひどい近眼ですが、目に針が刺さっているままよりは好きです。
少し話は飛びますが、ゲーテは、「人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は、 自分自身を嫌う心である」と説いています。
この言葉は本当に正しく、自殺をする人々に共通して見られる特徴は自分自身を嫌っているということです。
自分の中の何が、自分を好きになったり、嫌いになったりするのかはとても不思議です。
個人的には、自分を好きになったり嫌いになったりするのが(他に表現する方法がないので)魂で、このために自分を磨くことが大切なのだろうと思っています。
私には魂というものが良心などと結びついて、それが自分の行動を魂の基準で判断して、自分を好きになったり、軽蔑したりするようにしか思えません。
そして、魂の基準で自分を磨いてゆくとと、世間的な損得以上のものを見たいと切望し、目の針が抜けるのではないかと感じています。
また、自殺研究から、魂を粗末にすることがいかに危なっかしく、そして、魂を大切にすることがいかに重要かがわかります。
すべての方々が、自分を好きになれる社会になって欲しいですね。
そして、多くの方々が目から針を抜き、千里を見通すことができるようなクリアな目を取り戻したら、どんなにすばらしいことだろうと思います。
今回、自殺の話が出ましたので、次回はこれをもう少し深く考えてみたいと思います。
ケアンズには自殺からこころを守ってくれる以上のパワーを持っていると考えているためです。
こころで病気をなくす②
2012年08月16日
病気をなくすというのは突拍子もないことと思われるかもしれませんが、今回はいくつかの根拠をお示しいたします。
一つは、米国で行われた調査で、生活習慣の改善でどこまでがんを防ぐことができるのかという研究です。
60%程度のがんを減らすことができるという結果でした。
行動(生活習慣)はこころと結びついていますから、こころの持ち方でがんを減らすことができることがわかります。
さらに、生活習慣や文化、環境を過去にまで遡り、2つの参考になる根拠をお示しいたします。
ひとつは、古代のミイラの研究です。
ミイラに残された病気の痕跡を調べたところ、がんはほとんど見つかりませんでした。
もうひとつは、幼い時期に森に捨てられ、青年になって発見された野生児研究です。
こちらの記録では、言葉はうなり声しか発せず、五感が著しく未発達で、そのかわり、どんなにがんばっても(例えばタバコで鼻を刺激しても)くしゃみもせず、風邪もひかなかったと記録されています。なんとか風邪をひかせてやろうと思い、衣服を着せたところ、暑さ寒さの感覚が生じ、くしゃみをして風邪をひくようになったと記録されています。つまり、人間の感覚や病気は、言語を含めて育ってきた環境ととても強く結びついていることがわかります。
また、煮えたぎる鍋からジャガイモを素手で取り出したり、赤く燃える炭をつかんでもやけどしなかったと記録されています。
確かに、皮膚自体は、火傷するよりも高い温度まで耐えることができそうです。
つまり、こころが火傷を酷くしているということになります。
一度、自動車の電子部品を修理していたときに、誤って半田ごてをつかんでしまい、指が白く変色するほどになってしまったことがあります。
この知識があったため、冷却の応急処置のほかに、痛みから恐怖や不安を切り離し、痛みそのものを感じ、なるべく火傷に意識を向けないようしたところ、数日間、わずかにヒリヒリしたくらいですぐに治ってしまいました。
これらの記録やこのような経験から、病気をなくすというのは、ある特別な人に起こるのではなく、ある種の適切な手続きを経れば、誰にでも起こりうるということがわかります。
もちろん簡単だからといって原始にかえり野生児に戻ることには抵抗を覚えますから、現在の世を、病気が起こらないような環境にデザインしてゆく必要があると思います。
ただし、皆様よくご存知のように、環境を変えるのは大変。さしあたり、自分が変わるほうが楽です。
まず、病気をなくすためにすぐにできることは、悪い習慣をやめ、良い習慣を行う能力を身につけることでしょう。
心医術の3章「こころの性質」で説明していますが、この類の制感はストレスの少ない心地よい環境で訓練することが上達につながります。
制感に何度も繰り返して成功すると、さまざまなことに気がついてきます。
例えば、食べ物の好き嫌い。
私は、1年ほど前まで、食べ物の中で唯一納豆が大嫌いでした。
ある日ふと気がつきました。
何か最も好きなものをつくるために、相対性として、何かひとつ最も嫌いなものをつくっているのではないかと。
ひとつ先入観を捨てて納豆そのものの味を味わってみよう!と思ったところ、いままで意識が向かなかった納豆全体の味を認識できるようになったようです。
大好物になりました。
あらゆる好き嫌いはこんなたいしたことのないもんだと思います。
そして、こんなもんで、いろいろな事象といがみ合うのはくだらないものだと思います。
こころが自在に近づくと、何かと楽です。
悪い習慣をやめられない、いわゆる依存ですが、日本で自分をコントロールできず挫折を繰り返している人も、ケアンズで行えば行いやすいのではないかと考えています。
制感はストレスが少ない心地よい環境で行いやすいからです。
制感ができても次の困難があります。
現在の世は、ステルスマーケティングやら心理効果やらを悪用して、効果がないのに、効果があるように見せかける(それだけならまだしも、危険を隠して害になるものすらもある)ものも多いので、正しい知識を選ぶ能力も必要です。(心医術では、このような損得を離れて、真摯に検討させていただきました。よろしければご参考にしてください)
科学がここまで明らかにして、少しの努力で実践できるのですから、近い将来に病気はこの世から一掃されるような気がしています。
このような世界はワクワクしますね!
ビヨンド心医術:こころだけでどこまで病気を治せるか?
2012年08月14日
薬を飲んだという安心感から病気が良くなるプラセボ効果というものがあります。多くの医師はこのプラセボ効果が大嫌いなようなのですが、心医術では、このプラセボ効果も有難い治療効果で、積極的な医療介入として捉えています。
心医術を出版したときには、このプラセボ効果をどこまで拡大できるかわからなかったので、なるべくプラセボ効果が最大に働くようなこころの持ち方を勧めています。
究極的には、こころの動きだけですべての病気を治すことができるというのが答えですが、凡人には難しいので、これに近づくことができるようコツコツ何かをしてゆく必要があります。
心医術を実践して気づくようになったことは、身体の緊張は、意識できる不安や恐怖だけでなく、意識できない無意識の不安や恐怖とも結びついているということです。
無意識の不安や恐怖を意識に上げ、それを解消してやると、その分身体が柔らかくなります。また、逆のことも起こるようです。ヨガやストレッチなどで、身体をやわらかくすると、不思議なことにそれと関連した不安や恐怖も意識に上がってくるらしいということにも気づきました。
不安や恐怖の大元がどこにあるかというと、どうも、今の日本で普通に教育を受けて育つと、自己保存とか遺伝子の保存になるようですから、このあたりは個人個人に合った方法で解決していただくしかないでしょう。私の場合は心医術に詳しくは書いてあるのですが、あまりの不健康さに、ああもうあと3ヶ月くらいで絶対に死ぬ、とあきらめて自己保存を手放したときに、安心そのものというような何かが入ってきたような感覚があり、どうしようもない不安や恐怖がなくなりました。この視点から考えてみれば、ヒプノセラピーで過去生を体験することが治療効果をもたらすことがわかりますし、さまざまな宗教も救済的に働くのでしょう。
気の流れがわかってくると、長年の凝りにアクセスしたときに、ドロドロした臭い気が上がってくるのがわかります。
自身の体験から、これを呼吸法で排出できるようになって、ある程度身体をクリーンにすると、ノイローゼやらアレルギーやら腰痛やら不整脈やらが消えるように感じています。
そして、こころとからだの結びつきが強くなるように実感しています。
逆にストレスを受けたときに、身体の一部が固くなるのもわかるようになります。(現在の私は首、肩が多い。下からエネルギーが上がってきて、首肩にとどまる。)
先日から、ヨガの先生が産休に入ってしまい(なぜか当ヨガスタジオはお得意様が次々と子供を授かったという報告をいただき子宝に恵まれています。ステージにレインボースネークをモチーフにしたためでしょうか)、私が教えざるをならなくなってしまいました。
そろそろ横着をしないで、自分で教えなさいということかと思い、レッスンをはじめました。
全身の気の通し方などを教えてゆき、かつての私と同じような、アレルギーやら腰痛やらに悩んでいる方のお役にたてればよいなと考えていますので、よろしければご参加ください。
ビヨンド心医術:雑念を止める
2012年08月05日
ケアンズ療法≒心医術ですが、今回から、心医術の執筆時にはまだできなかった技術もこちらで紹介してゆきたいと思います。
心医術を出版したときは感覚的には、自身が人間Ver1.xから2.0にバージョンアップしたときに、Ver2.3位を志向したようなイメージです。
そのため、心医術の本の中では、「さまざまな感覚受容器が感情・情動と結びついているため、雑念を止めることはできません」と結論付けているのですが、雑念を止めることができることがわかってきました。
今回は雑念を止める方法を。
心医術の中でも説明していますが、普段、表出されるべきでない感情は、抑制されています。
この表出すべきでない感情が出てきてしまったときに、社会的に問題を起こすことがあることから、心医術ではそれを抑制し続けようというアプローチです。
まずはこれができないと次のステップに進めません。
というのは、次のステップでは怒り、悲しみ、恥ずかしさ、などなどネガティブでトラウマ的な情動と感情に容赦なく晒され、向き合わされるからです。
心医術は科学の助けを借りて、意志の力でこの制感を積極的に行いますから、心医術を実行している方は安全に進みやすいと思います。
では、その方法です。
目を瞑り、呼吸音や、身体の一部など自分の意識を向けやすいところ(アジナチャクラやスワディスターナチャクラに意識を向けることが多い)に全意識を集中させます。
意識を集中すると、情動を抑えるために働いていた脳のリソースが他に向いたことによって、その部分の脳が抑えていた情動が出てきます。
つまり、意識を集中すればするほど、いままでのトラウマみたいなものが出てきます。(そのため、普段から余計な事物に首を突っ込んでトラウマみたいなものを溜め込むようなことは避けたほうが良いのです)
最初は、精神の集中も難しいですから、精神の集中と雑念の区別すらもわからないのですが、だんだんとその違いがわかるようになってきます。
そうすると、雑念が沸けば、ああ雑念が沸いたなと思って簡単にやり過ごして、精神の集中に戻ることができてきます。
それを何度も何度も繰り返しているうちに、面白いことに、だんだんと雑念が沸かない時間が長くなってきます。トラウマの掃除ができてくるようです。
トラウマを思い出すことは、心的外傷を引き起こします。
にもかかわらずトラウマを消しさるためには、トラウマを意識にあげなければならない。厄介なものです。
そのため、ケアンズのような心地よい環境で行うことも大切です。
雑念がとまると、本当に澄んだ静けさを体験できます。
せっかく人間に生まれてきたのに、この素晴らしいものを体験せずに、知らないままでいることは勿体無いと思います。
もぎたて朝ごはん
2012年07月30日
5月頃にまいた種から野菜ができてきました。
きゅうりとピーマン。
本日の朝食に畑をうろうろしながら生でそのままいただきました。
枝豆もそろそろ収穫。
コーンはいつの間にか動物に倒されて食べられてしまいますが、喜んで食べてくれるなら良しとしましょう。
ミニトマトは数珠なりですが、大玉トマトはもう少し。
ヨガでスワディスターナが開発されてくると植物が寄ってくるそうですが、最近ユリが増えてきました。
そういうこともあるのかなと思います。
香りをいただきます。
朝から至福の時間でした。
医者殺し・・・
2012年07月08日
オーストラリアではアボリジニに伝わる癌に効くという薬草を、製薬メーカーが必死で探しているようですが・・・
3年前にヨガスタジオの庭にアシュガを植えたのですが、小さな数株が2m四方くらいに広がりました。
日陰でも丈夫に育ってくれ、花も楽しませてくれる数少ない植物です。
ここにレンガで小道をつくるため、アシュガをとりあえず畑に引越しをしました。
ふと、何か役に立たないものかとひらめき、シソ科にはいろいろな薬効があるため、アシュガを調べてみると、通称「医者殺し」「地獄の釜のふた」とありました。
庭にそんな縁起でもない恐ろしいものが、と思い読み進めると、万能薬で病気を治すため、医者いらずで医者の仕事がなくなり、経済的に真綿で締められ死に至らしめるというプロセスのようです。
病気なんぞがこの世からなくなってしまうならばウェルカムです。
心医術をはじめるようになって5,6年くらいになると思います。2年くらい続けて間違いなく健康に役立つだろうと確信した時点で本として出版しました。今では、高校時代から悩まされていた頑固な通年性アレルギーや、原因不明のやっかいな腰痛、不整脈などはすっかり消え去り、体の中のエネルギーの流れを感じ取ることができ、それが、鼻炎や腰痛や不整脈を起こすこと、それだけでなく咳やくしゃみといった些細な生理現象の原因になることなどがわかるようになってきました。
心医術の本では、並列で書いてありますが、病気をなくすためのポイントはたった3つ。
バランスの取れた食事を取ること、適切な運動をすること、いかなる状況でも心の平和を保つこと。これを守れば、ほかに必要なことは自動的に達成されるように感じます。
しかし、実行となると今の地球ですと、実に難しいようです。
たとえば、心の平和を保たないと、体の中に意識を集中できませんから、微細なエネルギーの流れをなかなか感じることができないわけです。
心は、道徳や宗教までにも感受性を持ち、過去の罪や、自分の力ではどうにもならない将来の不安や他者の不幸などにも乱されますから、いかなる状況でも心の平和を保つことがこの3つのポイントの中で一番難しいように感じます。心の成長をするにしても、現在の世では、一度しっかり心と向き合い、底なしの虚無感や絶望的な混乱を乗り越えて、ひとつ上の玄のまどろみを感じることができないとなかなか平和が訪れないように感じます。そんな苦労をするならば、薬のほうがよいと考える方も多いでしょう。
そして、感覚的なものを人に伝えることが、いかに難しいことか・・・。心医術を出版すれば、病気も減るだろうと思いきや、ほとんど変わりません。日本の医療も、病院経営やクリニック経営などへの不安がなくなれば、病気を消し去ることに意識が向いてくれると思うのですが。病気を薬でコントロールしたり治したりすることよりも、消し去ることはずっと労力がかかります。
最後にアボリジニに伝わる癌に効くという薬草の効果ですが、おそらく、現代人がそれを発見しても癌を根治するというような劇的な作用は期待できないように感じます。そのハーブと、背景にある大地への敬意、その邪心が無く、純粋な心と身体の結びつきがあるアボリジニだからこそ効果があるのだと思います。
ワインから考える、香気と肥満との関係の仮説
2012年06月23日
一昨日、蔵書の整理をしていて、ワインの教本が気になり、ページを開いたところ、このようなことが書いてありました。
香りに長いフィニッシュを残してくれるものは満足度が高く、そうでないものはガブ飲みする傾向があると。
この理由を想像してみると、ワインの香りがずっと残っていれば、それを楽しんでいる間はグラスを口に運びませんから、飲むペースが落ちます。一方、フィニッシュが短いワインは、すぐに香気が欲しくなって、飲み込んだ瞬間に次の香気と一口を誘い、香気と一緒に余計なアルコールも摂取し、飲みすぎてしまうわけです。
食べ物も同じだろうと。
先日の記事でバラの香気とジャガイモの食感について書いたことを思い出し、ワインだけでなく全ての食べ物は、単に栄養でなく、香気も食べているのだと思います。
簡単な実験をすればわかることで、鼻をつまんで何かを食べてみれば、まったく満足できないことに気がつきます。
ワイン好きなら土壌と風味の関係は良く知るところで、ミントなどの草の香りがしたり、私が全てのワインの中で最も好きな偉大なオーストラリアワインは、次の日まで身体に香りが残り、口に含んだ瞬間に風景の映像までもが浮かびます。
では野菜はどうかというと、先日のジャガイモで、ワインと同じ傾向を感じました。
最近の農法は、交配や組み換えで遺伝子のレベルで性質を変えたりするのが流行だけれども、確かに口に含んだときのアタックは強くてわかりやすいけれど、こころの襞を映すようなフィニッシュがないものが多いように感じます。
むしろ、原種でも、育て方を工夫することによって、持っているポテンシャルを最大限に引き出せすようなアプローチのほうが私は好きです。心医術も個人の持っている能力を最大限まで引き出すというアプローチです。
もう一つ大切なことは、香りを楽しむためには、微細なわずかな風味や香りにもきちんと意識が向くようにしておくという、感受性の開発も必要かと思います。無意識の意識化が大切なのですが、これも心医術である程度カバーしています。
ヨーロッパ由来の農法では、ニンニクやネギなどの硫黄分の多い植物をバラと植えると、バラの香りがよくなり、野菜の風味も増すことが言われています。
ということは、有機質でも牛糞よりも、スギやヒノキや桜や竹といった香りの強い木の落ち葉からの堆肥(成長抑制物質を含むので少し使いづらい)のほうが、香りの良い野菜が出来るのではないかと思いました。(動物糞は寄生虫のリスクが少しあるのも気になる)
良く噛んで、香りを楽しみながらゆっくり食べること。それを無理してではなく、自然とそうなること。
間違いなく肥満になることもなく健康になるでしょう。
パーマカルチャー
2012年06月12日
オーストラリア発祥のライフスタイルにパーマカルチャーがあります。
シュタイナー農法から、スピリチュアルや天体の運行を除けばとても似ていますが、永続的な小宇宙環境をつくるというシュタイナーの理念を達成するためには、シュタイナー農法自体よりも、パーマカルチャーのほうがゴールに近そうです。
では、パーマカルチャーだけでどこまでいけるかといえば、自然の資源を極限まで無駄なく使おうというのがパーマカルチャーのスタイルだとすると、やはり、物質にとらわれていますから、有限で行き詰まります。永遠を切望しながら手に入れることが出来ないというギリシア時代からの罠に嵌るわけです。
さらにいえば、70億の人々が寄り添って生きるために都市が出来ているのだから、郊外暮らしというのは理屈で考えると道をはずしているようにも見えます。ただ、私たちの魂の中には、足りなくなればなるほど切望する何かがあって、それが自然の環境だと思っています。そのため、時にケアンズは治療的な働きをもたらしてくれるのでしょう。
だから、こういう自然の中で生活するライフスタイルは残し発展させてゆかないとならないし、皆が同時に過ごすことが不可能ならば、滞在する時間でシェアすればよいと思います。いくつかの医学研究は、自然の中に身を置いた時の免疫系の好転は1週間から1ヶ月程度続くことを示しています。
パーマカルチャーのすごいところは徹底的に科学であり、無駄をそぎ落としています。そして、スピリチュアルのことなどわずかながらも考えられていないけれども、結果として、スピリチュアル的な微細な領域のエネルギーを補給できるようになっているところがすごいと感じています。
ただ行き過ぎていると感じている部分もあって、バラなどは奇妙で無生産と槍玉に上げられていますが、私は40を超えて、ようやくバラは香気を食するためにあるのだということがわかるようになりました。あの鋭いとげが、畑の害獣を妨げるホメオパティックな働きをするかもしれません。
パーマカルチャーとシュタイナー農法が合流し、双方の足りない部分を補い合ったとき、とてつもないものが出来るように感じています。
そして、もうひとつ。私の本業である、健康の視点から。
アストラルのエネルギーに満ち溢れた食べ物ならば、お腹に脂肪を蓄えるほどまでにたくさん食べなくても、適切な量だけで満足できるのではないかと、自己の経験から信じています。
アストラルのエネルギーが十分に吸収されないから、食べても食べても食べても食べても満たされないのだろうと。
最近の食べ物はアストラルのエネルギーが少ないから、満足できずに食べ過ぎてしまい、肥満につながってしまうのだろうと。
アストラルのエネルギーが満ち溢れている食べ物ならば、肥満からくる生活習慣病を予防できるのではないかと。
これから、アストラルのエネルギーに満ち溢れた野菜を作ってゆきたいと思っています。
最後に余談ですが、最近、ニワトリや牛を飼いたくなって仕方がなく困っています。(ミミズは良質の堆肥を積んでおけば大量に増えるということを発見し解決しました)
ジャガイモ収穫
2012年06月12日
週末は、娘の幼稚園のお友達家族をお招きしてジャガイモを収穫しました。
牛糞堆肥を投入して間もなくの植え付けだったので、肥料の効きが甘い(12週で窒素の無機化率がやっと30%程度)。
化成肥料とのハイブリッドを予定していたのですが、妻がどうしても化成肥料は使ってほしくないというので追肥なし。
本年は原発事故の影響で落ち葉をマルチ材として使いにくいので、土壌露出で乾燥気味というシビアコンディション。
シビアコンディションでどれだけ育ってくれるか、どういう野菜ができるのかというのもいい経験かと思いました。
こんな中でも、トマト、きゅうり、枝豆、コーンなどなど、昆虫による食害などを乗り越えて種から小ぶりながら育っています。
ジャガイモの地上部も小ぶりで、イモが出来てなかったらごめんなさいねと冗談を交わしながら芋掘り開始。
エイッと引き抜くとイモなしの茎のみ。
一瞬場の空気が固まりましたが、少し掘ってみると、小ぶりながらちゃんと出来ていました。
その後は楽しく収穫。収穫量は少なめ。諸論文から推測すると、おそらく量としては施肥された場合の1/3程度でしょう。
では、質はどうか?早速、カレーライスでいただくと・・・
最高でした!
食感はしっかりしていて、栗を噛んだときのように少し大きなって広がるような食感です。苦味やエグミがほとんどなく、喉に引っ掛かりがありません。さらに、どこも均質で滑らか。風味も濃厚で味が濃く、香りは長いフィニッシュを残してくれます。
有機肥料はじっくり効くので、化成肥料を使った場合に比べて成長にムラが出来にくいのかもしれません。
できるだけ、シュタイナー農法に近づけて育てたのですが、シュタイナーの言う、アストラルのエネルギーというのが、良くわかりました。
皆で収穫というのも楽しくて最高です。
牛糞堆肥のおかげで土壌の改良も進んでいるようで、ミミズも増えています。
次回は品質を保ちながら量を増やすことが出来るか、連作障害をどこまで乗り切ることが出来るか、チャレンジしてゆきたいと思います.
伝統医療とお米
2012年05月23日
現在の病院での栄養指導は、米を単なる糖質の補給源としてとしか捕らえていないけれど、
とてもバランスの取れたアミノ酸の補給源でもある。
伝統医療はお米をどのように捉えているかといえば、今でいうスピリチュアルの分野まで拡大されていて、穀気という気の補給源であり、日本語の精とはお米の栄養分のこと。
どうもこちらのほうが正しいように思えてならない。
最近糖質フリー食なんて言う人もいるけれども、お米を食べないと、糖質と一緒に穀気も入ってこなくなるから、私はあまりいいものではないと思う。
畑をはじめるとき、ジャガイモを保存用にと考えていたけれども、ジャガイモはごく微量の毒性物質も含まれているので、やはり理想はお米。
どうにか水田ができないものかなぁ・・・、まぁ、本当に必要になればなんとかなるんだろう・・・などと考えていたら・・・
小川ができました。
簡単な水路と畦をつくって注水します。
目に見えないメカニズムに感謝です。
いますぐやる!!!
2012年05月20日
哲学で考えると、物事を達成するために最も良い方法は、構造主義的な思考方法だと思う。
つまり、高い目標をはじめに設定して、現在の立場との距離を確認して、そこに至るプロセスをできる限り細分化して、つまり小さな目標をたくさん設定して、その目標を一つ一つクリアしていく方法です。
観念の領域だけで幸せを生み出せるようになると、物質化が面倒になってくるのですが、それはそれでいかんと思い、最近重い腰を上げました。
物質世界は時間が勝負。大切なのは「いますぐやる!!!」こと。
腰が重いのは命取りです。
逆に、あまり時間に追われるのも、健康を害するという意味で命取り。(脳と心臓が標的になりやすいです)
時間に追われず、時間を最も有効に使うこと。こういう限界領域は玄の世界です。
さしあたって、手薄になっていた不動産事業のホームページを作ってみました。
ホームページの内容はまだまだですが、他の人に見ていただけるようになったというのは大きな一歩。
しばらくのスローガンは「いますぐやる!!!」で行きます。
こころの持ち方のトレーニング
2012年05月04日
喜びや興奮はポジティブな感情で、いろいろなものから生まれますが、ひとつは珍しいものを見たときです。
つい先日、ランブル鞭毛虫という日本では学会の症例発表レベルの珍しい寄生虫が発見され、友人医師たちと「先生、良く見つけましたねぇ~」などという賞賛の言葉を交えながら、顕微鏡を見て大はしゃぎしていました。(医者に寄生虫マニアは多い)
珍しさが何から生まれるかというと、平凡なものからの状況の変化です。
変化は良い状況も悪い状況も生み出しますが、良い状況なら結構、悪い状況も自己の成長の原動力ととらえればますます結構です。
しかしながら、いったん、このような損得を切り離して、変化にフォーカスを当ててみましょう。
子供のちょっとした成長とか、妻の表情とか、ハンドルを切ったときのタイヤのグリップとか(私事ですが数日前に履き替えたピレリの乗り味が最高だった)、一口目には気がつかなかったワインに潜んでいた風味を発見したとか、風でそよぐ木々とか、雲の流れとか、小鳥のさえずりとか、少し前までのつぼみが振り返ると咲いていたなんてこともあります。
ささやかな小さな変化に意識が向くようになり、そこから大きな喜びと興奮を生み出すことができるようになります。
この世の中、自分のクオリアを除いては、何一つ変わらないものはありません。(変わらないように見えるものも、素粒子のレベルでは絶えず振動しています)
日本はGWですが、現在私は、昨今の医師不足のため当直の旅に出ておりまして、ひっそりとした当直室から、窓の外の、竹や杉のそよぎ、雲の流れを見ながら書いています。
変化は外にだけあるのではなくて、内にもあります。少しトレーニングが必要ですが、身体の中の気の流れを感じることもできるようになります。
こんな感じでケアンズにこころを開いてみてください。それを感じる自分の内面にも!
世界は喜びと興奮に満ち溢れていますよ。
不動産事業てこ入れ開始
2012年05月03日
最近、ヨガのほうにばかり気が向いていて、不動産事業がおろそかになっていました。
クオリティは何も変わらないのに、気が抜けると、一気に萎みます。
不思議です。
神は細部に宿るといいますが、どこか手入れが行き届かなくなるのでしょうね。
衣食住は、健康にとってとても大切。
こころとからだの関係の大切さを知っている身としては、光の到達具合、反射、色彩心理などなどを考慮して建材を選択し、リラックスできる部屋を目指しています。
(イタリア好きなので、こんな感じのデザインが多いです)
そして、最後に購入した物件はリフォーム済みだったのだけれども、気合が足りないようだったのでリフォームしてしまいました。賃貸業界も、入居者がわくわくするような部屋が増えてくれれば嬉しいのですが。
賃料は相場と同じくらいなのですが(不況なのでコストアップ分をなかなか転化できない)、少子化の中、多量の空室に埋もれて見つけてもらえず困っております。
いまのところ出身大学のある相模原に空室がまとまっていますので(横浜にも)、近辺でお探しの方はどうかご検討くださいませ。
お問い合わせはこちらまで。
前世療法を体験してきました④
2012年04月29日
死んだらどうなる?の重要性に気づく人は実はとても多いのではないかと思う。
ゴーギャンの我々はどこから来たのか,我々は何者か,我々はどこへ行くのか (D’ou venons-nous? Que Sommes-nous? Ou allons-nous?)は最高の名画とされているし、パスカルは死んだらどうなる?を最も重大な問題と答えた。日本では平田篤胤(医者で統合医療を行い、息子と誕生日が一緒で沼津にゆかりがあったりするあたりが気になる)が、学問をするのに自分の死後の魂の行方を知るのが最も大切だと述べている。これらの芸術や思想が賛美されるということは、人のこころの奥底を刺激するからだと思う。
また、宗教心は彼岸の世界を思慕するこころから生まれる。仏教の中には後生を解決しようという思想もうかがえる。西洋由来の一神教は、さらに後生に強くフォーカスを当てる。神道やヨガをはじめとする密教はここに至る多くの行法を提供する。
どれかひとつが正しいのか、それとも、たくさんのものの中にすこしづつ正しいものが含まれているのか、それとも全てが誤っているのか、凡人にはわかりません。
人として生きることを決心したとき、仕方がないので、どれかの道を選び歩んでみる。また、全てを統合して新しい道を作ろうとする人もいる。無から新しい道を作ろうとする人もいる。
死んだらどうなるか?ひとつだけ確かなものが得られれば、自然に道は開ける。
前世療法を体験して感じたのは、私は、全身ではまだ、完全には掴んでいないということだ。前世療法を受けている間、働いていたのは、頭(アジナチャクラ)と、時折胸(アナハタチャクラ)のみ。腹(スワディスターナチャクラ)では考えていなかった。おそらく、私の修行が足りないのかもしれない。
次の前世は時系列が少しおかしい(その考察は後ほど書きます)ので、内容をそのまま記します。ただ、脳波が変われば時間の感覚も変わるのですが、とても早く時間が過ぎ去ったように感じたので、催眠にはうまく入ることができていたのだと思います。
それでは、次の前世へ。
「何が見えますか?」
「雪国ですね。場所は新潟です」(わらぶき屋根の家が見えた)
「では、家の中に入ってください。誰かいますか?」
「妻と二人の娘と息子です」
「魂は誰ですか」
「今の妻と、今の娘と息子です」
「では、娘さんのハートの中に入ってください。娘さんからあなたはどういう風に見えていますか」
「優しくていい父親だと思っています」
「では、息子さんはどうですか?」
「小さくて、まだわからないようです」
「では、次の場面に進んでください」
「はい、昇進して艦長に任命されたようです」
「戦時中なのですね」
「そうです」
「どのように感じていますか」
「昇進したことがとても嬉しいです。ただ、家族と離れ離れになるのが心配です」
「では、奥さんのハートの中に入ってください。どのように思ってますか?」
「やはり喜んでくれていますが、不安に感じています」
「では、次の場面に進んでください」
ここから、突然涙が自然に流れて止まらなくなる。
「黒塗りのクラシックカーが迎えに来ました」
「召集されたのですね」
「はい。家族と別れるところです」
「この人生で、今日が家族と最後なのですね」
「はい」
「では。次の場面に進んでください」
「戦闘艦の艦橋にいます」
「どのように思っていますか」
「もう、戦争に負けることがわかっているのに、どうしてこんなことをしているのだろうという気分です」
「そこには誰がいますか」
「4人います」
「知っている人はいますか」
「駒井先生、私がとても尊敬する恩師です」
「では、次の場面に進んでください」
「艦が沈むところです。艦首が右に傾いて沈んでいます。場所はフィリピンの辺りです」
「どのような表情に見えますか」
「とても穏やかです。駒井先生も穏やかそうです。あとの二人は怖そうにしています」
「どういう気持ちですか」
「覚悟しているので死ぬのは怖くありません。ただ、とても悔しいです」
「なぜですか?」
「こうなるとわかっていたのに、派遣させられ、無駄に命を落とさなければならないからです。そして、これから国がどうなるのか、家族がどうなるのか心配でなりません」
(ここまで涙は流れっぱなし)
「では、身体を抜け出してください。どこにいますか?」
「身体の少し上にいます」
「誰か迎えに来ましたか?」
「光がひとつ迎えに来ました。祖父です」
「進んでください。どこに着きましたか」
「さっきと同じ、大きな白い光の球です」
「そこは最後の場所ですか」
「いいえ、違います」
「それでは進んでください」
「やはり、先ほどと同じ場所のようです」
ここで、シータヒーリングという脳のθ波にアクセスするヒーリングを施してくれた。
「水と関係する恐怖を消してもいいですね?」
「はい」(私は、どういうわけか、小学校の授業でも絶対にプールに入らないほど水に入るのが嫌いだった。)
「今回の人生では、家族とずっと一緒にいることを許してもいいですね?」
「はい」
「人のためといって犠牲にならず、できないということはできないといい、人と自分のためになることを行っていくことを許してもいいですね?」
「はい」
「正反対の人生を二つ経験しましたがどちらを選択しますか?」
「最初の人生です」
「では、今回の人生はそのようになります。それでいいですね?」
「はい」
ここで、ゆっくりと意識を戻してゆきます。気分はスッキリ。
数年前から、こころの声にしたがって生きてきたのですが、今回はそれを再確認しました。
その後、ケイトさんといろいろ話しました。
ケイトさんもケアンズが大好きで、良くケアンズには行くこと。そして、今年中にケアンズに行って、ワークショップを開くようです。
ケイトさんのところには、いろいろ悩みをもたれている方が多くこられ、そして、癒されてゆくそうです。薬物療法は手間がかからないのですが、やはり、それだけでは全てを解決できないようです。
実際のところ、それに気づかれた精神科の先生方も、ヒプノセラピーの講習にはよく参加されているようです。
しかし、いかんせん時間のかかる施術なので、多くの方々を癒すことができないことを悩まれていました。
科学では、史実と照らし合わせて、正しいか正しくないかの判断をしたがるけれども、玄が理解できるようになると、そもそも前世がとらえどころのない概念なので、意味がないことがわかります。全ての人の前世が、必ず史実と詳細に一致するわけではないようです。本山氏はアストラル的なものは、微妙に実際とずれることを指摘しているので、一致しないといって否定する根拠にはならないと思います。一方で、史実と一致するという報告もあります。疑いのこころを持てば、どこまでも偶然で片付けられるのですが、ひとつ区別できる方法があります。Dr.Weissの「前世療法」には、予知能力も開発されてくることが記録されています(馬券を全て的中させた)。自分の知らない過去にアクセスできれば、当然自分の知らない未来にもアクセスできるはずです。こういう能力を持つ方が前世療法を受けると、史実と一致するのでしょう。
また、今の人生が、自分が選択したものであると受け入れることができれば、前向きに捉えてゆくことができやすいと思います。「全ては必然」という考えは、自分の人生の出来事を、全て自分の責任として引き受けるため、こころの強さが必要です。前世療法を受けると、こころが強くなるのかもしれません。ただ、潜在意識の領域でストレスもかかるでしょうね。数日後、以前酷いストレスがあったときのような、わずかな帯状疱疹ができました。
さて、このヒプノセラピー。
僭越ながら、なんとなく、私もできるような気がしました。
妻に、前世療法のことを話すと、受けたい!!とスイートスポット。
で、翌日やってみましたらできました。
後日、動物を飼うことの話になり、私が、「どうせ飼うなら乳牛かなぁ。牛糞肥料になるし、シュタイナー農法で角使うし、ケアンズのみたいなチーズ作れるよ」というと、「あなた私の前世でも牛の世話してたわよ」と笑ってました。
何度もこの家族と一緒にいたのかと思うと、こころが和みます。
ケイトさんとのご縁に感謝です。
前世療法を体験してきました③
2012年04月28日
縁というもの不思議だと思う。
ケイトさんのサロンに来るまでに、私の気が変わり、ヨガの準備をしようという選択をする可能性もあった。ケイトさんが断る可能性もあった。
科学の分野では多次元理論といって、選択の数だけ世界が同時進行するという考え方もある。
どこかで、違う選択をした自分が生活している。前世と似ていて、通じるものがある。
まずは、ケイトさんといろいろ話をしてリラックスしながら、前世療法を受けるときの心構えのレクチャーを受ける。
大前提として、前世があることを信じていること。私の場合は、確実なものしか受け入れないから、信じるというよりも、蓋然性として捕らえているのですが、とりあえず、疑いの心を止めました(エポケーという技術で、哲学をしているとできるようになる)。
ジャッジせずに素直に出たままを感じること。顕在意識は残っていますと。
腑に落ちるということが大切。私なりに解釈すると、内的に辻褄が合って、ああ、これが自分の前世なのだと受け入れることができるということだと思う。
リクライニングソファーに横になり、導入の催眠を受ける。
リラックスして目を閉じ、全身がリラックスして、周りの音があまり気にならず、ケイトさんの声に集中できるようになる。
次に、感度の準備。
ケイトさんの指示に従いながら、レモンティーを作る様子をありありと心に思い浮かべる。沈む夕日を見て、心に思い描くという日想観という行法を行っていると(いつも病院の裏の海岸でやっていたら、たまたまそういう行法が仏教の経典に載っているのを知った)、このあたりは簡単にできる。
準備が終わると、次にはすぐ、前世へ!
ケイトさんより「今、お花畑にいます。どうですか?」と聞かれ、花畑を思い浮かべる。(ここからケイトさんの声はオレンジ)
空が高く、左正面にそれほど高くない山があり、30cmくらいの高さの黄色いキク科植物が一面に群生している光景か浮かぶ。
「はい、見えます」(私の答えは青)
「どのような花ですか」
「黄色いキク科です」
「それでは、目の前に10段の階段があります。それを降りていってください」
「はい」
「10・・9・・8・・・・・・・・・・6・・・5・・前世に近づいてきましたよ、4・・3・・2・・1・・・・はい前世につきました」
「え、前世ですか???」と私の顕在意識(緑)。
「地面はどのような感じですか」
「土ですね」「自信ないんですが・・・」
「では、自分の足をつかんでみてください。どうですか?」
「白いですね、あれ自分の足かなぁ・・・」「あぁ、駄目か???」
「では、上にいって、どのようなズボンをはいていますか?」
「ショートパンツです」
「では、上にいって、シャツはどうですか?」
「赤いシャツです」「ショートパンツに赤いタータンチェックのフランネルシャツって変」
「では、顔にいきます。目はどうですか?」
「(あれ、自分の目ではなくて)大きいです」
「肌の色はどうですか?」
「褐色です」「感度が良くなってきたかも」
「鼻はわかりますか?」
「わかります」
「唇はどうですか?」
「厚いです」「インディアン?」
ここで、インディアンの顔を持つ、赤のフランネルシャツを着た、ショートパンツをはいた白い足を持つ男になってしまったが、顔以外はノイズかなぁと思う。
「周りには何が見えますか」
「木が見えます。(針葉樹林)」
「場所はどこですか?」
「カナダです」「カナダにインディアンっていたの?」←無知
「では、家の中に入りましょう。ドアは引くタイプですか?押すタイプですか?」
「押すタイプです」(即答)
「家はどんな感じですか」
平屋のログハウスが浮かぶ。テーブルしかなく、キッチンどこ???と思う。
「ログハウスです」
「誰がいますか?」
「妻と、娘が二人います」
「それは、誰の魂ですか?」「あ、ブログに書いてあった流れだ」
「妻は妻、上の娘は今の娘、下の娘は今の息子です」「今と一緒?ホンとかなぁ???」
どうやら、4人家族で、畑を耕しながら生活していることがわかった。
「では、先にすすんでください。何が見えますか」
「小高い丘の上で、川を眺めながらボーっとしています。気持ちいいなぁと思っています」
あまり、大きな出来事はないと思われたのか、
「では、最後の場面に行きましょう。何が見えますか」
「私は横たわって、います。4人の人が覗き込んでいます」
「誰だかわかりますか?」
「妻と、娘二人、あと一人はわかりません」
「どういう気持ちですか?」
「もう死ぬことがわかっています。いい一生を送ったなぁというゆったりした気持ちです」
「では、身体から抜け出してください。どこにいますか」
「自分の少し上にいます」「どうして!!!??」
「誰かが迎えに来ましたか」
「二つの丸い光が迎えに来ました」
「どこに着きましたか」
「上に昇っていって、白い大きな球の中に入るところです」
「では、入ってください。何が見えますか?」
「光の玉がたくさんいます」
「そこは、最後の場所ですか?」
「いいえ違います」
「では、移動してください」
「はい、二つ綺麗な太陽がある、青とオレンジが混じった空のとても綺麗なところに着きました」「ここ、以前夢で見たことがあるのですが・・・」
「どういう気分ですか?」
「とても落ち着いて幸せです」
「ずっとそこにいたいですか?」
「はい」
「では他の前世に行ってみますか」
「はい」
④に続く
前世療法を体験してきました②
2012年04月25日
死んだらどうなるのか?人類の大命題です。
出発前に、そのうち読もうと思い積んでおいた本が妙に気になり、バックの中へ。
タイトルは「ベーシック・シュタイナー 人智学エッセンス」。
時間があるので、在来線で2時間30分コース。ジェットスターでもらったイヤーウィスパーを装着し、電車の中で読書。
ページを開くと、偶然にも死んだらどうなるということが書いてあります。
こういう必要なときに必要なものが現れる偶然は数年前からしょっちゅうなのでスルー。
まとめると、①死ぬ瞬間に過ぎ去った人生全体が心の前に再現される。②起きていた間の時間だけそれは続く。③そこで、相手が体験したことを、相手の身になり自分が体験する。つまり、人を苦しめたならば、今度はその苦痛を自分の中で体験する。④それを埋め合わせる意思衝動を心が受け取り、来世でその意思を実現する。となっている。
私は死んだことがないので本当にそうなるのかはわかりません。
しかし、これは、生きている間にできると思う。
自分を客観的に見ることができるようになって、自分がしてしまった悪事と向かいあい、相手の苦痛を感じて、そして、自分の行いを恥じて、それを悔いてもう二度とやるまいと決心すること。そして、他人から受けた酷い仕打ちを許すことができるようになると、どんどん自分の過去が鮮明に思い出されてくる。
過去と現在の違いは、記憶の曖昧さという要素を持つから、過去を鮮明に思い出すことができれば、過去の要素が薄れ、今が増えていくのだと思う。
記憶が、無意識の働きで、思い出したくない!という精神的抑圧から開放されるという、多分フロイトが言うのと似たような(フロイトは性的な衝動しか考えてないけど)機序だと思う。
心的な防衛機能だから防衛の必要性が無くなれば、自然に出てくるのだと思う。
読書でこのような思索で移動をすごしていると、あっという間に恵比寿に到着。
スピリチュアル的な場所は、よくヌミノーゼ的な聖なる感覚とか、祟のような感覚とかが入り混じっているけれども、サロンを訪れたときの第一印象は、そういうスピリチュアル的な感覚はなく、そういう観点からは普通。
私は、最近、逆にこれがとても大切なことで、セラピストさんの変な念が入っていない証拠だと思う。
スピリチュアル的な感覚はなくて、地に足は着いているのだけれども、妙に場にケアンズのようなすがすがしさを感じました。
(この理由はあとで明らかになります)
到着するとケイトさんより「本当は男性はお断りしているんですよ。でも、たまにHPを良く見ずに申し込む方もいるので、そういう方は受けているんです」と。
申し訳ございません。私のことです。
前世療法を体験してきました③に続きます
参考文献)R.シュタイナー 西川隆範(編訳) 渋沢比呂呼(撰述)(2007) ベーシック・シュタイナー 人智学エッセンス イザラ書房 埼玉
前世療法を体験してきました①
2012年04月24日
まずは、いきさつから。
先日、ケアンズから帰国してから、「やっぱりケアンズはいいよなぁ、もしかしたら、私と同じくすでにケアンズの良さに気づいて、療法として取り入れている方もいらっしゃるかもしれない」と思いつき、yahooで「ケアンズ」「療法」のキーワードで検索。
すると、トップページに「前世療法体験記」の文字が。
http://ameblo.jp/smartpekori/entry-11185752646.html
内容を読むと、間違いなく、前世に催眠誘導されていることを確信しました。
そこで、セラピストのケイト ミキさんのHPへ移動。
癒し手のお仕事をされているサロンでした。
こういうサロンは、悪い気が溜まっているところも多くて(多分悩んでいる方々が多く訪れるからだと思う)、興味を持ってうっかり行くと、逆に、首や肩がとても凝ったり、お腹の動きが悪くなって張ったりすることを経験したり、そうなる人を見聞きしているのでわりと警戒しているのですが、写真を見てこちらは大丈夫そうだと判断。
次に、予約可能日を確認すると、偶然、研究日として休みが取れる日に予約できそうでしたので、即、予約のコンタクトを取りました。
ここで、ひとつ問題が・・・。メール送信後、よくよくHPを確認すると、「女性限定」の文字が・・・・
勢いで申し込みをしてしまったものの、この日はヨガ・レッスンの準備など、他にやらなければならない仕事がたくさんあることを思い出しました。
女性限定に申し込んでしまったのも、少し恥ずかしくなり、キャンセルの連絡を入れようかと思うものの、興味がそれにブレーキをかけ、次の結論に。
予約ができたら行って、できなければヨガの準備をしようと他力本願。結論を天にゆだねることに。
翌日、ケイトさんから予約可能のメールが届きました。
おぉ!とうれしくなったものの、ヨガの準備をどうしようか・・・と悩んでいると、また良いタイミングで、予約時間を早くしても大丈夫かとの提案のメールが届きました。
これなら、夜の当直の仕事前にヨガの準備ができます。
こういういい流れに乗ると気持ちいいですね。
そして、こういうときは、体験できるまで無事でいられますように、と願う。三島由紀夫の金閣寺にも、主人公が大仕事の前に(放火ですが)、死なないようにと思う場面があるから、期待がこころの奥に届くと、そういう気持ちが湧いてくるのだと思う。
わくわくしながら、当日恵比寿に向かいました。
前世療法を体験してきました②につづく
プロフィール
- ymitsui
- 三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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