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海雲を見ていると

2010年02月19日

飛行機からぼんやりと海雲を眺めていると、完全に同じ雲は存在することがあるのだろうか、という疑問が湧きました。

  

天文学的確率で、同じ形の雲は存在することはあるかもしれません。

しかし、場所の属性や、できた過程などの時間の属性まで考慮に入れると、決して同じ雲は存在しないことが理解できます。

  

人間も同じでしょう。

過去にも現在にも未来にも、完全に自分と同じ人間は、絶対に存在しえないことがわかります。

  

V.E.フランクルは、「それでも人生にイエスと言う」の中で、この唯一性のために、一人一人が何らかの方法で代替不可能でかけがえのない存在になれると説明しています。

  

問題なのは、代替不可能となるためには、何かの役に立たなければならないということです。

  

分化して役割を持った細胞は、周りの細胞と協調して臓器になります。

臓器という、より高い専門性を持った個性は、他の個性を持った周りの臓器と協調して人間になります。

より大きな共同体の役に立つとき、細胞や臓器は生き生きしているように感じます。

  

では、人間は、どのようにすれば生き生きすることができるのでしょうか?

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がんの予防

2010年02月12日

今号のリビングインケアンズはBeauty特集とのことですので、女性の病気の予防について触れたいと思います。

 

病気には、多くの原因がありますが、そのうちの一つが、細菌や真菌、ウイルスといった病原性微生物によって引き起こされる感染性疾患です。

医学史は、病原性微生物との戦いの歴史でもあるわけですが、ワクチンによって完全に根絶された病原体に、ジェンナーによって達成された、天然痘ウイルスがあります。

 

さて、最近、とてもインパクトのあるワクチンが開発されました。

 

一部のがんは、感染によって引き起こされることがわかっており、子宮頸がんはパピローマウイルスと関係が深いことが知られています。

 

数年前、パピローマウイルスに対するワクチンが開発され、最近、日本でも使用できるようになりました。(世界ではオーストラリアで一番に認可されたそうです)

このワクチンによって、ウイルスによって引き起こされる子宮頸がんの発生を、ほぼ完全に予防できると言われています。

 

製造元に詳しい情報がありますので、興味のある方はご覧ください。

http://allwomen.jp/

 

なお、米国で行われた調査では、がん死亡の原因の68%が、生活習慣と関係していたという報告もあります。1)

 

がんはいろいろな方法を組み合わせれば、今よりも減らすことのできる病気だと考えています。

 

参考文献)

1) (1996). Harvard Report on Cancer Prevention. Volume1: Causes of human cancer. Cancer Causes Control,1-59.

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冬雨の翌朝

2010年01月29日

冬雨の翌朝は、朝靄が立ち込め、光と影が相交ざります。

雨上がりは、普通の景色がドラマティックに成り代わるように感じます。

今回のケアンズ旅行は、どうやら雨が多そうです。

雨天から晴天への移り変わりを、楽しめるかもしれません。

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考えるヨガ

2010年01月23日

今号のリビング・イン・ケアンズに「考えるヨガ」を掲載していただきました。

少し、説明を加えさせていただけたらと思います。

ヨガのひとつの目標は、アートマンである自己が、ブラフマンという宇宙の真理でもあることに気づくことです。その目標に到達する過程で、生命に関する認識を得ることで、不安や過緊張などのストレスに関連した疾病を、根こそぎ改善することができるとされています。1)

ヨガには色々な方法があります。

人には様々なタイプがあり、それぞれのタイプに合った方法があるのでしょう。

ヨガの方法のひとつに「考えるヨガ」があります。

常識までも、徹底的に、考えて、考えて、考えて、考え抜くこと。これは哲学です。

哲学のひとつの到達点もやはり、バートランド・ラッセルの言葉を借りれば「哲学が観想する宇宙の偉大さを通じて、心もまた偉大になり、心にとって最もよいものである宇宙と一つになれる」ということです。2)

さて、現在、私はこの道半ばにいるのですが、脳の機能からいえば、色々な事柄を、無意識の領域から、意識の領域に移すことが哲学だと考えています。

もう少しわかりやすくすると、例えば、本能的に当然と感じられる、「生きることの大切さ」などを、言葉で理解できるようになることが、哲学のひとつの到達点になります。そして、理解に基づく信念は、より強い、行動の原動力となるでしょう。

医師として診療をしていると、「どうして、生きることは大切なのだろう?」「誰かのために身を捨てることができることや、尊厳死のように、生きることよりも大切なこともあるのではないか?」という問いが生じることがあります。

これについて、哲学では二つの正反対の考え方があります。

一つは、「生きることの意義などは本来なく、理解することはできない」という考え方です。

もう一つは、「生きること自体」が意義だとする考え方です。

前者は個の範囲を、他者との関係性からはじまり、宇宙の真理といった無限のシステムにまで広げて考えるのに対して、後者は自己という、ごく限定された範囲で考えるわけです。

私は、これら、両方を合わせたものが真理だと信じています。

これは、個と全体の境界をつくらない、アボリジニの哲学や、ヨガの最終目標との一致を感じます。一方で、科学や哲学はどちらかに偏る傾向があるように感じます。

無限のシステムを考えるときでも、砂粒のように小さな個は見えなくなってしまっても、無限を構成する個の大切さを忘れてはならないはずです。

逆に個のことだけ考えた場合は、まったく完全性が不足し、真理とは程遠いわけです。

状況が変化し続けていることは、「世界」の法則です。

変化するものの中では、ある状況のときには、自己を大切にすることが必要になり、ある状況のときには、自己を、より崇高なものに捧げたいという欲求に駆られることもあるのでしょう。

したがって、状況の変化に応じて、バランスや調和を取り続ける必要があるように感じます。(科学では、より多くの遺伝子を残すことを絶対的な価値観として、ケースバイケースで行動が実行されるという、遺伝子継承の損得に注目した、わかりやすく便利な「包括適応度」という概念に収束しています。遺伝子=真理とするわけです。)

考えることで、ストレスによる病気が根こそぎ解決できるのであれば、医師という仕事柄、このような「世界」の法則を、治療的な方法やウェルネスのために役立てたいと日々考えています。

ひとつの方法として、ケアンズ滞在を「考えるヨガ」に役立てるというアイデアを持っています。

次のケアンズ滞在のために、「生きること自体」の大切さを、より「こころ」から感じることができるようになるために、一人の著者の二冊の本を用意しました。

V.E. フランクルの『それでも人生にイエスと言う』と『夜と霧』です。

フランクルの信念は、死よりもつらい状況にあっても、生きることは義務であるとするまでに、徹底的に「生きること自体」を肯定する考えだからです。

毎日、生きる実感を噛み締めながら生きていたほうが、「こころ」は豊かになるような気がします。

ひとつ大きな問題は、強制収容所という、あまりにも苛酷な環境と、死を見つめなければならないということです。

記憶には大きく分けて二つあります。

一つは実際に体験した記憶と、もう一つは、本を読んだりすることによって得られた、伝聞による記憶です。

フランクルと同じほどに、それを体得したいと考えたときには、共感や思い入れ、思いやりなどによって、フランクルの体験を、できるだけ正確に自分が体験したように変換する必要があります。

これは、ある種の危険を伴います。

しかし、幸いなことに、読書は、「こころ」に危険な状態になれば、自分と切り離して考えたり、そこで止めることもできるわけです。

そして、受け止めることができるまで成長したときに、また試してみればよいのです。

あくまで、個人的な経験ですが、ケアンズでこれを行うと、あまり「こころ」にダメージを負うことなく、より実体験に近づけるように感じています。

哲学を、治療やウェルネスの実現に役立てるというアイデアを、患者さんにも利用できるようになるには、まだまだ長い時間がかかりそうです。

しかし、より、「こころ」にダメージを負うことなく、「考えるヨガ」が最適な患者さんに、これらを理解してもらえるようになるような方法をいつか、開発したいと考えています。

そして、ケアンズは「考えるヨガ」を行うのに、理想的な場所になるのかもしれないと感じています。

参考文献)

1)上馬場和夫 (2007) ヨーガ(アーユルヴェーダの行動医学的治療法 その2) アーユルヴェーダとヨガ 金芳堂 pp.125-149

2)バートランド・ラッセル (2005) 高村夏輝(訳) 15 哲学の価値 哲学入門 ちくま学芸文庫 pp.186-195

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緑地は病気を減らす?

2010年01月13日

先日、オランダの研究機関から、緑地と疾患の関係を調べた論文が発表されました。

 

 

オランダ住民35万人の疾患データを基に、心血管疾患、筋骨格系疾患、精神疾患、呼吸器疾患、神経疾患、消化器疾患などを対象に調査されました。

その結果、多くの疾患で、自宅の近くの緑地の面積が広くなるほど、病気を持つ割合が少なかったという結果でした。特に、うつ病や不安障害などの精神疾患との関係が、最も強い(緑地が広いほど良い)という結果でした。1)

  

オランダの研究結果を、そのままケアンズに当てはめることは適切ではありません。

しかし、ケアンズを訪れると、明るく、ポジティブな方が多いように感じます。

緑に囲まれたケアンズに住まわれている皆様にとって、このような調査結果は信じることができるでしょうか?

  

緑地と疾患という、かけ離れた関係では、その間にある、複雑なメカニズムを明らかにすることは非常に難しいものです。

しかし、ここでも、「こころ」⇔「からだ」のメカニズムが働いているように感じます。

つまり、緑地が「こころ」に作用し、その結果として、「からだ」に良い影響を与えたというメカニズムです。

  

そして、すでに先行する多くの研究で、自然環境と精神発達との間に関係があることが示唆されています。子供を持つ身としては、小児への影響が興味のあるところですが、今回の調査でも、小児で強い関連があることが示されました。

  

子供を自然の中で遊ばせると、

  

例えば、

  

立ち止まって、しばらく何かを考えたり

見たことのない植物に恐る恐る触ったり

 

土をいじったり、枝で地面に落書きしたり

 

草を手に取ったり、小さな虫をじっとみつめたり

 

自宅で遊んでいるときよりも、自然の中で遊んでいるときのほうが、機嫌が悪くなることが少なく、長い時間、ひとつのことに夢中になっているように感じます。

  

このような調査結果を思い出しながら、自分の娘のこのような傾向を見ていると、子供にとって、自然の中で遊ぶことが不可欠であるように思えてなりません。

  

また、この調査では、大人にとっても緑地が大切であるということが示唆されています。

  

さて、もし、緑地が「こころ」に働きかけているのであるとしたら、日本の冬の森林は、枯れ木や落ち葉、低い太陽による長い影などによって、「こころ」を少し不安定にする要素を含むように感じます。

  

日本が冬の間、ケアンズは雨季です。

スコールにより、水気を得た常緑や、スコールの合間にあらわれる、原色の緑を引き立てる高い太陽は、「こころ」に安定や活力を与えてくれるように感じます。(昨年のように、洪水で陸の孤島になるかもしれないという、別の不安はあるかもしれません)

  

そして、スコールの豊富な雨が、心身に大切な森林を支えていることを頭に浮かべると、雨のケアンズにもわくわくするようになるかもしれません。

参考文献)

1)Maas, J., Verheij, R.A., de Vries, S., Spreeuwenberg, P., Schellevis, F.G., & Groenewegen, P.P. (2009). Morbidity is related to a green living environment. Journal of epidemiology and community health, 63, 967-973.

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子供の頃の記憶

2010年01月07日

先日、出身した小学校が閉校になるので、その前に来て話しでもしないかと、校長先生からお誘いをいただきました。

 

  

25年ぶりに訪れた、ちょうど終業式が終わったばかりの校舎は、閉校を予感させる寂しい雰囲気でした。

(座敷わらしではなく娘です

  

校舎に入ると、今まで思い出すことのなかった、たくさんのことが、記憶に蘇りました。

  

脳科学分野の研究では、強い情動を伴った記憶ほど残りやすいと考えられています。しかし、使っていた文房具や、日常の遊びといった、取るに足りない些細なことまでが記憶から蘇りました。目で見た全てを、写真のように記憶できる脳の持ち主がいることを考えると、思っている以上に、目で見た情報は、脳に蓄えられているのでしょう。

  

「こころ」の問題を解決するための方法のひとつに、精神力動的療法があります。

  

現在の問題の原因が、幼少の時に、両親や兄弟などの他者との関係で培われた、忘れ去られた心的葛藤にあると考え、過去の記憶を徹底的に掘り起こし、その葛藤を解決してゆくという療法です。

  

思い出したくない遠い昔の記憶は、無意識的に抑圧されおり、それに直面する勇気を持たなければ、あえて思い出そうともしないものです。

直面する勇気とは、自分がしてしまった悪い事に対して、必要以上に自分を弁護することなく、反省し謝ることから逃げないこと。逆に、誰かから受けたひどい仕打ちに対して、必要以上に怒りを覚えることなく、相手の立場を理解し、許すことから逃げないことと思っています。

したがって、時には、自分の過去を振り返り、さまざまな心的葛藤を解決してゆくことも大切かもしれません。

  

小さいときの心的葛藤の原因の多くは、小さなことだったかもしれません。人間は道徳的に成長するものであり、年を重ねると、自分の過去の問題を、合理的な方法で解決できるようになっているものです。

  

そして、ケアンズの大きな大地に抱かれると、小さな悩みや心的葛藤は、解決されやすいように感じます。

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光と「こころ」

2009年12月31日

今年も早いもので、残りわずかになりました。

  

夏の終わりに季節性(冬季)感情障害について書かせていただきました。

もう、そんな冬になりました。

  

年末年始は働き、2月に休暇をとるのが、私の習慣です。

今朝は、函南から御殿場の病院への移動でした。せっかくなので、景色を楽しむため、箱根経由で向かうことにしました。

  

しかし、標高1000mの箱根の外気温は-2℃。路面は凍結し、曇り空。しかも、強風。

楽しむというより耐えるという感じです。

  

冬になり日照時間が短くなると、脳内ホルモンのバランスが崩れ、うつ傾向になりやすいことがわかっています。それに、寒風や雪などの厳しい天候が加わります。

  

このような時は、積極的に闇の中に光を見つける必要があるのかもしれません。

などと思っていたら日が差してきました。

きっと、人は光が好きなんですね。

そして、2月に予定している、光に溢れるケアンズへの旅行が楽しみになりました。

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ケアンズとセルフコントロール

2009年12月21日

たまに、当直の仕事があるのですが、このときは、病院を離れることができず、窓の外が恋しくなります。

  

  

しかし、運動をすることができないかというと、話は別です。

  

最近では、DVDのエクササイズプログラムが色々とあるので、30-60分程度の空き時間が取れれば、それを見ながら、室内で運動することが可能です。スポーツジムでインストラクターを見真似て運動をするのとあまり変わりがありません。

運動が人間の健康を維持するために不可欠だということを、頭と心で理解していれば、少し工夫をしながら、いろいろとできるものです。

  

人間の脳が「本能」と「情動」と「理性」の3つに分かれているというのは、ポール・マクリーンによる、脳の三層構造仮説という有名な理論です。

この、それぞれの脳が違った行動を欲求するという、生まれ持った性質がしばしば災いすることがあります。

  

なかなか運動を習慣にすることができない患者さんに理由を尋ねてみると、「仕事で運動をする時間がない」というのが圧倒的に多い答えです。

確かに、仕事が第一という日本の社会文化では尤もな理由です。

しかし、「健康にとって、運動は仕事と同じくらい大切なのですが、本当に時間がないのでしょうか?」と聞いてみると、幾人かの患者さんは、仕事を言い訳にして、単にやる気がなかっただけのことに気づきます。

  

「自分をだますことはできない」といわれますが、かつて、ジョージ4世が、「ワーテルローの戦い」で活躍したと、何度も嘘を繰り返した結果、ついには自分自身が、本当にそうだったと信じ込んでしまったという言い伝えがあります。

そして、心理学では、記憶が如何にいい加減なものであるかや、自分の信念さえも、状況によって簡単に曲げられてしまうことが証明されています。

  

つまり、「自分をだますことはできる」のです。

  

時には、自分の考えが正当なものか、思い込みや偏った考えによるものではないかと問い直してみるのも大切なことかもしれません。

  

そして、ケアンズに身を置いているようなリラックスしている状態では、脳の働きがスムーズに調和され、自分が自分によって、だまされていることに気づきやすいものです。

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現象の二極性

2009年12月12日

昨日は、忘年会に向かうためにタクシーを利用しました。

タクシーの運転手さんと雑談をすると、雨の日はタクシーの利用客が増えるそうです。

「それでは、雨だと嬉しいんじゃないですか?」と聞くと、

「短い距離の人が増えるから売り上げは変わらないよ。見にくくて運転しにくいし、あまり良くはないね」という返事でした。

 

あらゆる現象には二極性があるように思います。

しかし、両極端はしばしば似た性質を持ちます。

 

黒は光を完全に吸収し、白は光を完全に反射します。

朝日も夕日も空を赤く染めます。

ケアンズが位置する熱帯と、南極が位置する寒帯とでは、気候に注目したときには、まったくの逆です。しかし、変化が少ないという点では似ており、狩猟採取を大切にしてきたという住民の生活文化まで似ています。

国家の税収では、ラッファー・カーブ理論によると、100%の課税では税収は0になり(100%収入を取られて働く意欲の出る人がいるでしょうか?)、0%の課税でも、当然、税収は0になります。

働きが少ないと生活できず、働きすぎで身体を壊したら生活できなくなります。

運動不足も身体を害し、運動のしすぎも身体を壊します。

飢餓も身体を壊し、食べすぎも身体を害します。

 

さて、このような、「世界」が持つ法則は、どのように役立てることができるでしょうか?

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錆びの美しさ

2009年12月08日

週末に里山を散歩していると、置き捨てられている古い自動車に目が向きました。

ボンネットは錆びて風解しはじめ、昔風のデザインから、相当古くに製造されたものであることが分かります。

自動車を、移動のための道具、好みや考え方を自己表現する手段と考えたとき、この鉄の塊は遠い昔に価値を失っているでしょう。

中古車市場では、特別な例を除いて、傷ひとつない新車のときの値打ちが最も高く、経年や、傷や凹みができることによって、減損してゆくからです。

 

新しさが価値を持つようになったのには、さまざまな理由があるのでしょうが、理由のひとつは、このようなエコノミーによって、新しく、傷のないものに最も高い価値があると頭にこびり付いたためで、その一方で、かすり傷さえも心を悩ませるようになったかもしれません。

なぜかといえば、自動車は、運転していれば、ある確率で傷や凹みがつきます。このような価値観にとらわれていると、ちょっとした不注意での傷や凹みを大きな損害として悔やんだり、実際には起こらなくても心配されるため、不安の種になるでしょう。

 

新しく、無傷であることに価値を置く範囲が、モノだけにとどまらず、人にまで及び、「年は取りたくない」というふうに、年を重ねることが、不安の種や嫌悪、社会的な問題になっているのだとしたら、より大きな悲劇かもしれません。

大切な持ち物が古くなっていくこと、自分自身や大切に思う人が老いることは、避けることができない宿命です。しかし、古さや老いが良くないものと思い込んだとき、日々は不幸への階段となるでしょう。

  

しかし、この価値のものさしは、生まれつきに人間に備わった性質なのでしょうか?それとも、社会や文化から影響を受けたものなのでしょうか?

  

アボリジニの価値観に眼を向けると、われわれが価値があると信じている不安定な鉄よりも、時間を経て安定した、われわれが嫌う錆が大切にされます。錆は血と関係を持ち(血液には鉄が多く含まれています。どのようにしてアボリジニは気づいたのでしょうか)、神聖で霊的な力があると信じられ、体に擦り込むほどだそうです。

また、アフリカの社会では、少子高齢化の逆の現象である、多子少齢化が問題となっています。子供に教えることのできる知識を持つ大人が少ないため、子供が危険を避けたり、生きるために必要な知識を習うことができず、長生きすることができないためです。

  

これらの例を考えに含めると、新しさを好む性質は、人が生まれながらにして持つのかどうかはわかりませんが、それ以上に、社会や文化が影響しているのだろうと推測することができます。

  

時の流れとともに形が崩れ、母なる地球に帰ってゆく姿に、美しさを見つけ出すことができるようになると、大きなストレスの原因が解消され、日々の経過は喜びに変わると信じています。

新しいものが絶対に良いという価値観を問い直し、アボリジニの眼に心を合わせようとしたとき、上の錆びて古びた鉄の塊の写真が、最初に見たときよりも少しだけ美しく感じないでしょうか。

  

もし、新しさを最高とする価値観によって胸を苦しめられることがあるのならば、「こころ」のありかたを変えることで解決できるのかもしれません。

このとき、アボリジニの哲学はわれわれの「こころ」を救ってくれると信じています。

  

そして、「さきわひの如何なる人か。黒髪の白くなる迄妹が声聞く」という万葉集の一葉を思い起こすと、アボリジニだけでなく、われわれ日本人の「こころ」の奥底にも、幸福な老いを見出す精神が備わっていることがわかります。

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生活を楽しむと長生きできる?

2009年11月27日

「ケアンズ療法」は、ケアンズからのエネルギーに気づき、とにかく楽しみ、健康や幸福の実現に役立てるという、いいことずくめの療法です。

 

本当に、このようなうまい話があるのでしょうか?

 

楽しむという「こころ」の状態は、心を開けば、どのようなことに対してでも感じることができるのでしょうが、ケアンズは大きなポジティブのエネルギーを与えてくれるので、ケアンズに身を置くと、比較的簡単に楽しむことができると考えています。

  

日本では、厚生労働省の研究班が主導し、生活習慣と病気の関連を科学的に検証する、JPHCという研究が行われています。

先日、JPHC研究の中で、「生活を楽しんでいる」という意識を持っていないグループは、「生活を楽しんでいる」という意識を持つグループと比べて、12年間のうち、脳や心臓の病気により死亡するリスクが1.61倍であったという調査結果が発表されました。1)

  

このようなメカニズムは拙著でも詳しく説明させていただいていますが、自己と、他者や社会、大自然や宇宙といった、自己と自己を取り巻く大きな環境との関係にある、とてつもなく複雑な「世界」の法則であると考えています。

その一部を簡単に説明すると、生活を楽しむことにより、ストレスが減り、ストレスが減ればセルフコントロールに役立ち、過食や運動不足や睡眠不足、他者に不適切に接し人間関係を悪化させることなどの、不利益な習慣や「こころ」の持ち方を避けることができるようになることが、大きな理由のひとつかもしれません。

  

さて、私も含めて、医師や科学者は、どのような説に対してでも「可能性がある」という控えめな表現を好みます。

しかし、臨床医という実践家の立場では、健康や幸福にとって「生活を楽しむ」ことが大切なことが、科学的に絶対に確実であると断言できるようになるまで、いつになるかもわからずに指をくわえて待つのではなく、今までの多くの科学的な証拠から、「生活を楽しむ」ことが大切だということを信じ、実行しても不利益のない段階にまで来ていると考えています。

自動車の運転に例えれば、全ての自動車の構造や、運転に関係する物理の法則を知らなくても、運転の仕方さえ学べば運転できるように、健康や幸福の実現にとっても、方法さえ「世界」の法則に当っていれば、その正しい設計図までは知らなくても恩恵を受けることができるのです。

  

そして、ケアンズが与えてくれるエネルギーには、健康や幸福にとって、旅行代金と余暇を費やす代償を超える、大きな価値があると信じています。

 

参考文献 

 

1)Shirai K, Iso H, Ohira T, Ikeda A, Noda H, Honjo K, Inoue M, Tsugane S; Japan Public Health Center-Based Study Group., (2009), Perceived level of life enjoyment and risks of cardiovascular disease incidence and mortality: the Japan public health center-based study.,Circulation, 120, 956-963. 

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思い出の大切さ

2009年11月25日

前の週末は、御殿場で仕事を頼まれたのですが、中途半端な小暇ができてしまいました。自宅との往復をするほどの空き時間ではないため、どこか自然の中で過ごすことにしました。

箱根では、今の時季には、すすきと紅葉が見頃であることを知りました。

すすきの観賞は、恥ずかしながら、いままでにない思い付きでしたが、距離も近いことから、ここで時間を過ごすことにしました。

 

すすきは終わりに近づいているのか、穂が裸になりつつありましたが、それでも、風にそよいで白穂が波打ち、心の和む風景でした。

 

この場に身を置くと、ケアンズのアサートン高原やサトウキビ畑、カナダの森林や、フィレンツェの郊外といった、過去に訪れたことのある、多くの美しい場所の情景が思い起こされました。

  

 

過去の美しい情景が心に浮かぶと、次々と、その土地で触れたほかの美しいもの、親切に接してくれた方々、美味しい料理やワイン、リラクゼーションなどの体験の記憶と、それらに対する感謝や感動といったポジティブな気分が蘇ります。

このようなことから気づくことは、美しさとは、目前の風景だけでなく、過去の体験も元になり、それらが融合されたものであるということです。

つまり、箱根の風景の美は、私にとって、箱根そのものだけではなく、過去に訪れた、ある共通点を持つ全ての場所、オーストラリア、カナダ、イタリア、日本とアジアの国々の思い出の中にある美でもあるわけです。

 

人が、色彩に富んだ名画や美しい風景だけでなく、灰色の水墨画や、墨で書かれた文字、目を瞑った深闇の中にも美を見い出すことができるのは、思い出から湧き立つ想像力によるところが大きいのかもしれません。

そのため、美しい風景や芸術の観賞、癒される体験にできる限り多くの時間を割き、深く味わい、記憶に刻み込むことは、生涯にわたる美の素材を手に入れることになるでしょう。 

  

ケアンズには、想像力を必要とせずに生まれながらにして美しいと感じるような、景色やアクティビティに溢れていると感じます。

そして、このような感動を伴ったケアンズでの記憶は、生涯にわたって、「こころ」に美を生み出してくれるでしょう。

豊美な思い出が多ければ多いほど、「こころ」は豊饒になると信じています。

 

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論文の掲載

2009年11月16日

今号の日本補完代替医療学会誌に小論文が掲載されました。

タイトル:哲学でエビデンスを考える(An argument for Medical Evidence from a Philosophical Point of View)

http://www.jstage.jst.go.jp/article/jcam/6/3/163/_pdf/-char/ja/

現在の医学の検証方法は便利で大切な道具だけれども、それだけでは足りないものがあるかもしれないという主旨です。「ケアンズ療法」とも少し関連するため、興味がありましたらご覧ください。

哲学は没頭しすぎると気を病むように感じますので、あまり深く考えないようにお願いします。

ただ、ニーチェの言うように、これを乗り越えると一皮剥けるような気がします。

アボリジニの通過儀礼と似ているのかもしれません。

 

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遺伝された能力

2009年11月10日

自然の中で過ごすことは、大人のストレスを楽にするだけでなく、幼児の脳の発達にもプラスになるという知識を得てから、なるべく長い時間、家族で自然の中に身を置くことにしています。

ケアンズでエスプラネートで遊ぶ、活発な子供たちを目にして、わが子との運動能力の発達の差に、幾分、危機感を感じたのも理由のひとつです。

 

自然の中で遊ぶ子供を見ていると、いろいろ疑問に思うことがあります。

 

そのうちのひとつが、人間には生まれつきに、どこまでの危険を避ける能力が備わっているのかということです。

つまり、実際に痛い目にあうことがなくても、好奇心に逆らい、止めたほうが良いとか、近づかないようにしようと判断してパスすることができるかということです。

全ての危険かどうかの判断を、実体験や親から教えられた知識などといった記憶に頼るようでは、至る所、リスクに溢れたこの世の中で、生き延びることは難しいでしょう。

 

心理学分野での有名な「目に見える崖」の実験により、人間ばかりか、生まれたばかりの幾種の動物でも、生まれながらにして高所が危険であることが判断できると考えられています。1)

(とはいっても、幼児は危険は理解できても、運動能力が未発達なための失敗が多いので、大人の注意は必要です。)

 

話は逸れますが、霜降りステーキやアイスクリーム、タバコや酒などの、医師から見て、患者さんに摂り過ぎて欲しくない食品や嗜好品、行き過ぎた、怠け癖や臆病、自尊心や敵愾心といったバランスを欠いた精神状態などを、生まれつきに自然と避けることができれば、より簡単に幸福に近づけるのかもしれません。

しかし、時に役立つためにこれらを選択する性分は残されているのでしょう。

 

さて、うちの娘は1歳8か月なのですが、わりとチャレンジャーなのです。

 

踏み外して怪我をしないかと心配そうに見ていると、「大丈夫よ」というアイコンコンタクトをくれ、

心配をよそに、岩場を這い上がり、

 

登ると嬉しそうです。

 

しかし、誰が見ても近寄りがたい崖などには決して近寄りません。

  

アボリジニの幼児が、棒切れを槍に見立てて肩に担ぎ、走り回って遊んでいるのを見たことがあります。その時は、危なくないのだろうか、などと思ったのですが、娘も槍が好きなようです。

目に入らないか?こけて刺さらないか?などと色々不安になりましたが、それをよそに、ご機嫌に遊んでいるので、心配は無用なのかもしれません。

遊びは精神発達に有益な面があり、とりわけ大きな危険がない限り、「ダメダメ」と言いすぎず、子供の能力を信じて見守ることも、時には必要なのかもしれません。

 

参考文献

1)Gibson E.J. & Walk R.D. (1960). The "visual cliff". Scientific American. 202,64-71.

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理論と実践のバランス

2009年11月02日

週末、レーシングスクールに、インストラクターで参加して来ました。

 

昨今のエコブームで、自動車レースへの風当たりも強く、無意識のうちに足が遠のくのか、参加者は回を追うごとに少なくなってきてるようです。

私自身も、最近の多忙さであったあり、娘の誕生で、危険に対して用心するようになったのか、しっかり走ったのは一年でのうち、一回。

いざ、走ってみると、初めてのコースということもあって、周によっては良いタイムが出るものの、だめな周はてんでだめ。

校長からはコッテリしぼると愛のムチをいただく始末で、教えることなどできない状態。

 

十数週走って、やっと少しカンが戻ってきたと思ったら、今度は、車がバッテリー上がり。

 

人も車も長く使っていないとだめなようです。

 

人間は、考えることと実行すること、理論と実践のバランスが整って、はじめて良い状態に導かれるのでしょう。

 

自動車レースでの教訓は、人生での困難の解決や、セルフコントロールといった、色々な局面で応用できるため、大切に思っています。

そのため、続けることが大切、ということがわかっていても実行できないことに、色々な難しさがあるようです。

 

久々に反省しきりの一日でした。

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京都でケアンズを思う

2009年10月20日

1014日から16日まで日本消化器関連学会に参加するため京都に行って来ました。

 

最終日は昼の新幹線で帰るだけの予定だったので、早起きをして、気の向くままに、京都市内を散策することにしました。

 

ガイドブックで、清明神社の湧き水には、霊力が溢れているという言い伝えを知り興味を持ちました。

私は、かなり頑固に、科学で明らかになっていない霊力などは信じない性質だったのですが、アボリジニの文化に触れたり、科学を深めていくうちに、現在までに知られていなかったり、科学では明らかにできない方程式があってもおかしくないのではないかと考えるようになりました。

京都で色々な方と話をすると「縁」という言葉が良く出てきますが、「縁」はこのような複雑な方程式のひとつなのかもしれません。

 

清明神社は陰陽道と関係があるらしく、最近の記事で陰と陽に触れたことを思い出しました。陰陽道の存在は良く知らなかったのですが、何かのご縁があったのでしょうか。

  

柄杓になみなみと湧き水を汲み、柄杓の底に映った自分の顔を見ながら一気に飲み干すと、不思議とエネルギーが沸いてきます。

  

 

神社の帰り道、近くの川沿いに、遊歩道が整備されているのを見つけました。少し時間もあり、方角も都合が良いことから、歩いて京都駅に向かうことにしました。

  

 

「植木に水をやっていただけませんか」という看板があり、見ると地面が乾いていたので、置いてあった柄杓で水遣りをしていると、上のバス停でバスを待つ老齢のご婦人が「ありがとねー」などと笑顔で声をかけてくれます。

キャリーバッグを置いて水遣りをする姿が珍しいのか、何人かの方が声をかけて下さり、色々と教えていただきました。

草木にとっては、誰かが水をかけてくれて「生」を繋ぐことができるのも、やはり「縁」なのかもしれません。「京都らしいでしょう」などと話していました。

  

 

京都の川水はそのまま飲めそうなくらい、とても澄んでいて、傍を歩くととても癒されます。

 

この遊歩道は2年前に完成したようですが、以前は友禅を洗っていたそうです。

 

知らない方と笑顔で交流するのはとても楽しいものです。フレンドリーなケアンズを思い出しました。

自然からだけではなく、人から与えられるエネルギーもとても大きいものだと感じます。

 

このような良い環境にもかかわらず、人影はまばらでした。

同じ公共事業でも、多くの方に利用されている、ケアンズのエスプラネートとは様子が違います。

心を向ければ、良い環境は彼方此方にあるのに、なかなか気づかないものなのかもしれません。

 

快適な建物の中も魅力的ですが、外に出てぶらぶら歩くのは、運動になるだけでなく、色々なことに気づき、勉強になるものと思っています。

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「生」への思い

2009年10月12日

数日前、50年に一度と騒がれた大型台風が過ぎ去りました。

ここ最近(以前からかもしれませんが)、・・・年に一度などの表現が多いように思いますが、いたずらに不安が煽られるのも困りものです。

余談ですが、そういえば、TV番組で「この後、衝撃の事実が・・・」などと意味深を残してCMに入ったわりには、期待して見続けると、見合ったものがないこともよくあるように思われますが、私の期待が大きすぎるのが良くないのかもしれません。

無料で楽しませていただいているので、小言を言うのはばち当たりでしょう。

  

台風の翌朝、気掛かりにバルコニーを見ると、植木鉢が倒されたり、強風に煽られて、植物の枝が折られていました。

折れた枝をそのままにしておくのも痛々しく、可哀想なので、挿し木にしました。

数日経ってもしおれてこないのは、きちんと水を吸い上げている証拠で、おそらく根付いてくれると期待しています。

 

自宅のバルコニーには、プラスティックウッドを敷き詰めているため、「生」を繋ぐためには、折枝を土に移植する必要がありましたが、おそらく、ケアンズの熱帯雨林では、このような「生」の繋ぎは自然に行われているのでしょう。

私は、植物や動物を見ていると、彼是と人間の奥底にある思いに気づくのですが、このような、絶望的な悲運に見舞われても「生」を繋ぐことができることに、生物が持つ「生」の価値観に対する強い執心を感じます。

人間では、様々な価値観への欲求があるため、差し引きで「生」への執心を超えてしまうこともありそうですが、心の奥底にこのような確かな思いが潜在することは間違いないでしょう。

「生」をしっかりと見つめ、生きていること自体の素晴らしさに、喜びや幸福を感じることができるようになれば、人生はより豊かになるものだと信じています。

 

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日常の中の非日常

2009年10月07日

ケアンズでは心惹かれる景色につられ、知らず知らずのうちに歩数が増えるものですが、日本に帰ると運動不足の生活に逆戻りでは、せっかくのケアンズでの習慣が無駄になってしまいます。

   

私は、以前は、晴れた日は自転車、雨の日には車で通勤していたのですが、車が故障し、自転車もパンクしたのをきっかけに、毎日、歩いて通勤するようになりました。

  

最近、こちらは雨が続いていますが、多くの方が嫌がる雨の夜は、路面に光が反射して、とてもドラマティックな情景になることに気づきました。

また、10分程度の回り道をすると、川沿いの綺麗な風景を楽しむことができることに気づきました。

日々、色々な発見があり、歩行での通勤は楽しい時間になりました。

 

当たり前の日常にある、心惹かれる対象が目に留まるようになるには、想像力が必要なようです。

 

ケアンズに心を開いて、エネルギーを受け取ることができたならば、同じように、住んでいる地にも敬意を払い、心を開くことが必要なのかもしれません。

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パロネラパークと「夢」の陰陽

2009年09月30日

ケアンズでは日差しが強いため、影の存在感が増すように感じます。

 

 

子供の頃は影踏みをしたり、自分の影から無駄に逃げてみたり、夕焼けの影の伸長に驚いたり、いろいろと遊んだものですが、ここ数十年の間、自分にいつも影が付きまとっていることから心が離れていました。

影と離れることができない個人という構成は、肉体だけなのでしょうか、それとも肉体と影の和でしょうか。

 

この世の現象のほとんどすべては、陽と陰の二面性を包含しているように感じています。

 

私はポジティブな陽の部分にフォーカスを当てることが好きなのですが、ネガティブな陰の部分を忘れてはバランスを取ることができないと考えています。

そして、強い光が影を黒め、影が薄光を眩しくするように、陰を見つめることによって、陽の存在のありがたさを強く感じるようになるのではないかと感じます。

一方、陰に心を向けることなく陽が強くなりすぎると、陰の存在が益々と増して行くようにも感じます。

 

ケアンズの郊外に、美しい庭園、パロネラパークがあります。

ホセ・パロネラが、様々な試練に耐え、打ち勝ちながら、子供の頃からの「夢」であるお伽話を実現させた、壮大なスケールの踪跡です。

 

「夢」や希望が心を掴み、燃えるような熱意を伴った行動の原動力となったとき、無意識の領域が「世界」と共鳴し、「個」の限界を打ち破り、「夢」や希望が具現化するのでしょう。

アボリジニのドリーミングを目の当たりにしているようです。

事実、いくつかの有名な心理学の研究によって、「夢」や希望が、無意識による行動を誘発し、それが他者をも巻き込み、自己実現される可能性が示唆されています。

行動を起こさなければ何事も成しえないことも明白です。

これらの常識や科学的結果にもとづき、成功を目標とする多くの自己啓発家が、ポジティブ思考やネバーギブアップ、強い欲を持つことなどの必要性を説いています。

これらは成功にとって、無くてはならないものです。

しかし、一方で、自己啓発プログラムへの参加が、精神障害の引き金になるという研究結果も存在します。

無謀なチャレンジによる失敗や、現実の理想への距離感が無力感を引き起こすことなどが原因でしょう。

 

パロネラパークに包まれ、目をつむって深呼吸をすると、わくわくする気持ちを引き起こす、「夢」や希望が持つ大きな陽のエネルギーを感じます。

同時に、それとは逆の、自然からの試練や不運に対する、パロネラの憤りや悲しみ、成し遂げた大きな成果が、時の移りと共に自然に帰ってゆくはかなさ、といった陰のエネルギーを感じます。

そして、陽にも陰にもそれぞれに違った美しさがあるように感じます。

 

パロネラパークは、「夢」を実現するためには、陰からも目をそらさないこと。

現実や試練を見つめ、達成が不確実な事柄に、労力や財、場合によっては一生という時間を配分する勇気。

不運や失敗による欠乏や無力感に対する覚悟。

途上の失敗を進歩と捉えて喜びに変える、陰の中にも陽を発見する心構えなどが大切であること。

その対価として、「夢」や希望は至極まれに、「夢」の実現という最上級の果実と喜び、深い感謝を引き起こしてくれることを、教えてくれているように思います。

 

パロネラパークでパロネラのスピリットに触れてみてください。

ドリーミングの力を信じることができるかもしれません。

そして、「夢」に対してより根気強くなれるかもしれません。

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運動と「こころ」⇔「からだ」

2009年09月27日

「こころ」と「からだ」の関わり合いを意識するようになると、「こころ」を快活に保つためには、「からだ」を快調に維持することが有効であると感じるようになります。

 

私は自動車レースに参加するほどに、運転を趣味にしているのですが、度を越さない限界でレーシングコースを走る自動車のエンジンは、存分に回さないエンジンと比較して、良いコンディションに保たれることがよくあります。

人間の身体も似ており、「からだ」を大切にするためには、貴重品のように金庫の中で動かさずに保管しておくのではなく、無茶はせずにしっかり働かすことが必要不可欠です。

 

運動は決して苦痛な義務や療法ではありません。

しかし、五感で楽しみながら行い、爽快感や達成感、プラスの効果などを実感することができなければ、長続きはしません。

 

運動をするにあたり、目安や注意点がありますが、厚生労働省や米国スポーツ医学会の指針を参考にすると良いでしょう。

厚生労働省 健康づくりのための運動指針2006~健康づくりのために

http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/undou01/pdf/data.pdf

米国スポーツ医学会

http://www.acsm.org/

 

これらによると、少なくとも日々1時間強の歩行が必要であると考えられています。(あくまで最低ラインです)

 

ケアンズには、巨費を投じて整備され、環境と人智が見事に調和の取れたエスプラネートがあります。

立派な木々が真昼の強い日射しを和らげてくれます。

  

 

景色は雄大で、パブリックアートや野鳥など、目を楽しませてくれるものが色々とあります。

 

 

  

ストレッチ台や鉄棒なども使いながら、エスプラネートの散歩を楽しんでいると、時間が過ぎるのが早く感じます。

 

 

歩行は上半身の筋肉があまり使われないため、運動として不十分だという研究者もいます。

しかし、いままで運動をしていなかった方が、安全に運動をはじめるには良い方法だと考えます。

 

運動を続けるには「こころ」が良い状態であることも大切です。

その理由のひとつは、「からだ」を運動に向かわせるのは「こころ」の役目だからです。

  

ケアンズが「こころ」を良い状態に保ってくれたならば、旅行ついでに運動を習慣づけてみてはいかがでしょうか。

 

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目線を変えると・・・

2009年09月23日

朝方、ビーチを散歩していると、カニの足跡があることに気づきました。

ふと、カニはどんな世界を見ているのだろうかと思い、カメラを地面に近づけてみました。

  

  

砂や石、大地の起伏への射光や照影、対象への遠近や大小や高低の世界が変移し、違う世界に成り代わった気がします。

  

多様な立場に立ち、多彩な視点で物事を考えてみると、世界は更に面白くなるのかもしれません。

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生命力溢れるワイン

2009年09月18日

ケアンズのわくわくする休暇では、日頃は勤めをしている真昼にワインに酔うのは、常と異なる非日常で、罪悪感とも開放感とも捉えどころのない情動が縺れ合う、面白い行動です。

生命力に満ち溢れているオーストラリアのシラーズは、複雑で繊細な心のひだを映すようなブルゴーニュワインを好む、頑固なフランスワイン通の容赦ない評論にしばしば晒されますが、私にとってはもっとも好きなワインのひとつです。

  

肉脂を多く食べるフランス人は、ワインの恩恵で心臓病が少ないという、フレンチパラドックスをはじめ、適量のワインが長寿や健康に役立つという医学的研究結果は実に数多く存在します。

科学が世に幅を利かせる以前の時代に遡ると、ワインは大きな宗教的な価値を持っていました。

  

これらの理屈を抜きにして、私は、喉をスムーズに過ぎる、適量の好みのワインが、心身に対して特別な価値を持つと、子供が母親を信じるように、疑うこと無しに信じています。

  

なお、心にとっては良い面もあるでしょうが、身体にとっては、アルコールは少量でも明白に毒物です。

アルコールを正当化する、酔っ払いの手の込んだ、巧妙な言い逃れかもしれないので飲みすぎには注意してください。

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アボリジニから学ぶ、科学の発達への準備

2009年09月16日

アボリジニは目印の無い砂漠を迷うことなく行動できます。

この能力を失った私に、科学はGPSにより同じ能力を与えてくれます。

これがあれば、オーストラリアを迷うことなく行動できます。

  

ケアンズ滞在中にリビングインケアンズの9,10月号が発行されました。

今回のアボリジニ特集は楽しみにしていましたので、何度も読ませていただきました。

その中で、「滝の音を聞いていると、もうすぐ誰かが亡くなるとか色んなことがわかる」というアボリジニ女性の言葉が紹介されていました。

  

病気の発生を予測し、予防すること、それによって、死を避けることは医師である私の大きな目標です。

  

ここで、ひとつの疑問が発生します。

もし、誰かが亡くなることが予測されれば、われわれ医師はその運命に抵抗し救うことができるのだろうか、もしくは、われわれの抵抗も含めて予測されているのだろうかということです。

つまり、電車がレールを走るように運命が決まっているのかどうかということです。

  

将来が決まっていないことは希望につながり、意志による行動を促し、失敗と成功を生み出します。

科学は、将来を正確に予測することを可能とし、希望に達するための方法とコストを明確にし、失敗を減らし、成功を確実にすることにより、希望を目的に変換します。

  

アボリジニは世界に含まれる全ての情報をそのままにとらえ、個と世界の境界が存在しない、意識と無意識の境界も存在しない全体的な働きによって、このことを感じ、受け止めているように思われます。

一方、われわれ現代人は、世界に含まれる情報を、一度言語や記号などの意識できる方法に変換し、再構築して還元するという方法によって、世界を認識しているようにも思われます。

そして、無意識の意識への関わりの個人差がセンスや感性の違いとなって現れるのでしょう。

 

ヘーゲルは人間の知恵は発達し、絶対知に到達できることを予見しました。

このとき、科学は世界の関係性に存在する、現時点では見えない全ての方程式を解き明かし、将来を正確に予測するようになるでしょう。

  

科学が発達し、自分の死が正確に予測されることとなったら、われわれは正気を保つことができるでしょうか。

  

このような、危険性をはらんでいる医学は、現在死から逃れるために進歩しています。

  

死を予期できるアボリジニは、さまざまな通過儀礼を通して死に対する哲学を獲得しています。

われわれの死が正確に予測されるほど科学が発達する前に、アボリジニ同様、死に対する哲学を持たなくてはならないのかもしれません。

もしかすると、アボリジニが持っていた能力を取り戻すことも必要になるかもしれません。

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暁方の見応え

2009年09月15日

先週は、時期はずれの夏季休暇を取り、9日間ケアンズに滞在してきました。

旅疲れをヨガでほぐして、ケアンズからのエネルギーをもらうと、夜の9時くらいには眠くなり、5時頃には自然に目が覚めます。

ここの所、月が持つ幻鬱な美しさに思いを傾けていたため、逆の美しさに触れたくなり、キュランダに向かう途中にあるHenry Ross Lookoutを目指し、朝日を浴びることにしました。

  

9月の時期は、5時半ば頃から暁はじめ、6時頃に日が明けはじめます。

  

陰にも陽にも美しさがあると思っていますが、ケアンズには暗闇の中にも陽の美しさがあるように感じます。

  

  

おぼろな暁もよいものです。

  

 

明るくなるにつれ、薄っすらと景色が現象しはじめます。

 

 

鳥は日の出の少し前に目覚めるようです。

毎日、空からの日の出を楽しむことができるのは羨ましいです。

 

 

太陽が顔を出し始めた数秒の対面が、太陽の光と逆光の影、朝の赤と夜の濃紺が混じり合い、とても美しく感じます。

人間には安定だけでなく、移り変わりを好む性質もあるのかもしれません。

 

 

ケアンズは東側で海岸と接しているため、広い範囲で朝日を楽しむことができます。

こちらはケアンズからポートダグラスに向かう途中にあるRex Lookoutです。

 

 

近場のビーチも良いものです。

 

 

残念なことに、ケアンズに対して積極的にアプローチしないと、つまり、ケアンズに対して心を開いて、少し早起きをしないと、ケアンズはこの美しさを見せてはくれないのです。

 

健康にとっても価値があります。

朝日を十分に浴びると、夜の睡眠が改善されることが知られています。

夜の出来事に朝が影響するとは、身体というのは面白いものです。

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現代産業社会⇔アボリジニ社会

2009年08月28日

今、来月のケアンズ旅行の準備をしているのですが、オーストラリアドルの為替相場を見ると、現在の社会は転換点を迎えているように感じ取れます。

 

どんな事態をも制圧できるほどの力を持っていると信じられていた米国軍が、イラク戦争後の統治に苦戦したことによって、世界の中心であった米国の確固たる地位や、武力という解決手段の地位が揺らぎはじめました。

経済成長の原資となる資源の高騰により、いままで無限だと信じようと努力してきた資源が、実は限られていたことを思い知らされ、無限の経済成長に向かう強い目標が揺らぎはじめました。

文化のもととなり、成功を左右する知識や情報が、インターネットの普及によって、マネーが無くても多くの人が自由に手に入れることができるようになり、知識や情報での独占やマネーの価値が揺らぎはじめました。

 

政治、経済、文化での、いままで信じられてきた、絶対的な一つに収束していた価値や目標が、グローバル化によって、より多くの関係性の中に埋没して行くような印象を受けます。

 

この方向性は様々な分野にドミノ倒しで起こってゆくのではないかと推察しています。

そして、その方向性を延長して行くと、究極的な先にアボリジニの社会を思い浮かべます。

現代産業社会とアボリジニ社会のシーソーは、以前よりほんの少しだけ、アボリジニの社会に傾いてきているのかもしれません。

もしくは、人間の脳はオープンアーキテクチャであるため、現代産業社会とアボリジニ社会の要素を融合した、新しい均衡の上に成り立った、すばらしい社会ができるのかもしれません。

 

何か変化が起こるとき、非常に強いストレスが発生することは心理学の研究から明らかになっています。

 

アボリジニの社会をよく知り、現代社会も貴重で素晴らしいものだけれども、アボリジニの社会も美しいものであることを信じることができるようになったとき、これからの将来に対する不安とストレスを減らし、希望を持てるようになるのだろうと信じています。

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プロフィール

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三井 康利。 1972年静岡県生まれ。 1997年北里大学医学部卒。 内科医。 現代西洋医学と補完代替医療、思想・哲学の良い点を取り入れ、ホリスティック(全人間的)な視点から医療を考察・提案。 臨床医として日常診療に役立てている。 資格:日本内科学会認定医、日本補完代替医療学会学識医、日本温泉気候物理医学会温泉療法医、日本旅行医学会認定医、日本消化器病学会専門医、日本消化器内視鏡学会専門医。
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